( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51621682.html からの続き)
これまでの日本社会では、「公」 を保証していたのは マスメディアでした。
しかし、「わたし」 が浮遊して 「われわれ」 が消失した 現代の社会では、
新聞の「公」 は 世論を代表していると 言えなくなってきました。
インターネットの世界の ジャーナリズムでは、記者の取材の内容や、
取材相手との間で やり取りされたメールなどが、掲示板に公開されるといいます。
それを見た人が 様々な感想を書き込み、後日
週刊誌などに発表された 記事を読んで、再び掲示板に 意見や批判を書き込みます。
そのようなお互いのやり取り、相乗効果こそが、
インターネットにおける ジャーナリズムだというのです。
それはプロセスではなく、「場」 なのです。
新聞社やテレビには 固有の意志がありましたが、
インターネットは 何かを推し進めるための、統合された機関ではありません。
ネットに投げ込まれた情報は、融合することなく、
差異はそのまま残されて、混沌として 存在しているだけです。
従って、時に誤情報が 瞬く間に伝播して、暴走してしまうこともあります。
群衆行動が先鋭化して、衆愚を極端にした ファシズムのような方向に
走ってしまいかねません。
(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51670562.html