「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「フラット革命」 第四章 「公共性をだれが保証するのか」 (2)

2007年12月12日 20時58分21秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51657504.html からの続き)

 インターネットは マスコミにフィルタリングされず、

 世界をダイレクトに 生々しく 見ることができる世界です。

 それは 人々が浮遊し続ける 世界でもあります。

 そのような社会では、誰が 「公」 として 責任を取るのか? 

 公共性とは、異なる意見や立場の 人たちを取りまとめ、

 民主主義の中へ落とし込む 社会の機能です。

 浮遊する 「わたし」 の 膨大な集合体は、ネットによって 互いに直接つながり、

 情報を交換し合う、相互システムとして 形成されつつあります。

 そのやり取りそのものが、「公」 としての 責任を実現していく

 枠組みとなりうるのでしょう。

 ネットの世界では 肩書きではなく、言論の中身のみが 評価の基準となります。

 ネット上での評価が そのまま、

 現実社会での評価になる時代が やってこようとしています。

 一般の人々が ジャーナリズムを批判し、

 それにまた ジャーナリズムが答えていくという 構図そのものが、

 公共性を保証していくのでは ないだろうか? 

 様々な価値観や生き方,宗教などを持った人々が、

 常に議論を 戦わせていくことによって、

 本来的な民主主義を 実現していくのではないか。

 未来はまだ見えない。

 しかし、もう後戻りはできない。

 我々は目を見開いて、先へと 進んでいくしかないのだ。

(以上、「フラット革命」より)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする