「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

被災の中の月命日

2011年03月17日 21時29分28秒 | 心子、もろもろ
 
 今日は心子の月命日で、 いつものようにお墓参りに行ってきました。

 心子にも 被災者の方々のために祈り、 見守ってくれるよう伝えてきました。

(ちなみに 心子の祥月命日は、 阪神淡路大震災の 「1・17」 です。)

 しかし、 計画停電の影響で 電車が運行見合せになったり、 バスが大幅に遅れたり、

 節電のため 映画の上映時間が変更されたり。

 途中の駅ではコンコース内に 人が溢れ返っていましたが、

 駅員の誘導で 長蛇の列を作っていました。
 

 地震といえば、 心子とこんなことがあったのを 思い出しました。

 心子と一緒に寝ていた時、 グラグラと揺れが来たのです。

 当時は 家具の転倒防止など 地震対策を全くしておらず、

 テレビが落下してくる 可能性もありました。

 僕は日ごろ 犠牲的精神などというものは 持ち合わせていないのですが、

 ごく自然に 心子の上に覆い被さっていました。

 心子は眠っていましたが、 守りたいと思う場合には、

 何の抵抗もなく そういう行為ができるのですね。

 不思議なものです。
 

 一昨日の記事に、 自閉症 (発達障害) の子が

 震災でパニックを起こしたという 話を転載しました。

 BPDの人はどうでしょう? 

(転載記事を書いた人は、 震災がトラウマになっているといいます。)

 心子は、 もしかしたら災害の時 かえって冷静に、

 人を助けたりしていたかもしれません。

 心子と歩いていて たまたま火事に出くわした際、

 心子はとっさに その家まで走っていきました。

 走りながら 心子は頭の中で、

 火の中に飛び込み、 家人にオーバーをかけて 外に出し、

 人工呼吸や 火傷の応急措置をするなど、 できることを組み立てていたといいます。

 幸いこの時は、 火は家人によって 消化器で消され、 大事には至りませんでした。

 でも 人のために犠牲になることを、 少しも厭わない 心子なのでした。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東日本大震災の特徴

2011年03月17日 01時36分14秒 | 東日本大震災
 
 「3・11」 が 日本の新たな歴史に加わりました。

 僕もオンラインで、 わずかながら 義援金を送らせてもらいました。

 最低限のできることです。

 今回の地震の特徴は、 規模が最大級だっただけでなく、

 被災地も数百キロにわたる 広大な範囲でした。

 また 揺れと津波という 甚大な被害が重なり、

 さらに原発の事故という 未だ経験したことのない 恐怖も伴っています。

 一方で、 被災体験を共有できている という面もあるでしょう。

 東京でも 震度5のかつてない長周期の 大揺れに見舞われ、

 交通機関が乱れ 施設も休業、 商品棚が空っぽになったり、

 計画停電という異例の事態も 経験することになりました。

(僕の地域も 計画停電の対象でしたが、 今のところ 実施されていません。)

 そのうえ、 放射線まで飛散してきました。

 余震もいつまでも続き、

 静岡, 長野, 茨木でも 大きな地震が 連動的に起こりました。

 それらのために 災害を身近に実感し、 被災者の人たちの困苦に 思いを寄せて、

 停電や買い控えに 協力する気持ちも生まれやすいでしょう。

 一連の報道も その一助になっているし、

 阪神淡路大震災などの教訓も ある程度生かされていると思います。

 さらに ネットの普及によって、 こうしてお互い 意思の疎通や共有が容易になり、

 連帯感も育っているのではないでしょうか。

 上記のように、 募金も居ながらにして できるようになりました。

 しかしながら 現地では、 まだ安否不明のままの人も 多数に上り、

 零下に耐え、 孤立化して物資が届かないという 悲鳴も聞こえてきます。

 何より 情報とガソリンが足りないといいます。

 東電や政府の対応も 後手後手になっています。

 原発も全く 予断を許しませんし、 余震も予期できません。

 気をゆるめることなく、 引き続き情勢を見守り、 考えていきたいと思います。

〔 参考資料 : 朝日新聞 〕
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする