「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

惨状の中で 悼む心

2011年03月26日 00時13分06秒 | 東日本大震災
 
 報道では、 最も悲惨な事実は 映さないことになっています。

 がれきからのぞいている 人の手や足、 津波で押し流された 遺体の山など、

 直視できない現実があります。

 そして 見つけることさえ困難な 亡骸もあります。

 引き波で沖に流されてしまった 遺体の捜索に、 潜水艦も出動していると聞きました。

 陸上では、 行方不明者の捜索と がれきの撤去を 同時に行なわなければならず、

 ショベルカーを使う前に、 がれきの中に人がいないか 手作業で確かめるそうです。

 自衛官が遺体を発見すると、 警察官が遺体の特徴を 書類に書き込み、

 その間 撤去作業は中断されます。

 身元が分かって 遺族に引き取られても、 満足な葬儀もできません。

 また、 かろうじて災害を免れたのに、 避難所で亡くなる人も 相次いでいます。

 増え続ける遺体に 安置所や火葬場が追いつけず、

 22日からは 土葬が始まっています。

 ドライアイスもないため、 

 「面影が残っているうちに 送ってあげたい」 という遺族もいます。

 いずれ掘り起こし、 火葬にして葬儀を挙げたいそうです。

 しかし、 埋葬する土地と人手の確保は 容易ではありません。

 身元不明の遺体は、 DNAを保存しておく必要もあります。

 そんな現実の中で、 お墓や仏壇どころか 弔うこともできず、

 悔いる人も多いといいます。

 火葬の順番待ちの前に、 県外避難をしなければならない人もいます。

 けれども、 形通りの葬儀ができなかったとしても 苦しまないで、と

 呼びかける僧侶がいます。

 個人を思い続けることこそが、 大切な弔いになるのだと。

 そして、 個人が 生きている人に どう生きていってほしいと願っているか、

 それに思いを巡らせることが 大事だといいます。

 すでに悲劇は 1万人を超えてしまいましたが、

 痛ましい現状でも 悼む心を持ち続けることが 必要なのでしょう。

〔 参考資料 : 朝日新聞 〕
 
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