玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

父の食事は普通だが

2019-02-09 02:57:48 | 知識
 父は普通の食事だ。家族が集まればみんなで楽しく食事になる。そこへ全く寄り付かない人間がいる。今回も自分自信の力で風邪を治したので集まって食べる気持ちはどこにもない。これで良いのだろうか。

 一番身近なお付き合いからしてやらない。外へ食べにいこうとしても自然食レストランは遠い。

 今回の体験は少食にして体内にカスを貯めない、という目標を定めた。お食事会は目的達成を困難にする。本人には食べることに楽しみは無くなったのかもしれない。空腹は梅湯で満足させている。常に空腹だ、といっている。基本的な気持ちが食欲を満足させることでは無くなったらしい。

 父も食欲ではなく、みんなで楽しむことが良いのだろう。ただただ、少食にするよう願うしかない。若い気持ちになるのもわかる。しかし、万が一の場合、自分自身が信じられないで他力本願になって病院行きになっている。
 本末転倒だ。こんな簡単な、本末転倒になっていることが誰もわからない。何回入院したら気がすむのか。

 レールが別れた感じだ。他人のために何十年もーーーーーー
歯医者様へ実費でかかったほうが千分の一、いやいや万分の一、とんでもない十万分の一、違う数百万分の一ですんだかもしれない。利息を計算するとーーーーーーやめておこう。お互い様ということにして。父もその恩恵にあづかる気満々なので、人助けということにしておこう。

 考え方が基本的に違った。自助努力はしているつもりなのだろうが、基本の科学的な思考ができていない。科学の積み重ねで進歩してきたことが実感できないのだろう。科学は自分の体の強靭化には関係ないと思っている。医学の進歩が科学の進歩だと思っている。しかし、ウィキペディアを見れば風邪さえ直せないことがわかる。

 人体の強靭化が科学の成果だ。長い人類の歴史からも、空腹にしておけ、という簡単なことを守れば良い。

 好きなものを腹一杯食ってはいけない、などと言っているようなことは科学ではない、科学は何でも食べて栄養つけて、病気になったら病院へ行くのが科学だ、医学の進歩とはそういうことを言うのだ、となりそうだ。そうしたら、風邪も直らないので難病になるのかもしれないが、どうしようもない人のためになるべく病院を空けておいて、病院の負担にならないようにしろよ、と説得してーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー無駄か。栄養こそ人体には必要だと思っている人をどうやって栄養などいらない、と理解させるのだ。世界ランキング入りの長寿者は何でも食べていると報道されているのに何を言っているんだ、来なくていいよ、と、もっとも身近な人からも敬遠される。偏食は良くない、と。

 いったい、何が楽しいのだろう。平面的にレールが違って、立体的に山のてっぺんに登って下界を見回している感じ。こちらのほうがぐうんと気持ちが良さそうだ。

 
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