自分の国は自分で守れ

Mikuのブログ

待望。宇宙人との対話Part2

2011-05-07 14:08:23 | 宇宙産業・宇宙・UFO・未来産業

 

待望の宇宙人との対話集第2弾です。

 

5月13日発売の 『宇宙からのメッセージ -宇宙人との対話Part2-』

 

レプタリアン、プレアデス星人はもちろん、あの2009年12月23日に公開された映画『アバター』のモデルにもなったとされる、ドゴン星人や金星人

そしてそして・・・本当に存在した・・・宇宙人といえばこれ タコ型火星人 などの

往年の宇宙人が勢ぞろいで幸福の科学総合本部に集結し驚きの証言をまとめあげた書籍です。

 

□*■*□*■*□*■*□*■*□*■*□*■*□*■*□*■*□

 

木星人、ケンタウルス座α星人、ベガ星人、猫型宇宙人なども登場。

 

5月20日発売 『宇宙からの使者』

 

彼らは何の目的で地球にやって来たのか?
圧倒的なスケールで語られる宇宙の秘密、そして、古代から続く地球文明との関わりとは。
宇宙人シリーズ第5弾!

 

□*■*□*■*□*■*□*■*□*■*□*■*□*■*□*■*□

 

つてプラトンが憧れた理想郷――アトランティス。

 

5月26日発売 『アトランティス文明の真相』

 

その文明最高度に発展させた指導者・トスと、最後の大王アガシャーが降臨。
現代を凌駕する科学力、異星人との共生、理神論…これまで秘されていたアトランティス文明が、いま、伝説のベールを脱ぐ!

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『エローヒムとは何か(序論)』 (5)

2011-05-07 02:13:21 | 幸福の科学・宗教・科学・医学・SP

 

本稿は、2011年4月27日北海道正心館七の日講話の内容をまとめたものです。


「イザヤ書」に登場するもう一つの「主」


 イザヤ書は、第39章までが第一イザヤによるもので、第40章以降後半が、第二イザヤによるものとされています。
皆さんもよく、 「イエスが生誕することは、旧約聖書の中で予言されていた」
と聞かれたと思いますが、それが一番明確に書かれているのが、「イザヤ書」第7章なのです。
大抵の英語版聖書は、「主」をすべて、大文字で"The LORD"と表記します。

ところが

  プロテスタント福音派系の聖書では「主」のことを、"The LORD" と、一部ですが、"the Lord"に、書き分けて表現しています。
これは、前者がヤーウェ(アドナイ)に起源を持つ「主」であるのに対し、後者がヤーウェに起源を持たない「主」(つまり「エローヒム」起源の「主」)であることを分かるようにするために、わざわざ、そのように表記しているのです。
 そして、その"ヤーウェに起源を持たない「主」"が、「イザヤ書」第7章の「イエス生誕の予言の箇所」になって、突然、登場するのですね。
私も今日は、その聖書を持ってきています。日本語版では、全て「主」になっていますが、英語版の聖書には、一部、そのように書き分けてをしているものがあります。

 つまり、イエスの生誕を予言した「主」の表記だけが、他とは違うのです。これは、語源までさかのぼってみないと、本当にわかりません。先生は、このことを仰っていたのです。
ここで、「イザヤ書」第7章13節からのくだりで、この「主」を「エローヒム」に置き換えて読んでみましょう。

 「あなた方は、エローヒムのことを煩わせるでない。それゆえ、エローヒム自らが、あなた方に一つの「しるし」を与えるであろう。
見よ、処女が身ごもっている。そして、その処女は男の子を産み、「インマヌエル」と名づけるであろう。
その子は、凝乳(ぎょうにゅう)と蜂蜜(はちみつ)を食べて育ち、やがて十分な知恵を得て、悪を退け、善を選び取るようになるであろう」

 この予言をしている「主」のみが、表記が違っており、「ヤーウェ」を意味していないのですね。

 さらに先生は
『第二イザヤのところにも、エローヒムが現れた』
と仰っていました。
これを探ってみますと、「イザヤ書」第45章のところで、実に興味深い表現が出てまいります。
読んでいるだけで、ゾクゾクしてくるくらい面白いのですが、(講話の中では仮説的に発表もしたのですが)、ここではグッとこらえて、もう一段証拠固めをして、
ヘラトリ英語版で発表するときに、併せて、日本語版の方に加筆させていただきたいと思います。

以上、結論を4点にまとめてみると、

(1)エローヒムは、特定の名前を持った「固有名詞」でもあったのだという              こと。

だから、旧約聖書は、「エローヒム」という名前を持った神(至高神)の物語だった。

(2)ヤーウェを"主"と「誤訳」したために、様々な混乱が生じたが、語源までさかのぼって、ヤーウェ起源の「主」を特定すると、世界宗教、普遍的宗教にふさわしくない「神の言動」を選りわけることができ、キリスト教、イスラム教との共通性、一貫性を見出すことができるようになるので、「宗教紛争」を乗り越えることができる。

(3)そこから必然的に出てくる結論として、新約聖書の「イエスの父」=「愛の神」はエローヒムである。キリスト教会の一部に、新約・旧約を貫く「全知全能の神」を「エホバ(ヤーウェ)」に特定したがる傾向があるが、これは誤りである。
ヤーウェの正体は、パレスチナの山の神(怒りっぽい神)であり、これと至高神(普遍神)エローヒムをモーセが混同してしまったことが、中東の紛争(悲劇)の淵源である。

(4)したがって、イスラム教のアラーも、エローヒムのことである。
このことは、旧約と新約の神を(アラーとして)認めているイスラム教の穏健派(正統派)にとっては、別に不思議なことでも何でもない。
「イエスは救世主でなく、預言者であった」と、彼らは言っているだけで、
「イエスに臨んだ神とムハンマドに臨んだ神が同じである」(アラーでありエローヒムである)
ことに、別に彼らは異存はないのである。

 実はこれが、イスラム教国で、密かにハッピーサイエンスの信者が増えている理由である。
「エル・カンターレとは、イエスの父のことなのだ」
で、彼らは十分納得する素地を持っている。

(ちなみに、穏健派イスラム教は、聖書の神を「アラー」と表記している。アラー=エローヒムであれば、これは間違いではない。)
お互いに、意外と近い距離にいるのである。偏見を持っているのは、むしろ、我々の方かもしれない。

 ですから、頑張りましょう。世界に真の平和をもたらすことができるのは、我々なのですから

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エローヒムとは何か(序論)4

2011-05-07 02:13:07 | 幸福の科学・宗教・科学・医学・SP

幸福の科学 北海道正心館

 

(本稿は、2011年4月27日北海道正心館七の日講話の内容をまとめたものです。)

中東紛争の火種となった            
ヤーウェのひと言



さらに言えば、細かくは詳述しませんけれども、
「あなた方は、私以外の神を信じてはならない」(「出エジプト記第20章)
「あなた方は、偶像を造ってはならない」(同上)
「あなた方の神であるわたしは、妬む神である」(同上)
「だから、わたしを憎む者には、父の咎(とが)を子に報い、三代、四代先まで呪ってやろう」(同上)
という言葉は、ヘブライ語の原典までさかのぼれば、「主」とは言っていますが、すべてヤーウェの言葉であることがわかります。

もう一つ付け加えれば、モーセがシナイ山で「十戒」を授かった有名な場面がありますが、そのとき、なかなかモーセが山から降りて来ないのを見て、イスラエルの民が、エジプト時代のように、子牛の像をつくって、その周りで踊ったりします。
すると、それを見たモーセは怒り狂って、こう叫びます。
「ヤーウェは、こう仰っている。『おのおの腰に剣を帯び、宿営の中を入り口から入り口へ行き巡って、自分達の兄弟、自分達の友、自分達の隣人を皆殺しにせよ』と」
そして、そのとおり実行したので、一晩で三千人が虐殺されたと、「創世記」第32章には書いてあります。しかし、真実を言えば、天地創造の神が、そんな「異常性のある行動」を命じるはずもなく、ヘブライ語の聖書までさかのぼれば、それはヤーウェの命令であり、エローヒムではなかったことが記されています
 

 さらに、「創世記」第12章の以下の言葉に戻ってみましょう。
元々アブラハムの一族は、メソポタミア(今のイラク方面)の一地方に住んでいたのですが、ヤーウェは、アブラハムに向って、
「あなたの生まれ故郷を出て、わたしが指し示す土地へ行きなさい」
と命じ、カナン(今のイスラエル)の地に向かわせます。

そして、アブラハムが一族と共に、カナンの地に入ったとき、再びヤーウェが現れて
「あなたの子孫に、わたしはこの土地を与える」
と言いました。これが今の「中東紛争」の起源です

第二次世界大戦後、英米の後ろ盾を得て、世界中のユダヤ人が移植してきて、イスラエルの地に建国したとき、この「創世記」第12章のヤーウェの言葉が根拠とされました。
「四千年近く前の言葉が根拠にされる」というのも、すごい話ですが、いずれにせよ、イスラエルという国は、これを根拠にして建国されました
その土地には、ユダヤ人もいましたが、アラブ人(パレスチナ人)が沢山住んでいました。したがって、追い出された人もいるわけですが、「神のくださった約束だから」ということで、それが「正当化」されているのです。
 

しかし、その神も、「主」とは表現されていますが、ヘブライ語の原典までさかのぼれば、「ヤーウェ」です。「エローヒム」ではありません

この二つが「旧約聖書」の中で混在していることが、問題なのです。

(もちろん断っておきますが、この議論を通じて、イスラム教の側に立っているのではありません。レジメ校正中に、オサマ・ビン・ラディンが米軍の急襲で殺害されたニュースが入ってきましたが、イスラム教サイドの問題点については、機会を改めて触れたいと思います。)

                    
                     
「イザヤ書」の秘密を解く          



今年1月16日の
「『救世の法』講義」の後半部分で、新しい論点のお話がありました。その中で、
『今日講演するにあたって、昨日いくつかの世界宗教のルーツの霊査に入りました。一神教のユダヤ教から調べに入りました。最初の頃のユダヤ民族の預言者には、モーセもそうなのですが、ヤーウェを信仰する一神教が頻繁に出てくるのですが、しかし、別の神の名前も出てきます』
と仰っしゃりながら、ここで新しく、旧約聖書の「イザヤ書」の話をされています。

「イザヤ書」には、第一イザヤ、第二イザヤという人が登場してきて(第三イザヤがいるという説もある)、この第二イザヤが、昔のリーディングでいうと、西郷隆盛なのですが、 (注 :魂の転生として)
『この第一イザヤ、第二イザヤから、神の名前を「エローヒム」と呼んでいます』 と、そこで仰っています。
『そのエローヒムが、イザヤの前に現れた理由は、その数百年後、イエスが降臨することになっていたので、その準備のためでした』
とありました。
 

ところで、この先生の御言葉は、日本語の聖書を読んでも、当然のことながら、わかりません
また、英語版の聖書で読んでも、これまで、「創世記」や「出エジプト記」を分析してきた手法では、手がかりがつかめないのです。
これをどう解読したらよいのか。

主のおっしゃった、
「イエスの降臨を準備するため」
という言葉をヒントにして、以下で解明してみましょう。

(「その5」に続く)

 

 

 

 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『エローヒムとは何か(序論)』3

2011-05-07 02:12:51 | 幸福の科学・宗教・科学・医学・SP

幸福の科学 北海道正心館

(本稿は、2011年4月27日北海道正心館七の日講話の内容をまとめたものです。)


ヤーウェの「誤訳」は、
どこから始まったのか     



 次に、旧約聖書には、ヤーウェという神が出てきますが、ユダヤ教徒でそれを「ヤーウェ」と発音する人はいません。「みだりに名前を口にしてはいけない」という戒律があって、通常は、別の名前を代名詞として使っています。
その代理の表現を「アドナイ」と発音します。
その「アドナイ」が、ギリシャ語に訳されたときに、(「代理表現」なので厳かに見えたのか)、「主」という意味のギリシャ語に訳されてしまいました。
従って、英語に訳された時は、"Lord"となり、日本語の聖書では「主」となっています。
「聖書に登場する「主」の語源が、すべて「ヤーウェ」である」
とは言いませんが、少なからぬ部分は、「ヤーウェ」を語源としています。
もちろん、根本にある原因は、「至高神エローヒムとその他の神霊の区別がつかなかったモーセの悟りの未熟さ」 ( 『黄金の法』第5章)にあるのですが、それが、聖書の上では、そのような翻訳のスタイルとなって、現われてしまったのです。)
 御法話『ヤーウェ、エホバ、アラーの正体を突き止める』によれば、ヤーウェはその後、19世紀の英国保守党の首相ディズレイリーとして生まれ変わりました。イギリスで唯一、ユダヤ人出身で首相になった人で、アフリカの植民地化を強力に推進しました。全知全能の神でも何でもありません。
また、エローヒムによれば、「ヤーウェ自身は、エチオピアかどこかの、エジプトに攻め込まれた地方の、辺境の地の小さな神がその出自であり、現代に例えれば、リビアのカダフィ大佐程度の存在だ」
とのことです。
それが実態なのですが、「主」という言葉が冠せられたために、かなりの混乱が、その後の歴史で生じました。

(「主」とは本来、「創り主」という意味であり、「エル・カンターレ」にこそ、冠せられるべきものです。)

しかし、翻訳上の経緯からいうと、そういう混乱が起きています。「主」の名の下に、ここ三千年ほど、かなり西洋人を惑わせてきたので、「幸福の科学が、ユダヤ・キリスト教の中の「砂金」(エローヒム)と「石」(ヤーウェ)を選り分けなければならない」所以(ゆえん)となっています。

聖書の中で、「主」(Lord)という言葉に出会ったときに、「それがどちらの神のことを言っているのか、内容によって見分けよう」という眼を持つと、「洗脳」がパラパラと、剥がれ落ちるのを感じます
あるいは、バチカンの麗々たる宮殿も、「音をたてて崩れる」とは言いませんが、 「張り子の虎」に見えてくる感覚に打たれます。

(西方教会(カソリック、プロテスタント等)は、一般に、「エホバ(ヤーウェ)を全知全能の神にしたがる」気が、ややありますのでね、これくらいは言っておいた方が良いと思います(笑)。)



びっくり仰天のヤーウェ発言        



 具体的に、ヤーウェ起源のいわゆる「主」の発言を見てみましょう。
ユダヤ民族の始祖はアブラハムですが、「創世記」第12章でアブラハムの前に登場する、いわゆる「主」を、ヤーウェに置き換えて読んでみます。
「ヤーウェは、アブラハムに言った。あなたの周りであなたを祝福する者たちのことは、私も祝福してあげるが、あなたを呪う者がいたら、私もその者を呪ってやる」と。
この発言を白紙の目でご覧になったら、いかがですか。
「四正道」「許す愛」を学んだ人からみたら、「おかしい」と思うはずですね。「これがイエスの言われる"天なる父"の言葉なのだろうか?」と。
「あなたを迫害する者のためにこそ祈れ」と、「あなたを呪う者をこそ許せ」と、
神ならばおっしゃるはずではないか、と思われると思います。
「許す愛」を説いて、これを修正するためにイエスが降臨された意味がよくわかります。
「これが本当に神様の言葉なのだろうか?」と思っても、
「でも、Lordの名の下に書かれていることだから、神様が呪ってもいいなら、自分達も、呪ってもかまわないのだ」
ということになって、紛争が絶えないわけです。
 
 

 次に、 「出エジプト記」の第5章を見てみましょう。
モーセが山でエローヒムに会った後、モーセと兄のアロンはパロ(エジプトの王)に会いに行って、次のように言います。
「ヤーウェはこう言っています。"私の民(イスラエルの民)を自由にして、元に戻しなさい"と」
するとパロは、こう答えます。
「ヤーウェとは誰だ?聞いたことがないね」と。
つまり、超大国エジプトの王から見ると、
「辺境のパレスチナの地の、山の神の名など、知らないよ」
というわけです。

このように、 「主」を「ヤーウェ」(辺境の地の山の神)に置き換えると、文章の意味が一変してきます。

その後、第5章以下第12章まで、パロにヤーウェの言うことを聞かせるために、ヤーウェの名の下に行われたことは、

「ナイル川の水を血の色に変えたり」、
「蛙(カエル)を大量発生させて、地を覆ったり」、
「地上の塵(ちり)を大量のブヨに変えて、人間を襲わせたり」、
「アブの大群を家々の中に侵入させたり」、
「人々の皮膚に、膿(うみ)の出る腫れ物をつくったり」、
「農作物の上に雹(ひょう)を降らせたり」、
「イナゴの大群に全土を襲わせたり」、
「エジプト人の全ての初子(ういご)の命を奪ったり」
ということです。

大体このあたりで、人は、旧約聖書が嫌いになってしまうのですね(笑)。
(実際、私の知っている人で、こういうのが原因で、最後まで「洗礼」を受けなかった人がいます。)

「これを誰が命じ、実行させたのか」というのは、実際、日本語或いは英語の聖書だけ読むと、全て「主」が命じたことになっているので、それで混乱してしまうわけです。

しかし、ヘブライ語の原典までさかのぼって紐解いてみると、「アドナイ」と書いてあって、これはヤーウェの「代名詞」のことなのですね。

これがわかると、「なぁ〜んだ」と疑問が氷解して、安心します。
これを長らく、「"神"がやったことなのだ」と信じてきた(少なくとも、信じ込もうとしてきた)わけですから、西洋三千年の歴史も、なかなか大変です。
(「その4」に続く)

 

 

 



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『エローヒムとは何か(序論)2』

2011-05-07 02:12:34 | 幸福の科学・宗教・科学・医学・SP

幸福の科学 北海道正心館

(本稿は、2011年4月27日北海道正心館七の日講話の内容をまとめたものです。)


創世記第一章は
エローヒムの書



(以下の論考は、当然のことながら、旧約聖書学でいう「エローヒム文献」(エロヒスト)、「ヤーウェ文献」(ヤーウィスト)の議論を踏まえている。但し、それらの文献学の通説と、細部において解釈が違うのは、ハッピーサイエンスの霊査による解釈を加えているからである。
講話の中では、各論すぎるので、その点に触れなかったが、レジメ上は、学問上の議論にも耐えられるように、この点を付記しておきたい。)

 聖書の冒頭、「創世記」の一番最初の文章を思い出してみてください。
「In the beginning(原書に)God created the heavens and the earth.(神は天と地を創造し給うた」 

この「God(神)」は、ヘブライ語の聖書では、「エローヒム」と書いてあります。ですから、「神」と訳さずに、「エローヒムは、天と地を創造し給うた」
と訳すべきだと主張する学者もいます。
そうすると、俄然、ハッピーサイエンス的な意味での迫力が変わってきますね。そして、その「エローヒム」が、現代に「エル・カンターレ」として生まれ変わっているのです。海外伝道は、この一行で終わってしまうことになります。
 そのあと、神(エローヒム)は、7日間でいろいろなものを創造されたのですが、まず、神、つまりエローヒムは、「光あれ」とおっしゃった。すると、「光が現れた。」
「地に植物を芽生えさせよ」と、エローヒムが仰ると、「そのようになった。」
「次にエローヒムは、二つの大きな光るものを創られた。大きいほうの光るもの(太陽)には昼をつかさどらせ、小さいほうの光るもの(月)には、夜をつかさどらせた。また星々を創られた」とあります。
これらの文章の主語がエローヒム、つまり、エル・カンターレであると解すると、「大宇宙の創造主」としての真実味を帯びてきます。
更にエローヒムは、動物を創造された後に、「いよいよ、人間を創造しよう。我々の姿に似せて」 とおっしゃいます。
(ここで「我々」と言っているのは、「エローヒム」が複数形であることに対応しています。エローヒムが「神」であると同時に「神々」(指導霊団)であることが、この一点からも明らかで、「一神教」からは説明のつかない事態なのですが、ユダヤ・キリスト教の神学は、この点について、思考停止に陥っています。
こういう事例は、聖書の到る所に、山のように出てきます。)
そして、 「エローヒムのかたちに人間を創造し、男と女を創造した」と。
(以上は、創世記第一章であるが、ちなみに、同第二章の中で、「男(アダム)の"あばら骨"から女(イブ)を創った」と主張している「神」は、エローヒムではない。結論から言うと、後述するように、それが、ヤーウェである。)
そして、「エローヒムは、彼ら人間を祝福し、「生めよ、増えよ、地を満たせ」とおっしゃった」とあります。
この表現、 
『太陽の法』の「人類創造」のくだりのタッチとよく似ていませんか。ヘブライ語までさかのぼって見ると、実はそうなっているのがよくわかります。


                       
エローヒムがモーセに                    
語りかけた部分                



その次の「出エジプト記」も重要です。ヘブライ語までさかのぼると、「出エジプト記」のどの部分が、「エローヒムがモーセに語りかけた部分」か、わかります。
ここで引用するのは、モーセがミデアンの地で、父祖の神と出会う瞬間です。
 出エジプト記の第3章を見ると、 「エローヒムは、柴の中からモーセを呼び止めて、エローヒムは、「モーセよ、モーセよ」と仰った。モーセは、「はい、ここにおります」と答えた」 とあります。
「その時に、エローヒムは仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたは靴を脱ぎなさい。あなたの立っている地は、聖なる地である」
「私(エローヒム)は、あなた方の父祖の神、アブラハムの神であるエローヒムであり、イサクの神であるエローヒムであり、ヤコブの神であるエローヒムである」と、語源までさかのぼれば、正確にはそう訳されるべき箇所が出てきます。
それに対してモーセは、「エローヒムを仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した」
とあります。エローヒムは続けて、 「私があなたを、イスラエルの民のところに遣わす」
と言います。するとモーセは、 「彼らに「あなた方の父祖の神が、私をあなた方の下に遣わした」と言えば、彼らは、「その神の名は何ですか」と尋ねるでしょう。私は、何と答えたらいいのでしょうか」 と聞き返します。
ここからが有名なくだりです。
「God said to Moses. "I am Who I am".」
このGodは、エローヒムと置き換えてください。「私は"在りて在るもの"である」と。「このようにイスラエルの民に答えなさい」とモーセに言ったのです。
この部分は、英語版の種類"I am That I am" だ、"I will be what I will be" だったりします。
これの意味を、
ハワイでのご説法『Be Positive』の中で、
「I am the origin of love.(私は愛の根源である)」と仰っています。言葉を換えれば、「世に存在しているものは、全て私から生まれたのである」とおっしゃっていました。
"I am Who I am"の解釈は、いろいろ出ていますが、私の知る中でも、この
『Be Positive』の解釈が、一番わかりやすい説明でした。
 いずれにせよ、ここが、今の西洋文明の一つの出発点なのです。
(「その3」に続く)

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『エローヒムとは何か(序論)』

2011-05-07 02:12:11 | 幸福の科学・宗教・科学・医学・SP

の科学 北海道正心館

 

『エローヒムとは何か(序論)』



(本稿は、2011年4月27日北海道正心館七の日講話の内容をまとめたものです。)


  
今日は、英語・日本語対照(バイリンガル)の聖書も持ってきました。

本日のテーマに沿った聖書の話の中でも、特に、学んでおくにふさわしい箇所を選んで、お話させていただこうと思います。
「聖書」や「エローヒム」について、ご教示があった内容であっても、これまで、「日本語や英語の聖書と照らし合わせて読んでも、よくわからなかった」と感じられることが多かったかもしれません。
その理由は、
「さらに遡って、ギリシャ語からヘブライ語(ユダヤ人の言語)へと、原典からの翻訳の経緯をたどらないと、言葉の大海の中に意味合い(文脈)が埋もれてしまって、ちんぷんかんぷんになる」 ということが起きているからです。
これは、欧米人でも、一部の専門家を除いて、知らない人が大半です。
その意味で、こういう形での「聖書解説」は、日本中どこを探してもないと思います。
(「どこを探しても」という意味は、単に、「翻訳上の問題」を指摘するだけではなく、「教えの中身」の観点を重ね合わせて、旧約聖書の「神の言葉」を分類した研究は、(主のご説法を除けば)無いはずだ」ということです。)

 





「エローヒム」は固有名詞だった



このテーマを取り上げるに至ったきっかけは、
御法話『アルファの法』の中で明かされた真実が、当会の霊的な事実として新鮮であっただけでなく、キリスト教世界の中では、"ドキっとするような驚愕の真実" を意味したはずだ」 ということによります。
 

 先生(主の本体の部分)の過去世の名前が、「1億5千年前の"エローヒム"だった」 とありましたね。これは、「聖書の世界」を根底からひっくり返す可能性を秘めた「事実」です。

 日本語の『聖書』を開くと、当然ながら、「神」という言葉が沢山出てきます。英語版では"God"にあたります。その一つ前のギリシャ語聖書でも、それに相当する「神」なる言葉が出てきます。
問題は、ヘブライ語の原典の旧約聖書には、その翻訳する前の元なる「神」のことが、「エローヒム」と書いてあるのです。
これまで多くの聖書学者は、「エローヒムとは、一般的な「神」を意味する「普通名詞」であって、特定の神の名を表した「固有名詞」ではない」と、一生懸命主張してきました。
というのは、エローヒムや、(その単数形の)「エル」は、ユダヤ民族が戦ったり征服してきた他民族をも指導してきた、普遍的な神だとみなされていたからです。
「普遍的な神様が、民族を超えて、少なくともユダヤ民族を含めた中東全域を指導していた」
ということは、ユダヤ教では認めていません。
 

 一方、考古学や神話学(宗教学)の方では、 「エローヒムとは、どう見ても、特定の個性を持った「固有名詞」だったのではないか」ということを認めている学者が、結構います。
 たとえば、前回少し触れましたが、ジョージ・ルーカスが映画「スターウォーズ」の脚本を書いた際に影響を与えたと言われている神話学者(宗教学者)に、ジョセフ・キャンベルという人がいますが、この人は、 「エローヒムは、特定の名前を持った固有名詞だ」 という立場を明確に取っています。
ユダヤ教の神学の中でも、そういう立場を取っている人がいるのです。

 ユダヤ系フランス人で、インマニュエル・レビナンスという哲学者兼ユダヤ学者がいますが、この人も、 「そもそも、"エローヒム"を始めとして、ヘブライ語における神の名前というのは、「固有名詞」として捉えないと、意味がないのだ。なぜなら、ユダヤの言葉というのは、そうなっているからだ」 とはっきり言っています。
(ちなみに、今回、レビナンスを引用するのに、「マイナーではないか」ということで、少し躊躇(ちゅうちょ)があったのですが、グーグルで"インマニュエル"を検索したら、上から4番目に出てきましたので、結構メジャーだということは知っておいてください。哲学の方では、それなりに有名です。)
凝り固まった、教会系の神学者でないところでは、結構、筋のとおった議論なのです。

 つまり、
「"エローヒム"とは、普通名詞の側面もあるけれども、そもそも、そういう名前を持った特定の神が存在していた。そして、その後もその神様は、ユダヤ民族を含めて天上界から指導をしてきて、現在も存在している。そして、現在の名前をエル・カンターレ"という」 というのが、我々の立場です。そして、この考え方というのは、「神学上、考古学上も、一定の筋がとおっている」 ということを申し上げているのです。
 

 『旧約聖書』に出てくる「神」という言葉は、元々、ヘブライ語では、「エローヒム」と書かれています。これが、現在も存在する「固有名詞」の神様だとしたら、本来、「神」という言葉は、「エローヒム」と訳さないといけないでしょう。(現に、そう主張する学者もいます。)
そして、『旧約聖書』の「神」を「エローヒム」に置き換えて読むと、実に驚くべきことを発見します。
(「その2」に続く)

 

 

 

 



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いじめは克服できる

2011-05-07 02:04:21 | 教育・いじめ問題・児童虐待・少子対策

 

5月3日、福岡県久留米市の公立高校の柔道部で、男子部員2人が1年生の男子部員の首をタオルで絞めて失神させた上、腹を踏んだり、背中にひざげりをし、その様子を携帯電話で撮影していたことが報道されました。 

社会では「犯罪」に匹敵する事件が、学校という“治外法権"の密閉空間の中で堂々と横行しています。

幸福実現党は、教育政策の柱の一つとして、「いじめのない、安心して通える学校」を掲げ、「いじめは犯罪に匹敵する」という視点に立脚した「いじめ防止法」の制定、明確な「善悪の価値観」を教える道徳教育、宗教教育の導入などを提言しています。

本日は数々のいじめ事件を解決して来たNPO団体「いじめから子供を守ろう!ネットワーク」代表の井澤一明氏と、兵庫6区支部長の栗岡まゆみ氏(いじめから子供を守ろう!ネットワーク関西副代表)をお招きし、いじめの実態と解決への道について、具体事例と共に提言を行ないます。

こちらをご覧下さい

    ↓

幸福実現TV

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カレンダー

2011年5月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

バックナンバー

  • RSS2.0