入管法上では、外国人が我が国の領海又は領空に入ることを入国と定義付けており、
その一方で、その外国人が我が国の領土内に足を踏み入れることを上陸といっており、二つの概念に分けている。
ところが、領海の国境警備は海上保安庁や海上自衛隊が所管であろうし、領空の国境警備は航空自衛隊が、領土の国境警備は警察又は陸上自衛隊が事実上請け負って入国警備全般を行っているのが実態である。
という事は、入国管理局は、上陸管理局であって外国人の上陸審査や上陸警備をしても入国管理、入国警備、入国審査を実は行っていない役所なのである。
では、どうして入国管理局といわれるようになったのかという疑問が湧いてきたのである。
そこで、歴史を紐解いてみると、どうも戦前にあった旧内務省の国境警備隊が起源ではないかと想像されるのである。
入国管理局は、戦後の1949年に外務省管理局入国管理部からスタートして外務省の外局としての入国管理庁を経て、1952年に今現在と同じ法務省入国管理局となってはいるが、戦後GHQによて解体された旧内務省警保局の保安業務の一部と統合されたのではないかと推測するのである。
つまり、戦前の国境警備では、樺太、朝鮮、満州などでは多くの人々の往来があった訳だから、事実上の入国・上陸管理や審査事務は、外務省よりも旧内務省国境警備隊が詳しかったのであろうと推測できるからである。
国境警備隊であれば、外国人が領海、領土、領空に立ち入ることに対して管理する訳であるから、確かに入国管理局となるのである。
法律上は入国、上陸と分けなくてはいけないのであろうが、一般用語として、外国人が日本領土内に足を踏み入れることを含めて広義の意味で入国という言葉が使われている現在、敢えて入国管理局ではない!上陸管理局でないか!と騒ぎ立てて言うこともないようである。
ところで、旧内務省とは今の総務省(旧自治省)や警察庁・都道府県警察本部、それに法務省の公安調査庁、入国管理局、はたまた厚生労働省、国土交通省、文科省や経産相の一部までをも包含していた強大な省であり、外国でも内務省が国内・国境の警察・警備機能を掌握している国々が多く、最も強大な権力を持つ省である国々が多いことは今も変わりがないようである。
ちなみに、戦前育ちの方々にとっては、役所の中の役所とも云われ、絶大なる権力を誇ったのが内務官僚だったのだそうだ。
【以下参考資料】
昭和11年(1936年)6月当時。
(出典:『内務省史』第1巻、大霞会編、昭和46年(1971年))
・ 内務大臣
* 秘書官、人事課、文書課、会計課、都市計画課
- 神社局
* 書記室、総務課、考証課
- 地方局
* 書記室、庶務課、行政課、財務課、事務官室
- 警保局
* 書記室、警務課、防犯課、
* 保安課(庶務係、文書係、右翼係、労働農民係、
左翼係、内鮮係、外事係)、
* 図書課(庶務係、著作権出版権登録係、検閲係、
レコード検閲係、企画係、納本係、保安係、調査室)
- 土木局
* 書記室、河川課、道路課、港湾課、
* 第一技術課、第二技術課
- 衛生局
* 書記室、保険課、予防課、防疫課、医務課
- 社会局
* 庶務課(秘書係、文書係、会計係、図書室)
* 労働部
* 書記室、労政課、
* 労務課(労働者災害扶助責任保険係)、
* 監督課
* 保険部
* 書記室、規画課、監理課、
* 組合課、医療課
* 社会部
* 書記室、保護課、
* 福利課、職業課
戦時色が濃厚になると、防空事務・国土計画を所管に加えたほか、国民精神総動員運動などの国民運動までも管理している。
なお、昭和13年(1938年)1月11日には外局であった衛生・社会両局が厚生省として分離された。