燕子花図屏風(かきつばたずびょうぶ)や
風神雷神図屏風で有名な尾形光琳、
この偉大な絵師光琳も、酒井抱一というこれまた偉大なる絵師、歌人、そして光琳の研究者であり光琳を師と仰ぐ彼の光琳作品の再評価・再発見なくして、歴史に埋もれていたのかもしれないのだそうです。
一方、その頃西洋では、あの音楽の父とまで云われ、小フーガト短調やG線上のアリアでも有名なバッハは、卓越したオルガン演奏家・専門家という評価であり、優れた作曲家という評価はなかったのだそうです。
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YouTube: Fugue in G minor / Bach 小フーガ ト短調 BWV578/バッハ
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YouTube: バッハ「G線上のアリア」 Bach "Air on G String"
ところが、春の歌や結婚行進曲などで有名なメンデルスゾーンが、バッハのマタイ受難曲という曲を、ベルリンで公演したことがきっかけとなって、バッハは作曲家として「再発見」されて高く評価されるようになったのとのことです。
つまり、抱一やメンデルスゾーンがいなければ、もしかしたら尾形光琳やヨハン・セバスチャン・バッハは今の世に出ていなかったか、或いは全く評価されていなかったかもれない・・・? などと、「たら、ればの世界」にしてもそのように考えてみると、何か運命の恐ろしさや不思議さを感じてしまいます。