同じ著者の前著を一緒に買ったのですが(参照)本書を紹介するのが遅れてました。
本書は細野氏がキャッツの有価証券報告書虚偽記載に関して二審の有罪判決を受けた頃からの支援者相手に発行していたレポート(メルマガ?)を本にしたものです。
メルマガとは言いながら、日興コーディアルの連結隠し問題などを鋭く追及し、日興コーディアル事件の捜査の端緒になったといういわくつきのものです。
前著は本人の法廷闘争という意味合いが強く、肝心のところはぼかしている感じもするのですが、本書は(その反動もあってか)すぐれた問題提起をしています(逆に舌鋒鋭すぎ、という表現も随所に見られますが)。
特に、中央青山の解体から「監査難民」の発生のメカニズムの分析のあたりは、公認会計士の内情を知っている筆者ならではのするどい分析を見せます。
ドラマ「監査法人」で取り上げられた話題や問題意識も随所に顔を見せます。
特に、新規上場企業の審査について印象的なところは
上場を目指す非上場の経営者に金などあるわけがない。金があればもとより上場などするわけがない。非上場会社は、会計監査がなければこれらの粉飾や見せ金を当然のことのように行うのであり、それを防止し、適正・適法な決算に指導しているのが公認会計士なのである。現在の風潮は、公認会計士がその社会的機能を果たしていないかのごときものがあるが、とんでもないであろう。公認会計士なかりせば、上場会社も皆こうなってしまうのである。
上場会社の中で、公認会計士の指導的機能がなければ適正な財務諸表を作成する能力がない会社はかなり多い。新興市場を中心とするベンチャー企業の多くは、公認会計士に手伝ってもらわなければ有価証券報告書そのものさえ作成することができない。(中略)ベンチャー企業の多くは、何も意図的に誤った財務諸表を作成しようとしているのではなく、企業会計原則の知識が不足しているため、どうしてよいのかわからず、結果的に適正な財務諸表の作成を誤ってしまったに過ぎない。その指導矯正を行うことなく、間違いは間違いだとしていきなり限定意見や不適正意見を出して本当にかまわないのか?
財務報告における誤りを発見し、その原因を追究するとともに、再発防止対策を講じつつ、適正な財務諸表の作成を指導するというのは、まことに骨の折れる仕事である。そんなウザッタイことなどせず、出来上がった財務諸表を見て「駄目なものは駄目」などといって、不適正意見を出すほうがはるかに簡単で手間はない。現在の日本社会は、公認会計士の指導的機能なき監査を選考しようとしているのである。
最後の部分は監査の独立性を推し進め、指導的機能は別途公認会計士的な能力を持っているコンサル(っていうのはつまり会計事務所のコンサルティング部門ですが)に頼むべき、という思想ですね。
J-Sox対応などはまさにこの考えで、会計事務所に特需が起きているわけです。
確かにこのように「基本的に善意を信頼しない」というアメリカ的なたてつけもひとつのスタイルとしてはありだと思うのですが、さらに「その前提となっている部分は本当に大丈夫なのか、それを検証しなくていいのか」と心配しだすとタマネギの皮をどこまで剥くかというような際限のない連鎖に陥ってしまいかねません。
このあたりは時代時代で振れを繰り返しながら進めていくのでしょうが、金融庁の大森泰人総務企画局企画課長の金融法務事情での「猿にマシンガン」記事が、日経ヴェリタスでなどで「問題提起」として評価されるご時勢(その前にあんた内部の人間なんだから是正するのが仕事だろう、と突っ込む人があまりいない=それこそ検査官だったら「問題を認識しながら是正を怠った」と言われてしまいますよねぇ。それとも単なるアリバイ作りなのか、実態が「外部告発」をするしかないほど深刻なのでしょうか。)なので、当分は右(だか左)だかに振り切った状態が続きそうですが・・・