福知山線の事故に関する起訴のつづき。
検察の事情については朝日新聞が意味ありげな書きぶりをしています。
異例づくし、検察対JR全面対決 宝塚線事故で社長起訴
(2009年7月9日8時6分 朝日新聞)
検察当局は通常、捜査結果を発表する際、立証の経緯説明などがそのまま外部に流れるのを嫌ってカメラを入れない。だが、今回はカメラを通じて被害者に処分結果を伝えた。最高検企画調査課も「珍しい」と話す。こうした被害者への配慮の背景には、神戸地検特有の事情があった。
兵庫県明石市で01年7月、花火大会でごった返していた歩道橋で11人が死亡する事故が起きた。県警は当時の明石署長(死亡)と副署長を業務上過失致死傷容疑で書類送検したが、地検は不起訴とし、神戸検察審査会が「起訴相当」を2度議決しても判断を変えなかった。
不起訴に納得しない遺族への最高検の対応にも不手際があり、06年に当時の検事総長が「『被害者とともに泣く検察』という言葉があるが、本当に泣いてきたのかとの声もある」と陳謝した。
「明石のトラウマ」を抱える神戸地検は、今回の捜査で被害者全員にどんな処罰を求めているかを尋ねる手紙を送り、面談を希望する人には担当検事らが直接応じてきた。
遺族の処罰感情が捜査に影響を与えたかとの問いには、「起訴は具体的な証拠に基づいた判断だ」と否定したものの、「被害者の『真相を知りたい』という声は捜査のモチベーションを高めてくれた。法廷では(遺族らが求める)JR西日本の経営責任も明らかにしたい」とも話した。
上の記事をみるとさらに検察はマーケティングか御用聞きに回っていたようにも読めます。
もっとも他の新聞を見ると、警察は送検の際にも慎重な見解だったようですし、検察内部でもかなりもめたとのことなので、もちろん単純に被害者の意向を尊重したということではないとは思いますがやはり配慮はしたような感じです。
たとえば産経新聞では
県警は昨年9月、業務上過失致死傷罪でJR西幹部ら10人を書類送検する際、山崎被告ら現場カーブ付け替え時の幹部ら5人について、最も厳しい「厳重処分」ではなく、刑事責任を問う余地はあるとする「相当処分」の意見を付けた。
毎日新聞では
検察内部では当初、経営幹部の過失責任を問うのは困難だという見方が強かった。だが、昨年春に遺族が兵庫県警に山崎社長らを告訴してから雰囲気が変わり始めた。
大阪高検と神戸地検に対し、最高検は「なぜ社長だけが予見できるのか」と慎重姿勢を崩さず、証拠の積み重ねを求めた。3回の協議の結果、最高検は了承した。
刑事裁判でも被害者の意見陳述制度や一定の犯罪には被害者参加制度が認められましたが、応法感情の満足にあまりに重きを置くと、かえって刑事裁判の公平さを欠いてしまうおそれがあるようにも思います。
法律論について、今回は今までの他の業務上過失の事件より踏み込んだ感じがしているなと思った点については、落合弁護士のブログ福知山脱線事故、公判は「予見可能性」が争点にでの解説が丁寧です。
最近、問題となった特殊業過事故としては、・・・今回の福知山事故のケースを含め、結果に最も近いところにある「直近過失」だけでなく、その前に位置する過失というものも問題にされ、複数の過失が「競合」しているとされている点に共通する特徴があると思います。
しかし、あたごの事故についてコメントしたように、先行する過失に比べて、後行する過失の度合いが著しく大きいような場合は、「競合」を認定することが不合理な場合もあると思われ、また、直近過失(福知山事故では運転士、あたご事故では衝突時の当直者、エレベーター事故では管理会社関係者)より前に位置している者は、結果から離れているだけに、予見可能性や結果回避可能性が低い、乏しい、ということになりやすいとも思われ、安易に「過失の競合」を論じ認定すると、過失責任を問われる者の範囲は不当に拡大し、人の行動の自由が大きく制約されることにもなりかねないでしょう。
その意味で、福知山事故において、神戸地検は、あたご事故やエレベーター事故で見受けられた最近の検察庁における過失認定の傾向を、さらに推し進め、従来であれば踏み込めないと思われた領域まで遂に踏み込んできた、という見方もでき、・・・JR西日本の社長が最終的に有罪になるようであれば、従来の実務が、基本的に直近過失論の立場に立ち厳格に過失責任を考えていたことから大きく踏み出し、結果が発生した以上は関連する過失をさかのぼって幅広く追及するという新たなステージへとつながる可能性もありそうです。本当にそれで良いのか、という問題意識は、やはり必要でしょう。
最後の一文は同感です。
余談ですが、国鉄時代には「順法闘争」(参照)という規則を厳密に守って運行に支障をきたすという労働組合の闘争手段がありました。
また、それに怒った乗客が暴動を起こす(上尾事件が有名ですね)というようなこともありました。
今では「停止信号です」のアナウンスで満員電車に閉じ込められても、乗客同士の小競り合いがあるくらいですから隔世の感があります。
これもコンプライアンス全盛のおかげでしょうか。
高度成長の時代は遥か昔になったということかもしれません。