一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

ゲイツ教授の誤認逮捕

2009-07-28 | よしなしごと

アメリカではハーバード大学のアフリカ系アメリカ人研究で有名なアフリカ系アメリカ人(舌噛みそう・・・)の教授が誤認逮捕された事件がオバマ大統領まで巻き込んで波紋を呼んでいましたが、収束の方向に向かうようです。

黒人教授誤認逮捕でオバマ大統領が仲裁へ
(2009年7月27日 20:39 産経新聞)



米ハーバード大(マサチューセッツ州)の黒人の教授が白人警官らにより誤認逮捕された問題をめぐり、地元警察の対応を当初、「愚かな行為」と批判したオバマ大統領は27日までに「悪意はなかった。違う言葉を使えばよかった」と釈明した。  

大統領は教授の誤認逮捕が明らかになった直後の22日に「この国では、黒人とヒスパニック(中南米系)に対し、警察が偏見を持って職務質問を行ってきた長い歴史がある」とし、「潜在的な偏見を取り除く必要がある」と主張していた。しかし、警察側は「偏見を持って今回の捜査を進めたわけではない」として、大統領の発言に強く反発していた。  

ゲイツ教授はAP通信に対して、「この事件は、米国の人種関係の歴史の中で深みのある教訓になりうるし、教訓にすべきだ。私は、警察が目標の実現に向かって私と一緒に邁進(まいしん)する道を選んでくれることを心から期待している」との声明を出した。  

ゲイツ教授はオバマ大統領が“和解”を呼びかけるまでは、米社会で人種間の軋轢(あつれき)を起こす原因となってきた、「偏見に基づく警察の捜査手法が再び行われた」として、提訴する構えを見せていた。  


一方で警察も、人種差別的な意図はなかったと主張しています。
911 caller in Gates arrest never referred to 'black suspects'
(2009年7月27日 CNN.com この記事の中で警察への通報の録音も聴くことができます(こちら))  

オバマ大統領の対応が巧みだったのか、ゲイツ教授が冷静になったのがよかったのか、警察も毅然と主張すべきを主張したのがよかったのか、マスコミも片方に一方的に肩入れできない問題なので「バッシング」にならなかったのかはわかりませんが、「不必要に炎上させたくない」という暗黙の同意があるようで、それだけにアメリカにおける人種問題のデリケートさ、根深さを感じます。


〈追記〉
上の911の録音、気になっていたので聞き返してみたのですが、通報を受けた警官は最初の方で「ヒスパニックか?」って言ってるように聞こえます。
そっちの方は問題になんないのでしょうか?
〈追記終わり〉


事件の経緯と双方の主張はこちらを参照
ハーバード大教授が警官とトラブルで逮捕 黒人研究の権威
(2009年7月21日 CNN.co.jp)  



警察の報告書によると、16日、大学近くにある同教授の自宅のドアをこじ開けようとしている男がいるとの通報があり、警察官が駆けつけた。  自宅から出てきたゲイツ教授に警察官は、住居侵入の通報があったので調べていると説明。これに対してゲイツ教授は「なぜだ、私が黒人だからか」とかみついたとされる。その後もゲイツ教授が、警察官は人種差別主義者だなどとののしるのをやめなかったため、秩序を乱した疑いなどで逮捕したとしている。  

一方、ゲイツ教授側は、弁護士と同僚教授の連名で談話を発表し、中国訪問から帰宅したところ玄関ドアが壊れていたのでこじ開けようとしたと説明した。  

警察側の報告書では、ゲイツ教授に本人確認を求めたが応じてもらえなかったとしているのに対し、ゲイツ教授側は警察官に大学の身分証明書と運転免許証を見せたと主張。逆に、警察官に氏名などを尋ねたが答えてもらえなかったとしている。


 

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『これで古典がよくわかる』

2009-07-28 | 乱読日記

『橋本治と内田樹』のあとに久しぶりに橋本治の本を読んでみようと積読(しまっとく)してあったものを取り出す。   

今のブログブームは、漢文から和漢混淆文、そして漢字かな混じり文に至る中で生まれた日本人の「随筆」好きにルーツがあったんですね。(この本自体は1997年の発行で橋本治はインターネットを全く使わないそうなので当然ブログには言及してませんが)  

「日記は構えて書かなくちゃいけないが、随筆は楽に書ける」という常識を、清少納言という女性は、作ってくれたんですね。それで日本は楽になりました。つまり「男の日記はちゃんとした漢文で書かなくちゃ恥ずかしいが、随筆ならそんなに構えて書かなくてもいいんじゃないのか?」という雰囲気が生まれたということです。  

江戸時代になったら、もうそういうものがゴマンとあります。「メモ」とか「走り書き」とかも含めた「身辺雑記」のたぐいや、自分で勝手に考えた「歴史の考証」とか  

そして、「つれづれ○○」というブログが多いのは、まさに『徒然草』がブログの先達だったからでした。  

吉田兼好、本名卜部兼好は10代の頃から蔵人として後二条天皇に仕えていたのですが後二条天皇がなくなると、職を失います。
しかしブラブラしていられるくらいの経済状態にはあった卜部君は再就職はせず、「つれづれ」状態になって「日くらし、硯(スズリ)にむかひて、心に移りゆくよしなし事(ゴト)を、そこはかとなく書きつく」ることになったわけです。
そして30歳過ぎで出家し(出家すると苗字はつかないが吉田神社と関係が深かったので)「吉田の兼好」と呼ばれるようになります。  

その卜部君は『徒然草』でこんなことを書いています。  

六月の比、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるも、あはれなり。六月祓(ミナヅキバラヘ)、またをかし。  
(中略)
言ひつゞくれば、みな源氏物語・枕草子などにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。
(第十九段 折節の移り変るこそ)

「こうやって言い続けると、みんな『源氏物語』や『枕草子』なんかで言い古されているのに似てるけど、同じことだからって今ここで言わないわけじゃないぞ、なにしろ、思ってること言わないのは欲求不満になる行為なんだから、筆に任せてつまんない暇つぶしで、すぐに破り捨てちゃうもんなんだから」
(橋本治の訳)  

ブログを書いていて、思っていることを書いてみたんだけど、けっこうありきたりでオリジナリティないじゃん、という経験はしばしばありますが、鎌倉時代の卜部君も同じようなことを考えていたんですね。  

昔の人も今と同じような喜怒哀楽を抱えていたわけで、暗記でなく「昔の人の日本語」に慣れるというアプローチが大事だよ、と本書は言ってます。

ブログも十年一日どころか現代人の「数百年一日」ぶりを示すの証拠くらいに考えて、これからもボチボチ続けていけばいいんですね。

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