一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『震災復興 欺瞞の構図』

2012-05-08 | 東日本大震災

一言で言えば著者の主張はつぎのとおり

東日本大震災で被災した人々を直接助ければ4兆円の復興費ですむ。個人財産を政府の費用ですべて復旧したとしても6兆円ですむ。19兆円から23兆円と言われる復興費も要らないし、そのための10.5兆円の増税も必要ない。にもかかわらず。なぜ震災復興に巨額の効果のないお金が使われるのか。それは政治が、人々を政治に依存させようとしているからである。

これだけ読むと陰謀論・トンデモ本に思われるかもしれませんが、分析の内容はまともですし、復興におきがちな非効率のメカニズムについては示唆に富むところが非常に多い本です。
 
震災がらみの費用・支出については、その多寡や是非を問うこと自体がはばかられるような雰囲気もあるなかで、冷静に分析し、批判すべきは批判しているところは、勇気ある本でもあります。


まず著者はそもそも東日本大震災で16.9兆円の部的資産が破壊されたという政府の見積もりは、日本国民の一人当たりの物的資産額や自治体の推計に照らして過大である、震災復興予算の総額を23兆円、深刻な被害にあった被災者を50万人とすると、一人当たり4600万円の復興費をかけることになると指摘します。

そして、過去に奥尻島では島民一人当たり1620万円の復興費をかけたにもかかわらず復興どころか島民の減少は続いたこと。阪神大震災においては被災者一人当たり4000万円かけたにもかかわらず長田区の空きの目立つ商業施設のような無駄な投資や神戸市が従来からの開発計画投資に振り向けられてしまったこと。解体までいれると戸あたり500万円かかる仮設住宅の効率性への疑問などを検証します。


また、今回の復興計画についても、瓦礫費用(著者の推計では一次補正予算の額も過大)の二重計上や震災復興とは関係ない項目が雑多に並んでいること、巨大な公共事業は時間がかかるため、かえって地場産業の復興を遅らせ、人口流出を加速させるデメリットが多いことも指摘します。  

雇用創出とは、震災前の東日本にあった生業を再建することではないか。  節電も林業の復興もエコタウンもレアアースの安定供給も配合飼料の価格安定も震災とは本来関係ないではないか。  

ちなみにこれは公共事業の本質に関わっていて、経済効果の高いインフラ事業を促進した場合には地元はその恩恵をすぐに享受するために政治の支持基盤もすぐに弱体化する反面、経済的に非効率な公共事業を推進すると事業予算の消化を自己目的とした土木工事を延々と続けることで集票組織を維持できる、という研究成果が引用されています。  


そして、復興のポイントとして、政府は公的部門が新しい産業を興すという過去一度も成功したことのない絵空事を描く前に、元からあった東北の産業を早期に復活させるべきとします。  
具体的には、東北の所得の源は農業・漁業・観光と、90年代後半から誘致が進んだ電子・自動車のサプライチェーンにあり、電子・自動車のサプライチェーンは既に民間企業により復活している。農業・漁業は人的資本はあるが物的資本が毀損した状態にあるので、個人財産(漁船など)の復活を援助するのが最も安価な復興支援策になると主張します。  

中央集権組織は、地域の実情について何も知らない。地域が復興するとは、東北の所得の源を復活させることだ。それは個々の人々の個人採算の復活になる。組織の役割は、個人財産の復活が不公平にならない仕組みをつくり、それがきちんと機能するように監督することではないだろうか。このような機能は、(注:復興庁を作らずとも)既存の組織でも果たせるのではないか。    


さらに、復興計画についても効率性の必要を説きます。  
たとえば高台移転についても、皆横並びで時間と費用のかかる高台移転をせずとも、リスクはあるが危険ではない床上浸水以下の被害にあった地域を(一定の防災対策をとったうえで)可住地域にすれば居住を放棄するのは10%で済む、そして、費用のかかる田畑の除塩も、住宅用地として買い上げて他所に移転する等で効率的に整備できるとします。


被災地を見ると、未だに必要な支援が行きわたっていないと思うことも多いですが、それは全体額が足りないのではなく、配分の非効率の問題だ、ということを、テンポのいい語り口に憤りをこめて熱く解説しています。

以前「復興庁ではなく査定庁」宮城知事、復興交付金に怒りあらわ(2012年03月03日 河北新報) というニュースもありましたが、(時間がなかったという事情はあるかもしれませんが)宮城県も震災前の事業計画を要求に入れてきたりしている部分もあったというような話も聞こえてきます。

報道では「善玉・悪玉」という切り口で語られがちですが、被災地の当事者の中にもそれぞれの事情や利害関係があるわけで、巨額の国費を支出する以上、その有効性・ムダの排除をしっかり見極めるべきだと思います。


若干違和感のあったところは、漁業についてのくだり。
著者は民間企業の参入(それは乱獲をもたらすだけ)よりは個人財産(漁船など)の補償が復興への近道と主張しています。
ただ、現地では数多くの漁港が堤防の損壊や地盤沈下という被害を受け、漁港の再建自体にかなりの土木工事が必要です。 漁港が整備されなければ漁船があっても漁業はできません。
一方で宮城県・岩手県で200を超える数の小規模漁港があり(参照)、早期かつ効率的な復興を考えれば、全ての港に予算を振り向けるのでなく集約化についても議論が必要になるように思います。
それに、企業が進出するとすれば、経営規模が小さい沿岸漁業でなく養殖業が主になるようにも思うので、そこの基盤整備に民間資金を入れさせれば収奪漁法のようなことも起きないように思います。  


予算は一度通ると検証されないという日本のまずい癖を省みるとともに、復興において何が有効なのか、国と地方自治体と被災者個人の負担はどうあるべきなのかを改めて考え直すにはおすすめです。


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