一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

大船渡市

2011-08-12 | 東日本大震災
次の日は昨日の帰り道を戻って大船渡へ。
Googleマップ参照)

前日に三陸道のインターを降りたあたりで給油をしたのですが、郊外は通常の生活をしていました。
ロードサイドのコメリやケーズデンキだけでなくパチンコ屋の駐車場にもけっこう車がとまっていたのが印象的でした。

県道230号線を市街地に入っても、盛駅のあたりまでは津波の痕を感じません。

ところが県道が大船渡線を超えたあたりから急に建物がなくなります。


この建物がちょうど境目。
写真は南側から盛駅のほうを向いているので、この奥に無傷な地域が広がっています。
実際は盛駅周辺まで浸水したようですが、あまり大きな被害はなさそうでした。




反対側はこう



この方向(県道の東側)は工場地帯なのですが、建物が解体され整地されているところと、瓦礫の集積所になっているところ。
写真の手前部分を見ると建物の基礎(杭は別でしょうが)まできれいになっているのが他の町と比べて印象的です。


周りを見渡すともちろん片付け中の建物もありますが




既に復旧した建物もあります。




大船渡市で印象的だったのが、瓦礫撤去などの工事が整然と行なわれていること。



交差点には誘導員がいて、一般車両や工事車両を誘導しています。


さらにこれ



ホコリが舞わないように散水車が水をまいていたのも大船渡だけでした。
画面中央は重機が青い機械に鉄くずを入れると、青い機械がそれをプレスして立方体の塊にしているところ。
白いバンの後ろに立方体になった鉄くずが積み上げられています。



ゲートは津波で壊されてしまいましたが埠頭もきれいに片付いています。





岸壁から陸側をのぞむ

http://blogimg.goo.n



ところが市街地の方は景色が一変します。



被害に遭った建物や瓦礫が放置されたままです。



さらに南(湾方向)に行くとさらに被害が大きくなっています。




大船渡駅前。以前は画面中央に駅舎があったようですが、今はホームしか残っていません。





魚市場はさらに南にありますが、こちらは再開しています。





大船渡には太平洋セメントの大きな工場があり、被災しているにもかかわらず復旧しながら操業していました。




セメントを焼く炉は高温で金属以外のがれきを焼却する能力が高いため、被災して停止した3つの炉のうちの一つを早い段階で復旧させ、瓦礫の焼却をおこなっていたそうです。
この試みはさらに次のステップに進んでいるようです。
東日本大震災:津波がれき、セメントに 太平洋セメント、大船渡に脱塩施設



大船渡市は産業の復旧に優先順位をおいているように見えます。
住宅が被災した住民には避難所や仮設住宅で手当てをして限られた予算を重点配分することは大事だと思います。

ただこれは比較的被害の少なかった後背地があって、しかも財政的・人員的に大きな「市」であるから出来ることかもしれません。
大船渡湾にも湾口防波堤があり、これが一定程度被害の減少に役立ったということもあるでしょう。
さらに太平洋セメントのような大企業の工場が復旧して稼動している=従業員の生活が維持されていることも大きいと思います。


ただ残念ながら、今回まわった町の中では(被害が比較的軽かった宮古・塩竃を除くと)この大船渡が一番復旧(片付け)が進んでいる印象をうけました。
この状態がいちばんまし、という程度にしか復旧が進んでいないというのが現実です。




※ 関連エントリはこちらから被災地に行ってきました。

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