初回放送が1998年「文豪の恋文」を題材にした番組を先週 NHKアーカイブス
でやっており 録画してあった谷崎潤一郎の恋文を 昨日観ました。
生涯に三度結婚した恋多き男 谷崎潤一郎が 三番目の妻となる松子にあて
書いたラブレターが何通か紹介されました。松子は谷崎が死ぬまで寄り添った
妻になります。
最初の妻 千代との婚礼写真です。谷崎は妻の妹 女優のせい子とねんごろ
になり せい子をモデルに『痴人の愛』を書きあげますが 妻との仲は冷え
その後 妻千代を 佐藤春夫に譲ることになります ⇒ 秋刀魚の歌
この「妻譲渡事件」は新聞にも掲載され 当時たいへんな話題となる中 取材に
来た若い女性記者で 20歳も歳下の古川丁未子と 谷崎は2度目の結婚をします。
このとき谷崎42歳です。
大正12年 関東大震災で被災した谷崎は芦屋に居を移し 友人の芥川龍之介から
紹介された 船場の豪商根津家の若奥さまで 夫も子もいる根津松子に一目ぼれし
せっせと連日 恋文を送るようになります。
このころの谷崎は 小説家としての地位も固まり 妻譲渡事件でますます有名に
なったそんな人物から 連日 熱い思いをつづった達筆の恋文が届けば 女なら
だれしも心が揺れます。
谷崎はつぎに出す小説の挿し絵を 松子に似た女性にするとまで言い 御寮人様
とは松子のことです。
夫のほうとう癖と女遊びに悩んでいた松子は やがて谷崎と密会するようになります。
谷崎は松子と会うための隠れ家まで建て あいびきを重ねます。今でいうW不倫です。
今も残るこの隠れ家で『春琴抄』が書かれました。
谷崎は二番目の妻と 松子は夫と それぞれ離婚し 昭和10年谷崎は三度目の結婚を
します。知り合ってから9年の歳月が流れ 谷崎50歳・松子は32歳になっていました。
谷崎は結婚してからも 松子に恋文を綴りつづけます。その文面は最初から変わらずに
松子を 御寮人様としたためてありました。
二人が住んだ 倚松庵(いしょうあん)で 谷崎は次々と作品を発表し『細雪』は
倚松庵で執筆したといわれます。
細雪は 松子の4人姉妹がモデルとされており 松子は上から2番目の 小説では幸子です。
大阪の造船所の令嬢として生まれ 豪商へ嫁いだ松子には 生まれついてのはんなりとした
世界が身に付いており 細雪は大衆の支持を得てベストセラーとなって 時代を越えて何度も
くり返し 映画や舞台で演じられてきました。
谷崎の何十年にも渡る女性遍歴を思うと 東出・大也氏の不倫や浮気はかわいいものです。
谷崎が言う創作の女神さまを求め 女性の間を エネルギッシュに飛びまわった生涯でした。
最初の妻の妹との 道ならぬ恋から『痴人の愛』が生まれ 妻譲渡事件からは佐藤春夫の
『秋刀魚の歌』が書かれ 人妻であった松子との不倫から『細雪』『卍』が誕生したと思えば
谷崎のしてきたことは 結果的には 世に不朽の名作をおくり出したことになります。
谷崎が品行方正な男であれば あの数々の 当時としては発禁ものの小説が生まれることは
なかったでしょう。
崇拝する高貴の女性がいなければ 創作ができない と恋文に綴った谷崎に 松子の存在とは
なにものにも代えがたい 創作の泉になったようです。
ついつい長くなりました 最後まで読んでいただき ありがとうございました。