朝ドラ『らんまん』があと数回になりました。半年はすぐに来ます。
牧野富太郎から 次のブギの女王へと バトンは渡ることになります。
5ヵ月ぶりに牧野植物園へ行ってみました。温室へ続く回廊は ミスト
シャワーが降りそそぎ涼しいです。
今回は MAKINO 植物の肖像展をやっていました。
富太郎が各地で採取した植物は真新しい新聞にはさむそうで シワくちゃの
新聞では植物に余計なシワがつくのでダメとのこと。 ↓富太郎が使った新聞紙
5ヵ月前も多くの写真が展示されていましたが 一部入れ替わっていました。
牧野富太郎を作りあげた 糟糠の妻スエコ 36才と50才のとき。
富太郎が50才を過ぎたころ 借金でどうにも立ち行かず 植物標本10万点を海外へ
売ることになったとき 当時京都大の学生であった池長孟が 借金3万円を肩代わり
してくれ 富太郎は困窮を脱する。
池長は買い取った標本を 設立した池長植物研究所に所蔵し その後も富太郎の
研究費を援助する。 池長研究所開所式の 前列中央が富太郎と池長孟。
富太郎と池長孟。イスに座るは東大の松村任三 (らんまんの田中哲司)
13人の子どものうち7人が育ったといわれる 富太郎の娘・孫・ひ孫?たち。
晩年の富太郎を次女の鶴代が世話したと言われており 富太郎亡きあと
高知市に作られた牧野植物園に 鶴代から富太郎の蔵書5万冊が寄贈された。
牧野富太郎の生涯は ぶれることなく一直線に走り続け 若いころは
実家からの送金 結婚してからは妻の献身と稼ぎに支えられ 借金地獄の
壮年期には 救世主の池長孟が現れるという
なんと幸せな人生だったことでしょう。これらは富太郎の持つ魅力に
運命が開けて行ったと思います。
ギャラリーへ通じる回廊に 富太郎が名付けた キイジョウロウホトトギスが
一輪だけ咲き残っていました。
長くなりました 読んでいただき ありがとうございました。
先日まで、大垣奥の細道結びの地記念館で、『飯沼慾斎と牧野富太郎』という展示をやっていました。飯沼慾斎は、江戸後期の大垣の本草学者で、慾斎を敬愛していた牧野は、慾斎の『増訂草木図説』を念頭に、植物誌の構想をねったようです。牧野自身も大垣を何回かおとずれ、伊吹山麓で植物採集を行っています。
会場には、牧野の植物標本(東京科学博物館から)がいくつか展示してあり、感動しました。
9月が去るのが寂しいです。
非常に良くできたドラマでした。
今朝は早川さんまで登場♪
私は、今また、伝記のように書かれている本を読んでます(池波正太郎著)。
登場人物との別れが淋しいです。
土佐からの記事いつも感謝です。
演じてる神木君は 明るくて 朝から気持ちが良いドラマですね。
実際と ドラマは違う事もあるでしょうが
生涯 植物に関わり続けて 幸せな人生でしたね。
借金も多かったとか?
誰かの助けがあるのも 「天才」なのでしょうね?
このドラマに 私の好きな「南総里見八犬伝」の話しがあり
この先「南方熊楠」の天才がどう関わってくるか
楽しみです。
借金を実家と妻に任せて、さらなる大借金は救世主が救う。
でも牧野は少しも感じていなかったのでは? ドラマの萬太郎は壽惠子に気をつかっていますが。
心持ちとしては皇室の貴賓並みであったかのように思います。
おそらく借金は知っていても、どう言うものかも知らず、知ろうともしない人任せ
まさに学者道以外は感心なかったのでしょう。
貸し主も返済を迫ったこともあるでしょうが、子供相手をしているようで、ピント外れ、呆れて壽惠子の方に行ったんでしょう。
周りは大迷惑をこうむっていたが、本人は知らなかったのでは
ある意味、めったにいない幸せな人だったんですね。
借金に負けないくらい子供も作りましたね
当時は10人くらいは珍しくはなかったようですが。
貧乏暮らしでもやっていける時代だったんですね。
新しいものでないといけないというのも興味深く読みました
来週あたりはかんとうだいしんさいでしょうか
熊楠名前は聞いたことがありますので有名な人なんでしょうね何をした人化は知りませんけど
もう少しで終わりと思うと寂しいですランマンロスになりそうですブギウギも楽しみですけどね
子供たちも大きくなり家のことはやってもらえるのはすえこさんもたすかりますね
キバナジョウロウ切れな花ですよね
私も一時植えたことがありました
牧野富太郎は究極の学者オタク(オタク学者の方がいい?)ですね。運もありますが、なかなかあんな具合にはいきません。今はおまけに、小泉改革以来、企業家センスや政治家的嗅覚をもった学者(本物?)に光があたるので、残念ながら日本ではもう、学者らしい学者は育たないのではないかと思っています。
あと何回
たった15分のドラマですが
心にもインパクトを与えるドラマですね
くりまんじゅうさんの副読本もステキです
残りを楽しみたいと思います
『らんまん』は今月中旬から急にスピードアップとなり富太郎夫婦も
白髪が目立ちます。大垣市には富太郎が目標とする江戸後期の大沼先輩がおり
牧野植物図鑑はきっとこの 先輩の影響が大きいでしょうね。
以前 遅生さまが伊吹山のことを載せておられました。今の時季は
シモツケソウなどが咲き乱れている 昔見た鮮やかな色が脳裏に浮かびますが
他の人のblogによると 異常気象と鹿の害でとても花が少なく その写真も
載せておられ胸が痛みました。山にはあちこち規制があり花の近くへは
行けないとも書いてありました。
富太郎のやり方でのし上がるのは これが現代なら出来ないことでしょう。
富太郎は世界に名前が残る人物になりましたが 支えた多くの踏み台が
うまく噛みあった結果と 何事にもくじけない不屈の精神があったから
でしょうね 土佐のいごっそうです。
朝ドラのまだ初めの頃 富太郎の祖母がいとこの猶(ドラマでは綾)
との結婚を勧めますね。実際2人は結婚し 猶を残して富太郎は供の者と上京して
スエコと恋に落ち一緒になりました。その時点でスエコは愛人という身分です。
国元の妻猶は祖母亡きあとも富太郎に仕送りを続け スエコとも仲が良かった
とのことでした。綾と竹雄が一緒になりましたね あれは事実みたいです。
これらの事実は 高知新聞にも載りました。
牧野富太郎を知らない人は割とたくさんいます。私も県外人なら多分
知らなかったと思います。あの時代に94才まで生きた富太郎は若い頃から
草木を採取しに 日本国中歩いたから長生きできたような気がします。
スエコが嫁入り前から大切にしてきた「南総里見八犬伝」は何度も質草に
なりましたね。それと南方熊楠を私は知りませんでした。
植物学者として有名な人なんですね。新たな人が出て来るのに残りが
あと数回となると どう展開するのか気になります。