一昨日の高新一面の『河田小龍の肖像写真発見』がまず目にとまりました。
河田小龍は 幕末から明治にかけ活躍した土佐の絵師で 米国から帰国した
ジョン万次郎を自宅に住まわせ 異国での見聞きを綴った 『漂巽紀畧』 は
坂本龍馬にも大きな影響を与えたといわれます。
小龍の生誕地は はりまや橋近くにあり その場所には石碑が立っています。
今回の発見は 京都に住む小龍の子孫宅で見つかったもので 27面には
小龍と 妻・照の全身写真が載っていました。
和装に山高帽という姿から 小龍はなかなかのハイカラさんだったようで
70才ごろの写真といわれます。
これらの写真は今秋 県立美術館で開催予定の『生誕200年 河田小龍』展の
準備のため 子息宅で膨大な資料を調査中に学芸員が見つけたもので 現在の
所有者である子孫も 把握してなかったと書かれています。
もっと鮮明な写真がありましたので 9月11日追加しました。
照夫人の頬が 墨で汚れており残念です。
もう3年前のblog記事になりますが お世話になる歯医者さんに 小龍の掛け軸
二幅がかかっており うまいなぁと感心しました。
『生誕200年 河田小龍』展に みごとなこの鶴も 展示されたら嬉しいです。
2021年11月2日のブログ記事一覧-くりまんじゅうの日記 (goo.ne.jp)
異国の文化や様々なことがらを聞きとり 著書にした『標巽紀畧』が
後の龍馬に大きな影響を与えたところが いちばんの成果でしょうか。
はりまや橋近くの小龍邸は画塾『墨雲洞』でしたが そこに集う龍馬・彌太郎・半平太
など維新の志士たちの勉強塾にもなっていたようで
これらからも 若者に慕われる小龍の人柄がうかがえます。
土佐には河田小龍の描いた絵馬がかかる神社もあります。
小龍は美人画も描いており 長生きしましたので作品は多いと思います。
石碑の小龍は1898年に弟子が描いたものといわれており
小龍といえばこの顔になります。1898年に亡くなっていますの
これが最晩年の肖像画になりますね。
土佐を出て京都へ居を移したのち 10年後に亡くなっており
京都の等持院に葬られているそうです。
今もご子孫は京都にお住いで 11月に県立美術館で
開催予定の『生誕200年 河田小龍』
の準備のため 学芸員が子息宅の膨大な資料の中から
今回の写真を見つけた と新聞に載っていました。
子孫様たちも この写真について把握してなかったそうですので
学芸員の熱心さに 小龍が答えたということでしょう。
捨てられてなくて良かったです。
さすが 学芸員が自宅に入って…でなければ お宝を見分けるのも大変でしょう。
人柄が伝わってくる いい写真です。