曇り空を心配しつつ 朝早くバスに乗り48名が出発は お化粧が
終った姫路城と 旧閑谷学校へ行くためです。
姫路市にお昼前に着き ホテルにて 早い昼食です
昨年 シートを被った姫路城へ行きましたが 世界遺産姫路城が
白鷺城の名の通り 白く美しい姿を見せてくれ 土佐のしっくいが
使われていると聞きました
10月桜が満開で 菊花展もやっていました
天守閣から 千姫が暮らした 西の丸が見えます
大改修前は こんな太い柱が お城を支えていたのですね
姫路城をあとに 次に向かうは 岡山県にある 日本最古の公立学校
旧閑谷学校です
武士の子孫が学ぶ藩校はありましたが 貧しい庶民は 子どもを教育
出来ずおり 庶民の学校 地方のリーダーを育てる学校として 1670年
藩主池田光政が開校した 旧閑谷学校で 多くの人材が育ちました。
外の廊下から 中がうかがえますが 木の床はピカピカに磨き上げられ
外の紅葉を映します。
円座に座り 多くの子どもが 学問を身につけました。
旧閑谷学校は 10年ほど前に来たことがあり 聖廟前の 一対の楷の木が
赤と黄色に美しく紅葉していました ↓は絵葉書です
期待して行きましたが ここ数年 気象関係か 以前ほど紅葉しなくなり
残念です とガイド氏が言います 暗くなると ライトアップされます
もう一つ また見たいと思い このツアーに申し込んだのは 10年前にも
感動した みごとな石垣 石塀です
校地を ぐるり取り巻くみごとな石塀は 石工技術の結晶といわれます
楷の紅葉は残念でしたが 旧閑谷学校は しんとした空気の中にあり
身の引き締まる思いがして 来て良かったと思いました。
え~~と 父ちゃんへのお土産は 龍野のSAで買った カブ2束240円也
外のテントでなく 店の中のお菓子類に並んであり SAも変化しました。
さっそく 浅漬けにしました 明朝は食べられます。
blog友さんが手帳のことを載せておられ そうだ 来年の手帳を買わねばです。
仕事を卒業すると 手帳は必需品でなくなりますが すぐ忘れる頭になった今
予定を書き込んでおかねば 母の病院日など抜かります。
薄くてコンパクト ひと月分が一目で見られるB6版 それプラス絶対条件として
日曜始まりでないと 使いこなせません。
3年ほど前 本屋に並ぶ手帳が ほとんど月曜始まりとなり 買ってみましたが
古い頭脳の ソフト切り替えは容易に出来ず 日曜始まりに買い替えました。
高橋の手帳は もう何年も使いますが 以前 ご意見をどうぞとの葉書があり
日曜始まりの手帳を 廃版にしないでくださいと書き 送りました。
田舎のばばの願いをくみ取ってくれたのか 以降 日曜始まりが結構並びます。
100均にも手帳があり 今年はそれを使いましたが 1つ残念は 日付の数字が
字が小さく 色も薄くで とても見えにくいことです。
昨年は高橋 今年は100均 来年は また高橋に戻ります。
来年1年間の ついうっかりを防いでくれると思えば 税込1,134円は安いものです。
昔はたくさんあった生地屋さんが 今はほとんどなくなり あっても
高価なものばかりです。
そこで 手頃なものを求めて 8月下旬におばさん4人で 松山市の
生地屋さんへ行きました。
広いお店に ずらり並ぶ反物の巻は 地元で見られぬ景色のため
おばさんたちは興奮し 予算オーバーで買いました。
その昔 母が妹を背に負い着ていた なかこ(ねんねこ半纏)と同じ
柄の綿ニットがあり なつかしさに買いました。
妹が生まれたとき 小学生だった私の うっすら記憶に残るなかこは
黒ビロードの襟付で 妹を背に 母はいつも忙しそうでした。
↑を縫うと 前身頃分しか生地が残らず それをタンスに仕舞うと
結局なんにも使われず いつしか捨てることになります。
薄いセーター状の 半端に残った黒ニットと組み合わせ 背中を
長めに縫いました。
これからの季節 おしりが暖かいですが 黒地はほこりが目立ち
出かけるときは ガムテープをカバンに入れて となりそうです。
今年3度目の台湾出張から 2週間ぶりに帰った夫が
欲しかったろ ほい とカバンから からすみの箱を出しました。
7月の出張時に 高価なチョコを買って帰り これを買うなら なぜ からすみを
買うて来てくれんのか と妻の言葉を思い出したのか
と思ったら 現地関連会社の会長が おみやげに持たせてくれた そうで 会長は
手渡すとき 流ちょうな日本語で言ったそうです。
今食べるのではなく お正月に食べてください 台湾でも お正月に食べます
冷蔵庫に入れて 冷凍はいけませんよ
9月の出張時に 現地三越デパートへ行き 1つが 8,000~ 10,000円の値段に
驚き 諦めていたからすみです。
八つ橋をお土産に持って行き 1つが350gある 特大からすみを 2つももらうとは
申し訳ないことですが 妻としてはとても嬉しい。
43年前夫が初めて訪れた台湾で 4歳上の会長は当時平社員 日本留学の
経験がある彼は かたことの日本語だったそうです。
以来 夫は何十回となく台湾出張をし 彼も何度も日本を訪れ 夫は定年退職
しました。
勤務する会社の 社長から会長へと出世した彼は お互いが20代の頃の 苦労した
昔を語り お城のような自宅へも招かれたそうです。
43年前 わずか2歳だった 彼の娘さんも来てくれ 彼女に今はもう 大学生の息子が
いると聞き 時の流れを感じたと 夫は言います。
来年は70歳になる自分に もう 出張の話は来ないだろう 台湾も これが最後かね
と出た夫に 会長も 同じことを感じたのでしょう。
からすみはお正月にいただきます ありがとうございました。