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僕の評価と世間的に大きく評価の分かれる監督にジャン=リュック・ゴタールがいる彼のフランス映画におけるヌーヴェルヴァーグの代表作である勝手にしやがれは名作中の名作の評判だが、この映画のどこが良いのか僕にはわからない(2回観ても良さがわからなかったね)他にも何作か彼の映画を観ているが、軽蔑という映画にしてもそれほど褒められる映画ではないと思っている
気狂いピエロが少し面白かったぐらいかな
しかし僕がこのブログを始めてから1回もジャン=リュック・ゴタール監督の作品を観たことが無いし、したがって1回もレビューした事が無いのだ
別に彼の映画を記事にするためではないけれど、面白くないことを覚悟で今回ジャン=リュック・ゴタール監督作品の男性・女性を観た
最初に感想を述べるのも、気が引けるが実に自由奔放に撮った彼の映画という感じだったこの自由奔放さが非常に面白いのだ
この当時のフランスの若者たちの日常を15章?に分けて描かれているが、いかにもアメリカ嫌いのようなゴタールらしい作品であり、この今までの発想に無いような映画を撮った傑作しかし、驚くのがこの映画が1966年の映画ということである
僕が生まれる前の映画に対して、今まで僕が観てきた映画の中でもかなり異質な映画に思える正直この映画のストーリーはどうでもいい
だいたいゴタールの映画はストーリーは無視しているような映画が多いと思う
しかし、軽くストーリーに触れながらこの映画を解説して行こう
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第一章においてポール(ジャン=ピエール・レオ)とマドレーヌ(シャンタル・ゴヤ)は知り合う無職のポール(レオ)と将来歌手志望のマドレーヌ(ゴヤ)という2人の間柄であったが、2人が付き合いだすのにそれほど時間が掛からなかった
やがてポール(レオ)は編集社に勤めることになるが政治活動にのめりこみ、マドレーヌ(ゴヤ)は歌手として道を開いていく
実はこの映画はストーリーよりも15章からなるストーリーの出来事が面白い警察の止まった車に、ペンキでベトナム戦争反対と描いたり、ポール(レオ)とマドレーヌ(ゴヤ)たちの若者たちが話す性についての話
そしてポール(レオ)が19歳の、ミス19歳(モデル?)に単独インタビューするシーンでは政治のことや、性のことをインタビューするが、まったく関心の無い19歳の女の子の受け答え
また15の章から構成される映画だが、その章の最後にポール(レオ)とマドレーヌ(ゴヤ)が乗っている電車の隣の席で、女性が銃を発砲していきなりその章を終えたり、またはポール(レオ)がファーストフードにおいて変な男を見つけるが、その男はポール(レオ)に向けてナイフで脅すが・・・なんとその男は自らにナイフを突き立ててしまったり、驚くシーンがたくさん出てくる
そして言葉遊びがあったりする。ラストシーンでféminin(フランス語で女性)をうまくこの言葉を用いて最後は・・・閉める(ネタばらしはしません)
突拍子も無い行動や、アメリカがベトナム戦争に介入してきた事に対する批判メッセージ、また男女が話す性に対する興味ストーリーは大したことは無いけれど、1966年に製作された映画だけれど、やっぱりジャン=リュック・ゴタール監督の既成概念に捉われない映画製作はまさに今観ても新鮮な映画です
しかし僕は彼の映画を1980年代のパッション、ゴタールの・・・、ゴタールの・・・(・・・が思い出せない)などを見ているけれど正直、後半のゴタールの映画はつまらない(今、観たら面白いかも)
フランス映画においてヌーヴェル・バーグと呼ばれる新しい感覚を持った映画監督たちが生まれた中で、1番最初に最もその鬼才振りを見せていたが、1980年代においてもルイ・マルやフランソワーズ・トリュフォー等が傑作を撮っているのに、最も早く才能の輝きが失せてしまったことは残念
古い映画で、モノクロ作品だけれど現代の日本の若者にも通用しそうな内容なので、賛否両論あるかもしれないけれど、このような映画もあることを知ってほしいためにも見て欲しい映画です
僕も新たなゴタールの魅力を発見したからね
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