しげるの自遊学

自由に遊び、自由に学んで生涯現役。
ソプラノの森岡紘子さんを一人のファン
として応援しています。

2015-11月のシルバー修学旅行

2015-11-24 11:37:29 | Weblog

 今年の秋も、ご近所の有志9名でシルバー修学旅行を楽しみました。「修学旅行」を何度も行うと言うのは一寸変かもしれませんが、我々の間ではこの呼び名がすっかり定着、今回で7回目の修学旅行となりました。幹事さんが大型10人乗りの車をチャーターして運転して下さるお陰で、私などのような高齢者には本当に有難い旅ではあります。今回の行く先は、「富士山五合目」、箱根、そして熱海で一泊、最後は「初島」でした。

 「富士山五合目」へ行くのも初めてでしたし、ましてや「初島」と聞いた時は、はてどこにある島なのか、さっぱり見当もつかず、ネットでいろいろ調べたものです。私のような「旅行オンチ」がいると、旅行を計画する幹事さんはやりがいがあるらしく、益々はりきって下さるので、嬉しくなります。

 天気予報では、17日(火曜日)は午後から天気が崩れるということだったので心配しましたが、運がいいというか、天候には恵まれました。お陰様で、珍しい富士山(笠富士)も見れました。ただ、富士山五合目では、マナーのよくない外国の観光客がやたら多くて辟易しました。御殿場で昼食の後は、箱根をあちこち回りましたが、箱根芦ノ湖にある「成川美術館」よかったです。(斎正機展が開かれていた)

 

 (斎正機展で)

 熱海で一泊して、翌日は熱海城へ行き、そのあと「初島」を目指しました。初めて訪れる場所はやはりわくわくするものです。

  (フェリーから熱海方面を見る)

   

   

 熱海から南東10キロの先にある島で、一周4キロだとか。気候温暖なようで、珍しい草木、花などが多く見れました。また、江戸城を修築する時にこの島で石材を切り出したとか。こんな島から石材をどうやって運んだのでしょう。一寸びっくりしました。(持参した一眼レフの充電をうっかり忘れ、島の途中からスマホで写真を撮る破目に)

 

 


智光山公園とサイボクハム

2015-11-01 11:22:40 | Weblog

 

(飛行機雲)

 

(不審者をチェックするガードキャツ)

  10月27日(火曜日)は町内の有志14名(男女各7名)でハイキングを楽しみました。出発時点で空を見上げたら、なんとも珍しい飛行機雲、これには皆びっくりでした。智光山公園とサイボクハムは道路を挟んで隣接しているのに、かたや狭山市で、かたや日高市とは! 智光山公園では紅葉や薔薇を楽しみ、サイボクハムでは昼食を堪能。写真80枚で音楽入りスライドも作成、参加者に回覧しました。DVDが欲しいという希望者が多くて、何枚もダビングに精出す始末と相成りました。

<ハイキング・フォトチャンネル>

智光山公園とサイボクハム


蜂の巣の駆除完了

2015-10-21 20:11:21 | Weblog

 大分心配したのですが、本日(10月21日金曜日)夕方6時45分頃、蜂の巣は無事駆除されました。業者が三人がかりで、45分くらいかかりましたか。夜になって蜂が巣に帰って来るので、それを待って駆除するのだそうです。蜂の巣は結構大きかったです。直径40センチくらいはありましたね。私たちは家の中にいたので、作業の様子はわかりませんでした。蜂の種類について聞いたのですが、なんと言われたのか、はっきり覚えていません。いずれにしても、スズメバチの一種のようです。町内で駆除したのは、今年5回目だとか。(巣を駆除した部分の補修が必要なようで、早速大工さんに依頼)とんだ蜂騒動でした。(気味が悪いので、小さい写真にしました)

 http://t-meister.jp/hachi/lab/basyo/


泣きっ面に蜂

2015-10-19 21:06:29 | Weblog

 一両日前、裏の家の方から電話があった。我が家の軒下に、盛んに蜂が出入りしているというのです。我が家では全く分からなかったのですが、裏に回ってみたら、成程、蜂が出たり入ったり。左程、大きい蜂ではありませんが、結構、飛び交っているのが目撃されます。無理に近付くのは一寸怖い感じなので、早速業者へ連絡しました。今日やって来た業者が調べたところ、建物の亀裂(ほんの小さい穴)から、蜂が天井裏に入りこんだようだようだとのこと。そして、天井裏を調べたら、結構大きな蜂の巣があると。いやーもうびっくりです。何しろ、我が家は築40年以上になるので、当然あちこち傷んでいます。目に見えるところは、修理、補修はしていますが、今回の問題の場所は一寸気がつかなかったです。

 そういうわけで、21日(水)夕方、業者が駆除に来ることになりました。長く生きていると、人生いろいろありますね。まさか、蜂が我が家に住み込んでいるとは!これぞまさに「泣きっ面に蜂」ですか?


椿事か,珍事か

2015-10-13 16:36:23 | Weblog

 思いがけず、大変なことが起こった。それをブログに書こうとして<ちんじ>と入力して変換。最初に出たのが<珍事>、ところが次に変換したら<椿事>と出る。発音は同じだが、何が違うのか。調べてみるとこれが結構面白い。結局、珍事は「珍しい出来事」。椿事は「思いがけない重大な出来事」と理解することにした。それにしても、椿という字を使うからには、それなりの理由があるのでしょう。(もっと調べれば更に面白そう)

 10日(土曜日)朝早く、わが町内へ救急車がやって来た。そして、我が家から80メートルほど先の家の前で止まった。何だろう。と思うまもなく、次に消防車が入って来た。そしてまたまた消防車。えっ、火事発生かと驚き、急いで外に出て80メートル先の家に向かう。火事の気配なし。行ってみたら、一階や、二階に消防の人がいて、一所懸命扉を開けようとしているのだ。中から応答がないのだそうな。男性(84歳)がひとり住まいなのだが、連絡がとれず、倒れているのではないかというのだ。一人住まい、病気がちということで、誰かが救急車を頼んだのが、騒ぎの発端だそうな。長い時間かけて、消防の人が中へ入ったら、当のご本人は寝ていたとか。耳が遠いので、電話が鳴っても知らなかったそうな。あと、パトカーの警察まで来ていた。

 11日(日曜日)は地区の体育祭。18の自治会が総出で、中学のグランドに集まって開催する大掛かりな体育祭だ。18自治会が一堂に集まって開催する伝統的な体育祭。こんな体育祭を開催しているのは市内でも珍しいとか。もういい加減止めたらという意見もあるのだが、そんな声もどこ吹く風。50メートル、100メートル競走に始まって、大縄跳び、玉入れ、むかで競争、綱引き等々、とにかく盛沢山な対抗競技が続く。昼の休憩時間には、これまた派手に応援合戦(これも得点競技)もある。自治会対抗で、競技毎に得点を競うわけ。そして最後は、体育祭の華「リレー」である。体育祭が終わったら、なんとなんと我が自治会が優勝だった。18自治会のうちで、我が自治会は世帯数が120ほどで、とにかく小さい自治会で、全体では下から2番目に小さい自治会なのだ。自治会では、我が自治会の10倍規模のところもある。 今日、早速回覧が回っていた。<祝!体育祭優勝!>

  

 


ちぎり絵展は無事終了

2015-09-28 07:19:05 | Weblog

 

(小手指駅から市民ギャラリー会場へ行ける通路があり、便利だ)

 

 26日(土)、27(日)の二日間に亘って開催した「ちぎり絵展」は無事終了、ほっとしているところです。メンバーの皆さんも年々腕が上がったように感じました。

 右側の絵は、昔、我が家の向い側にお住まいだった女流画家(篠遠すみ子さん)が息子の誕生日に描いて下さった思い出の作品。その写真が残っていたので、妻がちぎり絵の題材にしたもの。(勿論、元の絵は素晴らしいものだった) ブログ上で交流のある夢閑人さんにも来ていただいたのは本当に嬉しいことでした。その時間には、私は会場におらず、お会いできなかったのは誠に残念ではありました。「ご来場誠に有難うございました」。

 作品展のメンバーの皆様お疲れ様でした。作品展に大勢の方たちが来て下さってよかったですね。そして、会場の設営やら、終了後の片付けに汗を流されたメンバーの方のご主人方、本当にご苦労様でした。


苦労は買ってでも・・・

2015-09-16 07:41:19 | デジカメ写真・絵画

  

               

 ちぎり絵作品展を開催するのが、ここ数年の行事になった。 妻が所属するサークルの作品展である。私は、ちぎり絵とは直接関係がないのだが、毎回依頼されて、「ちぎり絵作品展」開催の案内状やら会場の地図を作成する役目を仰せつかっている。簡単に済ませられればいいのだが、出来上がった案内状や、会場の地図など、一度や二度でOKが出ることはまずなく、修正に修正を重ねることになる。

 案内状(はがき)は、昨年と同じようなデザインで作成して割合簡単にOKサインが出てホットした。しかし、地図についてはなかなか「ゴーサイン」が出ず、えらく苦労してしまった。昨年作成した地図は私自身が不満だったので、新たに作り直したのだが、これがケチのつき始め。上の左側の地図は我ながらよく出来たと思っていた。私は自信をを持って作品(地図)を見せたのだが、なんと不評でがっかりしたのだった。なんと、字がよく見えないというのだ。私自身はよく見えるのだが・・・。

「苦労は買ってでも・・・」というのは、まだ若い人向けのセリフに違いない。


戦後70年,私の体験

2015-08-15 20:36:25 | Weblog

  

 

 中学3年生の孫が「戦争体験」について話を聞きたいとかで、我が家へやって来るそうな。聞いたところでは、学校の宿題に関係があるらしい。

 戦争が終わったのは、私が中学3年生の時だった。(今の孫と同学年) 勤労動員先の工場の広場で「玉音放送」を聞いた。ラジオの状態がよくなく、内容がよく理解出来なかったが、周りの人たちの話で、戦争が終わったことが分かった。日本が負けるなどということが信じられなかった。あの時は、自分でもよく分からない不思議な気分だった。

 鳥取県の片田舎のことゆえ、それまでは直接怖い体験はしてなかった。終戦より1ケ月半程前の7月28日午前8時頃悲劇は起こった。11輌編成の列車が米軍の艦載機(グラマン)3機の襲撃を受けたのだった。私はこの列車の4輌目に乗車していた。先頭の1輌目には、傷痍軍人とそれに付き添う看護婦が乗車、列車の外天井には、大きく赤十字のマークがついていたそうな。勤労動員に出かける人達で列車は満員だった。

 男子生徒は前の車両、女子生徒は後部の車両に乗車するのが決まりだった。 私は御来屋という駅で4輌目に乗り込んだ。ぎゅうぎゅう積めの満員列車。次の停車駅「大山口」に近付いた時、列車はなぜか駅の大分手前で停車。そして次の瞬間、列車はバックし始めた。「何だ!」、「どうしたんだ!」などという怒声が上がる。と、次の瞬間、ダダーンとものすごい爆音。敵機の襲来だった。それから、米軍グラマン艦載機3機の襲撃が始まったのだった。その時は何が何だか分からなかった。繰り返し、繰り返し鳴り響く銃撃の音。どれくらいの時間が経過したのだろう。機銃掃射の音が止まった。次の瞬間、我先に列車を飛び降り、列車の下にもぐりこんだのだった。それからまた、3機が次から次と急降下して機銃掃射。悲鳴と怒号。恐怖のあまりか、小便を垂れ流す男がいた。

 どれぐらいの時間が経ったのだろう。機銃掃射の音が止んだ。機関車にロケット弾が打ち込まれたとか、付近の民家が燃えているとか、大勢死んだり、怪我しているぞ等々の怒号も聞こえた。ようやく、助かったという実感が沸いてきた。それから、急いで列車を離れ、友人たちと線路伝いに元来た方向、御来屋の方へ戻ったのだった。途中、阿弥陀川という川があって、そこには長い長い鉄橋がある。線路の真ん中に板が渡してあり、その上を歩いたのだが、下を見ると目がくらむ。列車が来たら逃げ場がない。鉄橋下の川へ飛び込むしかないな、などと言いながら鉄橋を渡った。

 このグラマン艦載機3機の襲撃で、死者45名、負傷者30名以上だったとか。私の学友も右腕貫通銃創1発、同じく右腕に盲貫銃創2発、頭頂部にも盲貫銃創という大怪我を負ったのだった。親しい友人だったが、あのときは、そんな重傷を負ったことなど露知らず、ほったらかして逃げ帰ったことを、今だに後悔している。(彼は現役を退いてからは、語り部となり、あちらこちらで、戦争の恐ろしさについて語っている)

 戦争中の思い出は沢山あるが、この列車襲撃は殊のほか強烈な思い出ではある。中学3年の孫を見ていると、幼い感じがして、こんな話をして理解出来るのかなと、訝る。

 (写真の碑は、列車空襲事件を風化させないため建立されたもの。列車が襲撃された現場の駅近くにある。)

 

 

 


ブログの終わり方について考える

2015-08-13 08:52:43 | Weblog

   私が時々訪問していた岩手の方のブログがある。今朝、久しぶりに訪問して驚いた。「更新終了のご挨拶」とあるではないか。そこには息子さんのメッセージがあった。

   「母の晩年を彩ってくれましたブログを終了させて頂きます。母は7月に他界しました。母は沢山のコメントを頂くのを大変嬉しく思っていました」と。

  私も、時々、ブログの終わり方について考えることがある。ある日突然、この世を去ったような場合、更新されないままのブログが宇宙空間ならぬネット空間をさまようことになるのだろうか?その答えを今朝見つけたと思う。エンディング・ノートにこのこともしっかり記述しておく必要があるとあらためて自分に言い聞かせた。

  

 寒い冬の写真が秀抜だった。(写真掲載をお許しください)


デジタル機器に翻弄されて

2015-07-31 07:48:15 | Weblog

 今まで使っていたガラケーはもう5年位になり、スマホも3年ほど使っていたので、最近はものすごく動きが悪くなってしまった。というわけで、この際新しい機器に変えることにした。(スマホとガラケーの2台持ちをやめて) というわけで、以前訪れたことのある量販店に行ったのだった。

 それにしても、この種デジタル機器の契約の仕組みは本当に複雑怪奇で、理解に苦しむことが多い。ガラケー(ソフトバンク)からドコモへ乗り換えることでキャッシュバックがあるから、先ずソフトバンクを解約して・・・等々いろいろ説明されて、最後はなるようになれで、係員におまかせ。やっと話がついたら、これから一時間ほど待てという。一時間ほど時間を費やして再度店頭へ。それからまたまた手続きで一時間ほどかかってしまった。こんなことなら、手続きは息子に任せればよかったと後悔しきり。最後、係員の口車に乗せられてd-TABまで買ってしまった。ガラケーは始末出来たが、前のスマホの解約は、また別にドコモショップへ行きなさいと言われる。そうなんですね、家電量販店はドコモショップでないから、解約の手続きは出来ないのだ。

 翌日は、わが町のドコモショップへ出かけ、前のスモホの解約の手続きをやった。ここでも、待ち時間と合わせて、2時間以上も費やすことになってしまった。高齢者には酷な二日間だった。