しげるの自遊学

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として応援しています。

汽笛一声新橋の~

2006-08-17 17:37:46 | Weblog
 ♪「汽笛一声新橋の~」と歌われた新橋界隈、なかでも旧国鉄汐留貨物駅跡地は大規模な再開発によってすっかり変身しました。1872年(明治5年)、新橋~横浜間に日本で最初の鉄道が開設された当時、起点となる新橋駅がこの汐留に建設されたそうな。現在は巨大複合都市とか云われ、まるで超高層ビルの森となってしまいました。

 中国の友人からメールが入ったので、久しぶりに汐留までやって来ました。思い起せば、私が中国と最初にかかわり合いを持った頃の、一番古い友人です。年齢的には、私の長男と同じで、親子ほど年は違うのですが、年齢差など全く関係なく、非常に親しい友人の一人です。彼は現在は貿易会社(日本法人)を経営しており、日中間を行ったり来たりしているのですが、中国へ滞在する時間の方が長いらしい。久しぶりに日本へ来たから、是非会いたいとの話でした。

 彼の住居はお台場にあるので、汐留が都合がいいのですね。(写真は待ち合わせ場所。亀の広場といわれているところ=下の写真。たしかに亀の甲羅の形をしています。時間になると蒸気がを噴出する仕掛け)約束した時間にまず奥さんがやって来ました。商談が長引いているので、先に食事の場所へ行こういうことになり、高層ビル内にある中華レストランへ。待つこと約15分、それから2時間ほど昼食をともにし、歓談しました。古い友達に会うのは楽しいものです。

 1985年、私が初めて中国の土を踏んだ時、現地で世話になったのが彼でした。当時の話はいろいろあり過ぎて一寸書けないです。何度目かに中国へ出張した時、今の奥さんを紹介してくれて、近いうちに彼女と結婚するのです、と云ったものです。<えっ、これこそはかの有名な楊貴妃の化身ではないか>と、心底そう思ったものです。あれから何十年、しかし容色未だ衰えず。大学2年の娘さんはアルバイトにモデルをやっているそうですが、うーん、さもありなん。

 というわけで、いささか日中友好に貢献した半日でした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%90%E7%95%99