
私の実家(鳥取県西伯郡名和町)から歩いて3分ほどのところへJRの駅があります。立派な駅舎ですが、今は乗客も少なく無人駅になってしまいました。高齢化が進んだことと、マイカー利用の人が多くなったせいだろうと思うのですが、この駅を利用する人はめっきり減ってしまいました。
「御来屋」(みくりやと読む)という駅です。この駅の待合室に「山陰最古の駅」という看板があります。無人駅ですから、当然のことながら駅員は一人もいません。昔、駅員がいた部屋は、今は市場として活用されています。町の名産の野菜、果物、海産物などが売られています。市場に勤める人が駅の清掃などに当たっているとのこと。
私にとっては懐かしい駅です。中学生の頃、この駅から汽車に乗って中学へ通う、いわゆる汽車通学をしていました。10両編成くらいの列車はいつも満員でした。あの賑やかさ、喧騒、活気は一体どこへ行ってしまったのでしょう。一抹の寂しさを感じます。
当時は男女共学なんて夢のまた夢。男子生徒は前の車両へ乗ること、女学生は後方の車両へ乗車すること、厳しく決められていたのですね。時々その決まりを破って後部の車両へ乗ろうとする輩がいました。そんな大胆さは持ち合わせず、私はいつも前の方の車両に、素直に乗っていたと思います・・・ 言葉を交わすこともなく、じっと見つめあう二人。まあ、そんな風で、現代よりは余程ロマッチクな時代だったと思います。
今回の帰省中に駅に行って見たのですが、そのとき乗客は一人、私が見送りに行った叔母だけでした。
「御来屋」(みくりやと読む)という駅です。この駅の待合室に「山陰最古の駅」という看板があります。無人駅ですから、当然のことながら駅員は一人もいません。昔、駅員がいた部屋は、今は市場として活用されています。町の名産の野菜、果物、海産物などが売られています。市場に勤める人が駅の清掃などに当たっているとのこと。
私にとっては懐かしい駅です。中学生の頃、この駅から汽車に乗って中学へ通う、いわゆる汽車通学をしていました。10両編成くらいの列車はいつも満員でした。あの賑やかさ、喧騒、活気は一体どこへ行ってしまったのでしょう。一抹の寂しさを感じます。
当時は男女共学なんて夢のまた夢。男子生徒は前の車両へ乗ること、女学生は後方の車両へ乗車すること、厳しく決められていたのですね。時々その決まりを破って後部の車両へ乗ろうとする輩がいました。そんな大胆さは持ち合わせず、私はいつも前の方の車両に、素直に乗っていたと思います・・・ 言葉を交わすこともなく、じっと見つめあう二人。まあ、そんな風で、現代よりは余程ロマッチクな時代だったと思います。
今回の帰省中に駅に行って見たのですが、そのとき乗客は一人、私が見送りに行った叔母だけでした。
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