今年は日本からすれば終戦後60年、 中国側からすれば、日本に勝利して60年ということで、またまた反日デモなどが予想されたものの、大した事件もなく比較的平穏に推移しました。 中国の女友達からメールをもらったのは、8月14日でした。年齢は30代後半(これ推定)だと思いますので、当然のことながら、日中戦争についての体験も勿論ないわけです。戦争を知らない世代です。このような世代の人に対する反日教育が実際にはどのようなものであったのか、一度機会があれば聞いてみたいと思っています。中国四川省、成都の大学で日本語を教えているインテリですから、当然相応の教育を受けているわけです。彼女が日本にいる間に、そのような話題で話したことはついぞありませんでした。当時は日中関係が今日ほど険悪ではなかったということもあります。 夏休みを利用して、息子(小学校6年生)と旅行したとありました。雲南省に8日間、貴州省に3日間と旅し、デジカメで撮影した写真も10枚ほど貼付してありました。 私が最初に中国とかかわりを持ったのは1985年ですから、20年前です。当時と現在の中国は、あらゆる面、あらゆる点で雲泥の差です。中国でも余裕のある階層の人たちは旅行やバカンスも楽しんでいるのですね。20年前には到底考えられなかったことです。(私と接触があった中国のエリートクラスの人たちにしてもです) 私は今後もこのような友人を大事にしていきたい、そのように考えています。メールは大変楽しそうな内容でした。終戦の日にもらったということで、特別に感慨深い印象に残るメールになりました。(写真は、貴州省、黄果樹の滝で、高さ60メートル、幅40メートルのダイナミックな滝だそうです)日本からのツアー旅行では、おそらく行くことのない地方でしょうね。雲南省などはやはり少数民族の多い地方だと思うので、都会に住む中国の人にとっても珍しい地方のようです)
8月15日、終戦の日は特別な日でもあり、やはりその日の新聞は丹念に読みます。第二次世界大戦についての記事が圧倒的に多いのは当然ではありますが、読者が投稿する「声」(朝日新聞)に一寸気になる記事がありました。
(戦争とは関係のない話です)
東京、小平市に住む方の投稿で「近所づきあい あり方も色々」とありました。
<奥さんの急病で救急車を呼んだが、隣人は表へ出てすぐ引っ込まれた。住んで3年になるが、近所づきあいはない。知っているのは前2軒と両隣だけ。もう少し親しくと思うが、なぜか気軽に話しにくいし、先方も接近されない。これが故郷ならみんなが「どうしたの?」と出てくる。東京では隣人関係が薄い分、煩わしさがない。これもかえっていいかなと妙に納得している。> そんな記事でした。
妙に納得していると第三者的にさめた云いかたではありますが、もう少し親しくしたいという気持ちが言外に現れているように感じました。
近所づきあいをどうするかなど個人の問題ですから、これをとやかく云うつもりはありません。「もう少し親しくと思うが、なぜか気軽に話しにくい」とあります。私が思うに近所づきあいとか、友達をつくるなどというのは、本人がそのつもりで自分から行動を起こすとか努力しなければ、どうにもならない問題ではないでしょうか。
私の家の前のご夫婦は20代後半か30代だと思うのですが、実に気持ちのいい方で、顔を合わさなくても、一寸姿が見えただけでも、「お早うございます」「今日は」と必ず挨拶されます。そんなご夫婦ですから、子供さん(4歳と2歳の女児)も大声で「お早うございます」と実に気持ちがいい。(3~4年前に越されて来た家族)
私の住む街も、埼玉県ではありますが東京に近いわけで、いわば都会と云っていいと思うのですが、町内は実によくまとまっています。こんなケースは珍しいのでしょうね?住んでいると当たり前に感じているのですが・・・
住宅会社の分譲で出来た街(約120世帯)ですから、もともとは寄り合い所帯です。いまのように街ぐるみが親しく、そして連帯感のある街になったのは、それなりの理由があるようです。ここに人が移り住んでから約40年、一度歴史をまとめたい、そんな気持ちでいます。
(戦争とは関係のない話です)
東京、小平市に住む方の投稿で「近所づきあい あり方も色々」とありました。
<奥さんの急病で救急車を呼んだが、隣人は表へ出てすぐ引っ込まれた。住んで3年になるが、近所づきあいはない。知っているのは前2軒と両隣だけ。もう少し親しくと思うが、なぜか気軽に話しにくいし、先方も接近されない。これが故郷ならみんなが「どうしたの?」と出てくる。東京では隣人関係が薄い分、煩わしさがない。これもかえっていいかなと妙に納得している。> そんな記事でした。
妙に納得していると第三者的にさめた云いかたではありますが、もう少し親しくしたいという気持ちが言外に現れているように感じました。
近所づきあいをどうするかなど個人の問題ですから、これをとやかく云うつもりはありません。「もう少し親しくと思うが、なぜか気軽に話しにくい」とあります。私が思うに近所づきあいとか、友達をつくるなどというのは、本人がそのつもりで自分から行動を起こすとか努力しなければ、どうにもならない問題ではないでしょうか。
私の家の前のご夫婦は20代後半か30代だと思うのですが、実に気持ちのいい方で、顔を合わさなくても、一寸姿が見えただけでも、「お早うございます」「今日は」と必ず挨拶されます。そんなご夫婦ですから、子供さん(4歳と2歳の女児)も大声で「お早うございます」と実に気持ちがいい。(3~4年前に越されて来た家族)
私の住む街も、埼玉県ではありますが東京に近いわけで、いわば都会と云っていいと思うのですが、町内は実によくまとまっています。こんなケースは珍しいのでしょうね?住んでいると当たり前に感じているのですが・・・
住宅会社の分譲で出来た街(約120世帯)ですから、もともとは寄り合い所帯です。いまのように街ぐるみが親しく、そして連帯感のある街になったのは、それなりの理由があるようです。ここに人が移り住んでから約40年、一度歴史をまとめたい、そんな気持ちでいます。
一番小さい孫(男の子)を二日間ほど預かる破目になってしまいました。上二人の孫はサッカーの合宿とかで親も一緒に行ってしまったのです。なにしろ、いたずら盛りですから、片時も目が放せず、私も妻も疲労困憊です。
終戦の日は、いろいろ思うところあってブログに投稿しようなどと考えていたのですが、それどころではありませんでした。玩具にあきると、いよいよ私のパソコンで遊ぶようになってしまい、パソコンが完全に玩具になってしまいました。
ペイントで絵を描かせれば、しばらくはなんとかやっていますが、そのうち自分勝手にいろいろやり始めます。「ツール・ボックス」「色パレット」も勝手に消したり、出したり、やりたい放題。どこをいじったのか、いつのまにやら「ユーザー・アカウント」の図柄も「サッカーボール」になってしまっている始末です。講習で使った「マウス練習ソフト」を思い出してやらせてみました。マウスの練習をゲームにした「もぐら叩き」があります。これマウスの練習にはいいです。初級にはすぐあきて、勝手に中級レベルに変えて遊んでいます。Game Over だとか Perfect などという言葉も覚えてしまいました。
年齢差は70歳、70年のハンデといえば、マラソンでたとえれば、片方がスタート台に着いたとき、片方はもうゴール寸前ですから、えらいハンデです。そんなにハンデがついているのに、なにか後ろからヒタヒタ来ている様で空恐ろしい。真夏の悪夢です。
終戦の日は、いろいろ思うところあってブログに投稿しようなどと考えていたのですが、それどころではありませんでした。玩具にあきると、いよいよ私のパソコンで遊ぶようになってしまい、パソコンが完全に玩具になってしまいました。
ペイントで絵を描かせれば、しばらくはなんとかやっていますが、そのうち自分勝手にいろいろやり始めます。「ツール・ボックス」「色パレット」も勝手に消したり、出したり、やりたい放題。どこをいじったのか、いつのまにやら「ユーザー・アカウント」の図柄も「サッカーボール」になってしまっている始末です。講習で使った「マウス練習ソフト」を思い出してやらせてみました。マウスの練習をゲームにした「もぐら叩き」があります。これマウスの練習にはいいです。初級にはすぐあきて、勝手に中級レベルに変えて遊んでいます。Game Over だとか Perfect などという言葉も覚えてしまいました。
年齢差は70歳、70年のハンデといえば、マラソンでたとえれば、片方がスタート台に着いたとき、片方はもうゴール寸前ですから、えらいハンデです。そんなにハンデがついているのに、なにか後ろからヒタヒタ来ている様で空恐ろしい。真夏の悪夢です。
いままで長い年月、英語やら中国語を学習してきましたが、その学習が根源的に片手落ちだったことを痛感しています。今回「日本語の手ざわり」という本(石川九楊著)を読んで、初めて長い年月、時間をかけた割には、何にも分かっていなかったこと思い知らされています。ある意味仕方ないことかもしれません。誰も教えてくれなかったのですから。
断片的にしか紹介できませんが、少しだけ、この書物から引用してみます。
以下は引用です。
<中国語は「断言言語」です。言語の構造として、あいまいさを許しません。先般中国で「愛我中華」というスローガンが至るところで揚げられていました。これは「我が中華を愛そう」あるいは「愛すぞ」というような意味です。中国語ではここまでの断言的表現はできても、平仮名をもつ日本語のように助辞表現ができないため、「愛します、愛しましょう、愛しています、愛そう、愛しているの、愛しているわよ、愛しているのだけれど・・・」というような、時には話し手の性別や年齢、階層、職業まで明示するような繊細な表現ができず、断言に終始せざるをえないのです。>
中国外交が日本を非難する場合、断言的に非難する云い方しかできないのは、ある意味仕方ないかもしれません。あいまいな、柔らかい表現ができないのですから。白か黒かをハッキリさせる、グレーは許さない、そんな感じです。
<一人称を指す言葉には「わたし」「わたくし」「俺」「自分」「わし」「僕」「あたし」「てまえ」などいくつもあり、また二人称もしかりです。これが英語になると、基本的には「I]と「YOU」だけ。中国語なら「我」と「你」だけ。それぞれの言葉には生成の歴史があるので・・・・・>
ある外国語を学ぶのに、日本語でこういう言い方は、中国語ではこう言う。単に言い方だけ学習するのと、その国の言語の特質をよく承知して学習するのとでは、先行きの理解に大きな違いが出ると思われます。この本を読んでよかった、そのように思います。
断片的にしか紹介できませんが、少しだけ、この書物から引用してみます。
以下は引用です。
<中国語は「断言言語」です。言語の構造として、あいまいさを許しません。先般中国で「愛我中華」というスローガンが至るところで揚げられていました。これは「我が中華を愛そう」あるいは「愛すぞ」というような意味です。中国語ではここまでの断言的表現はできても、平仮名をもつ日本語のように助辞表現ができないため、「愛します、愛しましょう、愛しています、愛そう、愛しているの、愛しているわよ、愛しているのだけれど・・・」というような、時には話し手の性別や年齢、階層、職業まで明示するような繊細な表現ができず、断言に終始せざるをえないのです。>
中国外交が日本を非難する場合、断言的に非難する云い方しかできないのは、ある意味仕方ないかもしれません。あいまいな、柔らかい表現ができないのですから。白か黒かをハッキリさせる、グレーは許さない、そんな感じです。
<一人称を指す言葉には「わたし」「わたくし」「俺」「自分」「わし」「僕」「あたし」「てまえ」などいくつもあり、また二人称もしかりです。これが英語になると、基本的には「I]と「YOU」だけ。中国語なら「我」と「你」だけ。それぞれの言葉には生成の歴史があるので・・・・・>
ある外国語を学ぶのに、日本語でこういう言い方は、中国語ではこう言う。単に言い方だけ学習するのと、その国の言語の特質をよく承知して学習するのとでは、先行きの理解に大きな違いが出ると思われます。この本を読んでよかった、そのように思います。
何年か前の夏の夜。仕事で遅くなり、帰宅した時のこと。下車駅で出札口を出たとたん、いきなり若い女性が腕を組んできました。仰天する私。
「お願いですから、黙ってしばらく一緒に歩いてください」「変な男につけられているのです」と。で、仕方なく、そして何気なく恋人気取りで歩く二人。
ややあって、有難うございました。助かりました。もうこれでいいですと云って離れて行く女性。せめて名前くらい聞いておきたかったな、と思ったのですが、後の祭り。真夏の夜、いい夢見させてもらいました。
「お願いですから、黙ってしばらく一緒に歩いてください」「変な男につけられているのです」と。で、仕方なく、そして何気なく恋人気取りで歩く二人。
ややあって、有難うございました。助かりました。もうこれでいいですと云って離れて行く女性。せめて名前くらい聞いておきたかったな、と思ったのですが、後の祭り。真夏の夜、いい夢見させてもらいました。
ブログを書くようになってから、自分が書く文章(ブログ、メール、手紙、回覧板、その他もろもろ)に、ものすごく神経を使うようになりました。これは自分自身にとってもなかなかいいことのようです。自分の書いたものだけでなく、人様の文も気になります。今日も町内会の回覧が回ってきましたが、やはり気になります。
最近読んだ本、「文章の技術」くつわだ隆史著、「問題な日本語」北原保雄著、「なぜか書けないやさしい漢字」水野靖夫著 etc. どれもそれなり大変参考になっています。そして私の未熟さをあらためて痛感しています。
「外国人に日本語を教えてみませんか」またまたそんな声がかかっていますが、まだしばらく先にしたいと思います。もう少し勉強してから考えます。
日本語とは漢字と平仮名とカタカナという3種の文字を持つ独特の言語である。これは「日本語の手ざわり」の著者のはなし。中国語は漢字だけ、西欧ならアルファベットだけ、それなのに日本語は3種もあるのだ。ねぜそうなったのか、そのために文化や国民性はどう形成されたのか。「日本語の手ざわり」という本に答えがあるらしい。(「ダカーポ」No.566から引用)これから読みます。
最近読んだ本、「文章の技術」くつわだ隆史著、「問題な日本語」北原保雄著、「なぜか書けないやさしい漢字」水野靖夫著 etc. どれもそれなり大変参考になっています。そして私の未熟さをあらためて痛感しています。
「外国人に日本語を教えてみませんか」またまたそんな声がかかっていますが、まだしばらく先にしたいと思います。もう少し勉強してから考えます。
日本語とは漢字と平仮名とカタカナという3種の文字を持つ独特の言語である。これは「日本語の手ざわり」の著者のはなし。中国語は漢字だけ、西欧ならアルファベットだけ、それなのに日本語は3種もあるのだ。ねぜそうなったのか、そのために文化や国民性はどう形成されたのか。「日本語の手ざわり」という本に答えがあるらしい。(「ダカーポ」No.566から引用)これから読みます。
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それにしても暑い暑い毎日で、一体涼しくなる日が来るのかな、などと天を仰ぐ今日この頃です。そして政局もまた一段と熱くなりました。日本丸の舵をとる政治家にはもっと冷静に、進路を見極めて、舵をとって欲しいと願うのは私だけでしょうか? 去る6日は、広島が被爆から60年を迎え、今日は長崎が60回目の原爆の日を迎えました。被爆者たちの体験はどのように語られても、語られ過ぎることはありません。実際に地獄を見た人でなければ、どんなに話を聞いても、実感できないでしょう。戦争の悲惨さは決して風化してはならないと思います。 終戦の年、私は中学3年生でした。その年の7月、列車での通学の途中、執拗な米軍機(グラマン)3機の機銃掃射を受け、死者45名、負傷者31名だったそうです。 http://hp1.cyberstation.ne.jp/shigeru70/frame.html当時重傷を負った学友の一人は、今は語り部となって、悲惨だった戦争体験を風化させないため、近隣の学校などを回っています。8月15日、学徒動員で働いていた専売公社の中庭に集められ、玉音放送を聞いて、日本が負けたことを知りました。 熱い熱い炎天下の中庭は今でもはっきり思い出すことができます。
日ごろは神様など拝んだことがないのに、苦しいとき、困ったときになると、神仏に頼って助けを借りようとする、神仏からすれば全く迷惑な話。それというのも神を人間以上の力をもったものだと信じていればこそのこと。辞書にはそのような説明がありました。今日の事件はほんと苦しくて、神様の力にすがりたかったです。
本日の勉強会でのこと、「デスクトップのアイコンが二三日前に全部消えました、何とか直してください」と云って、持参したノートパソコン見せてくれました。パソコンのトラブルはいろいろ経験しましたが、こんなの初めてでした。トラブルの解説本でも、私見たことないです。もともとハードについてはあまり自信がないので、弱ってしまいました。インターネットにつながっていれば、なにか情報が得られるかもしれないと思ったのですが、今日の勉強会ではインターネット接続は予定しておらず、無理なのです。ほんと「神様、仏様」の気分でした。
それでも、気を取り直し、いじくり回し、なんとか修復、万歳三唱です。どこを、どうやったのか、後になって考えても分かりません。メカ音痴では仕方ないです。
それでも、直ることは直ったのですから、「さすが!」などと云われ、悦に入っていました。
どなたか原因と対策教えてください。
本日の勉強会でのこと、「デスクトップのアイコンが二三日前に全部消えました、何とか直してください」と云って、持参したノートパソコン見せてくれました。パソコンのトラブルはいろいろ経験しましたが、こんなの初めてでした。トラブルの解説本でも、私見たことないです。もともとハードについてはあまり自信がないので、弱ってしまいました。インターネットにつながっていれば、なにか情報が得られるかもしれないと思ったのですが、今日の勉強会ではインターネット接続は予定しておらず、無理なのです。ほんと「神様、仏様」の気分でした。
それでも、気を取り直し、いじくり回し、なんとか修復、万歳三唱です。どこを、どうやったのか、後になって考えても分かりません。メカ音痴では仕方ないです。
それでも、直ることは直ったのですから、「さすが!」などと云われ、悦に入っていました。
どなたか原因と対策教えてください。
「ジキルとハイド」って何?なんて突然聞かれると困りますね。ワードの文字入力の説明で「ジキルとハイド」と入力すべきを、きちんと文節を区切らないと「ジキルとは井戸」になってしまう。確かにそうですね。
「ジキルとハイド」って何?こんな質問受けたら、私など途端にオタオタしてしまうことでしょう。
「ジキルとハイド」知っているようで、実はあまりよく知りませんでした。二重人格者のことを云うのだろう、くらいしか知りません。悪事を働いて犯人が逮捕された時などよく近所の人が「あんな真面目な人が犯罪を犯すなど考えられません」などと云うこと多いですね。人間誰でも二重人格者の側面があるかもしれません。
このような機会に少し知っておくのもいいかなと思ってインターネットで調べてみました。(これ自分の勉強のためです)
ロバート・ルイス・スティーブンソン著「ジキル博士とハイド氏」。何度も映画化されている怪奇小説だそうです。1989年制作の映画は主演がアンソニー・パーキンスだそうですが、映画としては大した映画ではなかったようです。
作者は「人間の弱さ」ということを書きたかったのかな、などと勝手に解釈していますが、それでいいのでしょうか?こんな暑い夏には、よくホラー映画とかお化け映画がテレビなどで放映されますが、最近はあまりそんなこともないようでホットしています。怖いのはやはりいやです。
「ジキルとハイド」って何?こんな質問受けたら、私など途端にオタオタしてしまうことでしょう。
「ジキルとハイド」知っているようで、実はあまりよく知りませんでした。二重人格者のことを云うのだろう、くらいしか知りません。悪事を働いて犯人が逮捕された時などよく近所の人が「あんな真面目な人が犯罪を犯すなど考えられません」などと云うこと多いですね。人間誰でも二重人格者の側面があるかもしれません。
このような機会に少し知っておくのもいいかなと思ってインターネットで調べてみました。(これ自分の勉強のためです)
ロバート・ルイス・スティーブンソン著「ジキル博士とハイド氏」。何度も映画化されている怪奇小説だそうです。1989年制作の映画は主演がアンソニー・パーキンスだそうですが、映画としては大した映画ではなかったようです。
作者は「人間の弱さ」ということを書きたかったのかな、などと勝手に解釈していますが、それでいいのでしょうか?こんな暑い夏には、よくホラー映画とかお化け映画がテレビなどで放映されますが、最近はあまりそんなこともないようでホットしています。怖いのはやはりいやです。
奥山貴宏さんのこと教えてくれたブログがあったので、「32歳ガン漂流」読みました。テレビの再放送が8月下旬にあるとのことなので、それを待ちたいと思っています。ご本人のブログが出ている時に、その都度読んでいればよかったのですが、本になったものを通しで読むのは、やはり一寸辛いです。
「ハイテクじじい」という表題のブログがありました。面白いので引用させてもらいます。
○○さんはおじいさんにもかかわらず、身長が180センチもある。おじいさんというとチッコイイメージがあるけれども、○○さんはおれと同じくらい身長があった。背中も曲がっていないし、大きいじさんというのはビジュアル的にもなんかカッコ良かった。 <略> もし自分がじいさんになるまで生きることができたら、超ハイテクじじいになりたかった。じいさんとか年寄りとかいうと、ケータイの使い方がわからないだの、ビデオの予約ができないだの、オレオレ詐欺にダマされたりと老獪丸出しなんだけれども、オレは年寄りになっても最新のツールを使いこなしたい。というようなことを○○さんを見ながら感じた。
私もこのようなじいさん目指したい。
「ハイテクじじい」という表題のブログがありました。面白いので引用させてもらいます。
○○さんはおじいさんにもかかわらず、身長が180センチもある。おじいさんというとチッコイイメージがあるけれども、○○さんはおれと同じくらい身長があった。背中も曲がっていないし、大きいじさんというのはビジュアル的にもなんかカッコ良かった。 <略> もし自分がじいさんになるまで生きることができたら、超ハイテクじじいになりたかった。じいさんとか年寄りとかいうと、ケータイの使い方がわからないだの、ビデオの予約ができないだの、オレオレ詐欺にダマされたりと老獪丸出しなんだけれども、オレは年寄りになっても最新のツールを使いこなしたい。というようなことを○○さんを見ながら感じた。
私もこのようなじいさん目指したい。