新暦になってからの七草には、田の畦を探しても、中々見つからない。芹、なずな、すずしろ、はこべくらいはあるかも。ちょっとした日溜りに植えていれば、探さなくても摘める。旧暦になると何処かしらに必ず見つかる。
子どもの頃の七草は、白粥か、小豆粥であったような・・・。当時は、餅に厭きての質素堅実で、塩味だけの簡単な物であった。今日のような、贅沢さに囲まれての食事ではなかった。常にお腹が空いていて、道端の石ころさえも、饅頭に見えた。
冬になると手荒れが酷い。皸になる。指の辺りが切れる。洗剤に弱いためだが難儀である。メンソレータムを擦り込む。中々手強くあちこちが痛い。心底春をひたすらに待つ。こういう時にだけ、北国の人の思いがわかる。
職場の交流会に、万葉の心を読む、とか。日本の伝統を守る会、とかはできないか。スポーツは、運痴の者には厳しい。突き指に始まって、転倒尾てい骨打撲、捻挫、筋肉痛は必至。そこいくと万葉集は、筆記用具で済む。
現代よりも寒さは厳しかった筈だが、案外、季節の変化を納得して、愉しんでいたようにも思える。小さな花にも命が宿り、自然への畏怖の念が、生きていくことの歓びを、満足させていたようにも思える。
東南に植えた白枇杷の苗。日当たりが良過ぎ、成長しない。リラの木が育ち過ぎたのもあるが。昨年、剪定したら、葉が出て来て、育ちだした。