枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

当たり前のことが・・・

2012年01月11日 | Weblog

 人間という者は、その殆んどが、自分のことを棚に上げ、他人のことを論う。年長者が言う分には、それなりの思いもあるが、その反対のことが間々ある。高齢者に対しては、しつこいくらいの馬鹿丁寧さで言い、それ以外は冷ややかだ。

 人間の価値は、どのような場合にも同じである筈だが、都合よくなる者への接し方に首を傾げたくなる。子どもならいざ知らず、いい年をした大人であると、呆れ尚驚いてしまう。こういう人種は、誰憚ろう遠慮なしで大手を振っている。

 お金があったり、地位が有るほど、姿勢が低くなるものだが、最近はそういった人は希少価値に値する。まあ、こちらは金品の一切がなく、誉められた人格も持ち合わせていないのが幸い、物事の基本ができていないと、苦言を呈している。

 枇杷葉に寒冷紗をかけた。生葉を採って、焼酎に漬けた。ドクダミを掘るのは、今度の休みにしよう。体に着ているし、蒟蒻も貼っているのだが、長時間の作業には無理がある。嫌々寒いのだ。空っ風が堪えるのよ。

 この連休で、必要な作業はしたが、肝心の寒中見舞いが書けぬ。年賀状をもらったのはいいが、喪中につきだった。何だか次第に書く事が億劫になっていく。かといって、布団に潜っていることもできない。貧乏性である。

 昨年の十三夜。旧暦で撮ったので、月の光が眩しい。冴え冴えとした洸は、体に染み通っていくよう。

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