枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

討ち入り・・・

2012年01月14日 | Weblog

 時を遡ること310年前。赤穂浪士46名は吉良邸に討ち入った。月は満月を越えていて、明かりはなく探すは唯一人、吉良上野介。表門と裏門とに別れ、合言葉は『山』『川』。昼行灯と陰口を敲かれながら、主君の汚名を晴らさんとした、大石内蔵助の心情は易かばかりであったか。

 江戸時代。時は元禄。戦のない世の中に、半ば気持ちの緩みが生じる頃。貧困の差は有れども、太平な時代でもあったろう。あだ討ちとは自分のためではなく、忠誠を誓った主君への心にある。直して、死を覚悟しての決行。

 折りしも雪の舞うなかで、浪士たちの思いは、この世との決裂の覚悟。また清々しい万感のものであったろう。だが、残された者にとって、その心中は計り知れない。元禄時代に行くことはできないが、当時への思いになら、物語では往ける。

 忙しいという字は、心を亡くすと書く。介護の仕事をする上で、決して言ってはならない言葉だし、そういった行動をとってはいけない。だが、その思いとは裏腹に、しなければならないことが怒涛のように迫ってくる。

 無論、人命が第一である。次に優先順位。これが意外と難しいのだ。ここでの判断の甘さが、その後の展開を、微妙に食い違わせていくこともある。時間があってなく、ないようで存在するのだ。精神的な苦痛を伴うこともある。

 どんなに父や母のように思っても、決して親子にはなれないし、家族など思い上がりでしかない。見えないものほど掴みようがなく、形のある物にはならないものだ。人間であるが故、確執は否めない。自分を変えられることも限度がある。

 冬の陽射しに咲いていた撫子。淋しげなのに、鮮やかな色である。

 

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