京都に行って来た割には、寝覚めがよかった。寒かっただけです。布団を干すには、麗らかな天気で、普段は使っていない、敷き布団も広げる。枇杷葉を焼酎に漬けるのに、あちこちの葉を採る。枇杷葉エキスの出た焼酎に、大蒜を入れておく。
仕事場から持ち帰った繕い物をする。破れたり、当て布をするのは、止む無く処分するが、綻びは縫えば好い。ゴムも入れ替えれるのだから、捨てるには忍びないのだ。同時に、長く着た物ほど、愛着が湧くだろう。手間を惜しんではならないのだ。
休日のこととて、洗顔だけである。朝は、枇杷葉ローションで充分。かさかさやパサパサの肌の状態には、少し痛いが塩を擦る。これは効果覿面。肌がつるつる。ベタベタもしないし、適度の潤いが保つのだ。此処まで来るのには、紆余屈曲は数知れず。
午後もかなり回って、水をもらいにと、繕い物を持って出かける。勤務ではないので邪魔にならぬよう、近場に居た職員に渡して、直ぐに引き上げる。直した箇所がわからない。と誉めてもらう。よかった、また着て貰えるね。どんな些細なことにも感謝です。
京都駅から新快速に乗った時、満員で立っていた。次の駅でバラバラに空いたので、離れて座った。その次の駅で、同じ座席に腰かけられた。京都駅以前から、居たと思われる後期高齢者の男性に、突然話しかけられた。孫等は眠りかけていた。
何でもお孫さんが、滋賀県の某スポーツ大学に入学し、娘の代理で出席してきたらしい。所謂孫自慢なのだ。頷きながら聴いていたら、瞼が塞がってきた。未だ話し足りないようだったが、眼を閉じた。数分の眠りで覚めた。孫等はよく寝入っていた。
姫路で降りられた。孫の成績はあまりよくない、と話していたが、元気ならいいではないか。生きていられれば望みも叶う。これからの人生次第だ。お孫さん本人が努力するか、しないかだろう。地球に生まれ、人間になれたことを感謝すること。
北向きの玄関の右手に、種を投げていたら、発芽した。これでも、3年経っている。移植したいが、鉢がない。南の庭は手狭だ。