海棠が散り始めた。ドクダミの新芽が伸び、10cm近くに育っている。ブルーベリーの花が咲き、木香バラの蕾が、寒さに震えている。中々暖かくならず、冬物が手放せない。湯たんぽも一向に終えない。流石に懐炉は外したが、腰痛に注意。
何か、漠然としたものだが、言うに云われぬ不気味さが潜む。自然界の中では、サイクルに従った法則があり、着実に周っているのだろう。またそれは、数式でもなく、理論上のことでもなく、宇宙の中心で起こっていること。遙かなる次元。
地球に生まれて、存在していることの不思議さ。命のあることへの感謝。宇宙からの恵みを戴くことの感動。あらゆるものへの、小さきものまでの生命反応が、遙か彼方の時空で、営まれているのだろうか。命果てる時、知り得るのだろうか。
人間は、小さな生き物を平気で殺すが、相手次第では、人間は同じ事になる。人が人を殺めるのは、無数の想いが乗り移るからか。一寸の虫にも五分の魂、と言うが、人間だけの棲む地球ではないだろう。様々な要因があっての存在だ。
手塚治虫氏の『魔人ガロン』や、『偉大なるゼオ』に、人類の行く末に、知恵と勇気とがあれば、生き残っていけることが描かれてあった。然し、それには正しい判断ができ、自分のことよりも地球の平和を願う人間でなければ適わない。
沖縄に基地はいらない。オスプレイの飛行は止めて。原発の再稼動はさせないで。たったこれだけの国民の要望を、何故聴けないのだろう。福島第一原発の、事故後の対策など無きもの。自民党のしてきた悪政の結果ではないか。
働けど働けど、我が暮らし楽に為らず 更に悪化を辿るなり。年金だけでは暮していけぬ。年を重ねるが、収入はしれている。贅沢もせず、節約・倹約に努める日々。何が愉しくて生きているのかとも想う。出不精でよかった気がするよ。
早春の宵。春の闇には、魔物がじっと潜んでいる。未だ寒いのだ。ちょっと暖かいと、もそもそ出て来る。湯たんぽが好みかな?