早朝のこと。AM5時に目覚ましをかけ、起きようかどうしようか、布団の中で思案していた。突然、携帯の緊急警報が大音響で叫んだのが、???と、気づいて納得。最近は、こんな機能が付加されているのか、と思った次の瞬間、揺れた。
18年前の阪神淡路の震災の時より、揺れも少ない。慌てまい。布団の中で揺れ方を感じていて、その後、止まった。次に、揺れが繰り返されないかと起きないでいた。やれやれ、と嫁と娘に電話する。無事らしいのがわかる。震源地・播磨灘。
勤務先が気になる。ゆれの程度にもよろう、と弁当を詰めて出勤した。建物も、皆も無事であった。だが、さぞや怖かったであろう。平屋なので揺れは強くはなかったそうだ。火事もなく、避難することもなくて、よかった。自然の力には適わない。
原発の再稼動が、本格的にされていなくてよかった。と心底思う。福島第一原発の、汚染水が漏れたり、復興が遅々として進まぬことも、この地震で再認識されよう。核に平和利用はない。安心も安全も、その基準は神でなく、人間が定めたものだ。
暦では、中潮である。二十八宿は凶。然し尚、怪我をした人々が少なかったのは、阪神大震災の教訓が生かされていたからだ。冷静に落ち着いて行動し、どうすべきかを思考したのだ。自然からの警告を、身をもってして覚えておられた。敬服する。
だが、これからはもっと大きな、加えて原発への影響がないとは云えない。自然災害だけが起きたなら、生かされていることも増えていく。然し、放射線が宇宙を埋め尽くしたら、被害は計り知れない規模だ。日本は壊滅状態で、援助など何処にもない。
自分の身は、己で守ろうにも、打てる術がなく、立ち上がろうにも埋まってしまう。CO2が増えることよりも、放射線の人体へ及ぼす影響は、見えないだけに防げない。核シェルターも、金持ちにしか買えない。年収自体がないのに、どうやって身を守る?
昨年のクリスマスの日。雪の降った枇杷葉に、朝日があたっていた。きらきら光って綺麗だった。