枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

自然からの学び・・・

2013年04月14日 | Weblog

 昨日の早朝から一夜明け、被害の少なかったことにほっとする。淡路島へは、枇杷狩りで行ったことがあるだけに、心に情景が浮かぶ。灰谷健次郎さんが、住まっていた所でもある。当時の灰谷さんは、そこでの生活を、児童書に書かれている。

 灰谷さんとの出会いは、太陽の子の著作であった。当時、NHKで観た覚えがある。主演の女の子は忘れたが、中村玉緒さんがお母さん。井川比佐志さんがお父さん。でも、兎の眼の方が心に残った。鉄三と祖父の関わり方に、酷く惹かれたからだ。

 その後、大阪の三羽烏と云われる、今江祥智さん、上野遼さんと共に、お目にかかることがあった。サインをもらうべく、列に並んでいたが、緊張のあまりか、自分の番になった時には、握手をしてもらった手を、握ったまま涙していた。止まらなかった。

 そこに誰も居なければ、灰谷さんの胸に顔を埋めて取り縋っていただろう。それ程に作品に惹かれていた。未だ嘗て作者にそこまでの想いを抱いたことはない。沖縄に移住された時、何時か遇いに行けたらと思いつつ、訃報を新聞で見つけた。

 享年72歳。あちらに往ってしまうには、未だ早過ぎた。灰谷さんにとっては、全速力で駆け抜けられた人生だったのか。今は尋ねる術がない。淡路島を訪ねた時、玉葱や枇杷葉を作ることをされていたのか。そう思って佇んでみた。潮風が髪を撫でた。

 人は、支え合って生きている。生きている人ばかりでもないだろう。また、傍に居ることもあれば遠くに居ることもある。毎日のように会っても、無意味の人もいるだろう。数年に1度でも、生きることへの励みになる場合もある。置かれた場所で咲くことだ。

 生きることは、自然との熾烈な、壮烈な闘いだ。言い換えれば、自分との葛藤でもある。神に感謝し、様々な関わりを適度に受け入れ、自分を保つこと。命は何時か終える。その日まで、精一杯の努力をしたいもの。還暦にしてようやっと会得。

 図書館で『日本の空をみつめて』を借りた。倉嶋さんがお天気のことを、とても丁寧に説明されるのがよかった。オオイヌノフグリを、星の瞳という和名を知ったのも新鮮だった。花の名まえはつけた人間の責任だ。以来、こっちでよんでいる。

 夕方、頭上で賑やかな音がした。慌ててPCを切った。春雷である。雷も、虹も、春にならないと聴こえない。そういった意味でも春は苦手。冬には、滅多に雷は鳴らない。蛇も、百足も出ない。寒さは季節の特徴だから、自然に学べばいい。

 寒中の枇杷葉。南側に地植にしてある。百日紅があり、西に周ると桑の木と小手毬が繁る。未だ、持ち主を決めていない。

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