枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

夢視・・・

2013年04月29日 | Weblog

 昨夜、暖かいので湯たんぽをしなかった。明け方、寒くて目覚める。今から湯たんぽ、というのもどうかと懐炉を貼った。膀胱炎になる寸前で、1時間おきにトイレに通う。油断大敵。息子と墓掃除に行く予定で、何とか起きたのは、10時だった。

 嫁が昼食を孫等と作ってくれるので、安心して布団を干し出かけた。墓に着いて眼が点になった。花筒がない!土が掘り返されている。筍が掘られている。何ということをしているのか、呆れてしまう。筍は神出鬼没だが、墓場のは掘らない。

 猪なら、此処まで器用に掘らないだろう。ちゃんと花筒が片方に寄せてある。罰当たりなことをするものだ。然も、祖父の墓である。お彼岸に訪れた時には、シキミも換えてあるし、掃除もしていた。そのシキミが投げ散らしてあった。酷いことを。

 祖先の墓を守る処か、筍欲しさに荒らして行くとは。夢に出て来る筈だ。息子と一緒に、花筒を埋けて、水を入れシキミを挿した。祖母が母が、草葉の陰で泣いていたのだ。祖父には写真でしか会っていないが、仏の供養は現世の勤めだろう。

 何という愚かしい。同時に、見せ掛けの供養をしているのか。と空恐ろしくなった。父母の墓を暴いて、自分らに都合の好いように移したらしいが、祖先あっての自分ではないか。まさに生きていることを否定し、唾を吐きかけたものであろう。

 不思議なことが起きたのは、その直後だ。私の哀しみがご先祖さまに届いたのか、タオルを持って行っていたのが、何処を探しても見つからない。おかしい・・・脇に抱えていたのだ。失せてしまっても困る物ではないが、掻き消えてしまった。

 実家からの帰路、砂利道に雉がいた。番である。メスの方は、じっとその場を動かない。オスは、わざとよたよたと歩く。怪我をしているように見せかける。息子は、車の速度を落として徐行した。祖母が生前、藪の中に巣があると教えたらしい。

 子どもの頃に見たのは、大抵がメスだった。ミケが狩りをして来たのはメスだ。一目散に駆け戻る口に、しっかり咥えていた。祖母が炒り干しと交換し、捌いて炭火で焼いてくれた。塩の単調な味が旨味を増した。醤油の香ばしさが堪らない。

 自宅に着いて、息子の家族と昼食を摂る。息子は、新聞紙を廃品回収に出すべく、持って帰った。ふと眼を留め、ドクダミのあまりのきれいさ、青々としているのに、其処彼処を抜く。明日Aさんに持って行こう。アケビが要るというので、箱に詰めた。

 その序でに、枇杷葉を見て回る。長崎・茂木が何とか30ばかり。東側のが8粒。白枇杷が20ほど。サンタさんのが、たった1粒だがついている。奇跡だ。今年は、花芽の段階で採って、お茶にしたのがよかったのか。2ヶ月後が愉しみである。

 東側の枇杷葉。これには、未だ花芽もつかない。そろそろ7年目になる。こっち側は寒いので中々発育が悪いのか。

コメント
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