枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

小潮・下弦 花冷えに・・・

2018年04月08日 | Weblog

 昨夜は、宇宙が澄んでいて、星の瞬きに眼を瞠った。丁度、東南方向に木星が観えており、北には大熊座と小熊座が昇っている。無窮の針の煌きも、春とは思えない大気の澄み具合だ。家々の明かりが目障りだが、自宅で観られることに感謝する。子ども達も大きくなって、天文台に出掛けなくなった。

 すばると観望するのもいいが、闇に紛れては、区別がつかなくなるので出さない。尤も寒いと、部屋の奥に行って来ないが。選挙に出掛け、青空市まで回って帰宅したら、悪戯をして待っていた。外は時雨れて寒い。昨日よりも気温は低そう。図書館で、現代農業(4月号)を借りおく。リエさんに連絡。

 青空市に、山独活 こごみ 筍 タラの芽があって、箱を持って行って送る手配をした。明日には着くので、リエさんの予定を尋ねる。夕方なら居るそうで、まあ不在伝票で分かるでしょう。田舎の定番なのであるが、悦んでくれるのを幸いに送っている。鮮度もだが、食べてくれるのがうれしくて送る。

 すばるは、カーディガンの中に居る。ブイネックなので、そこに入り込んでいるのだが、丸くなって眠っている。体は大人でも、遣っていることは子どもである。甘え方も半端でないが、重いのに閉口する。抱っこをせがむが、片手では支えられない。掛け声も必要で、難儀でもある。仕草は可愛いもの。

 芍薬の新芽が伸びてきて、20cm程になった。薔薇の蕾も付いている。食酢を薄めて散布しておいた。李の花は終わり、林檎の花が見えてきた。通草は、少し濃い紫に変わっている。カメリアの花は、二つしか付いてなくて、地植えの方がいいのか?枇杷葉の実が、小さな粒を付けてきたのも愉しみだ。

 人間の勝手だが、寒いと動作が緩慢になる。冬眠状態に陥ってしまう。夏への扉ではないが、冬の間は、可能なら眠っていたいと想う。そういうサイクルシステムがあれば、介護もずいぶんと楽ではないか。市民権も選択できれば、望みも適うのにと考えてしまう。人間同士のしがらみや軋轢にも厭きた。

 年金だけの暮らしになれば、食費の節約をし、燃料費も倹約せねばならない。昔なら、山に行って枯れ木を拾ったり、焚物を作ったりと出来たが、便利で快適な生活に不便さを感じる。何処もそうだからと言えば、それまでのことだが、自然を疎かにしてきたしっぺ返しに他ならない。人類の愚かさを知る。

 施設の日曜日は、昼食の準備に追われる。加えて、排泄の介助に、危険なことがないかと、見守りをせねばならず、ゆったりのんびりとはいかない。時間で動くのも良し悪しであるが、予測できない行動もあり、声掛けや寄り添いが大切でもある。認知症状は同じであっても、対応は個々に違ってくるのです。

 鶯の鳴き声が、日に日に上手になっていく。ホーホケキョと鳴けたら、初夏であるので、声の調子に耳を澄ませる。虹も、水遣りで見えてきた。二十四節気の訪れで、その都度変化が見られる。旧暦での暮らしでは、如月であるので、雛祭りは未だ済んでいない。お雛さまも早くから出され、早々と終われる。

 孫の受験合格のお礼参りに、リエさんと訪れる。亀戸天神もあるが、子ども達のも含めて、此処にしている。

 

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