枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

気儘な暮らし・・・

2018年04月13日 | Weblog

 田畑があればあったで、無ければないで、それなりの不平が出る。世知辛い世の中では、野菜は出来れば作りたい。丹精籠めた作物が、収穫前に消えている。と職場の者が怒っている。野菜にしても傍迷惑か?否、食べられる運命であれば誰だって同じ。意志を持たないのであれば、人間は何をしてもいいの。

 地球という、青い星は、誰も物でもない筈で、諍いを起こすのは人間ばかり。それも宗教の違いという建前だが、同じ人間同士じゃない。話せば分かるのをしないで、一方的な侵略でもある。正に国境線は遠い。隣人とさえも喧嘩ばかりでは、殺しあうしかない。そして誰も居なくなった。災害でなく人災です。

 一昨日の左手は、罅も骨折もしていなくて、単なる打ち身であったようだ。帰宅しての焼酎漬けの枇杷葉で、痛みは無論のこと、腫れも引いた。効き目の凄さにびっくりした。病院に等行かなくてよかった。貧乏人には、これ以上の手当てはない。枇杷葉こそ神さまである。女人禁制とは云わぬので、あり難い。

 江戸時代には、女相撲はあったようで、関取さんの絵が描かれている。土俵上は女人禁制になったのは、何時からだろう。明治時代じゃないの?若い方には差別と取られることだが、障りがあるから、忌嫌ったものだ。犬や猫の額が、はちわれなのも貰い手が無く、野良猫になる。それが今では人気沸騰という。

 伝統を重んじるなら、国籍が違えば土俵は踏めないでしょう。世の中が変わったから、外国人も良くなったの。伝統なら、日本国籍になって、四股を踏まねば。とも思えるが、拘る基準が余りにも解りずらい。角界の世界も、政治の世界も庶民には不透明だ。何でもいいから、税金を手当たり次第に持ち去るな。

 命があるものに、気持ちが動いて、飼える余裕があったり、そういったことを、気にしないのであれば良いと思う。厭なものを押し付けてまで飼わすのでなく、自分で納得なのだから。他人のすることに文句が言えますか?人道上の行為や、迷惑行為なら兎も角、自分の責任なら自由だと思うが。生き難い時代。

 枇杷葉の花芽の枯れたのを落とす。リエさんのも、サンタさんのも、りささんのにも、幾らかは付いている。暁子さんのは、3枝あって、10個くらいかな?今は、通草が巻き付いて、ひたすら登っている。蕾は、濃い赤紫だが、花が咲くと色はどうなのかな?待ち遠しい思いの初生りも、心を躍らせているのだ。

 午前中は蒲団干しで、午後からは藤公園に視察だった。久振りに資料館に行ったが寂しい展示物と、内容だった。いっそのこと無料にすればいいのに、とつぶやく。外に出れば、手入れのしていない庭と、自然との調和が空しい。山藤は綺麗だったが。目先の儲けばかりをいうのは、利益に群がる者が居るから。

 リエさんは、楠正成の銅像近くに居て、一人で散策した。歩くと意外に距離があるのも新鮮。

 

コメント
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