枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

弥生、三日月懸かる

2018年04月19日 | Weblog

 帰宅途上、三日月が観える筈と宇宙に眼をやる。暫く探していて、中天に懸かっているのを認めた。金星は、可なり下にある。靄がかかっており、はっきりしない。春の宇宙なのを忘れていた。夕方の暮れ行く時間でもあり、誰も観ている者はいないが、自然の雄大さに心を奪われる。

 興味を抱いたり、趣味であったれば別だろうが、これだけ誰でも自由になるのに、実に不思議だなぁ。と独りごちる。テレビは、セクハラや隠匿放送に忙しい。これなんかも、言葉で説明すればするほど疑惑が深まる。何処の学校を出ているんだろう。東大ならこんな馬鹿はいないよ。

 権力に乗っかってだけの暴言である。地位を利用しての優越感で、庶民を見下している。性別にも無配慮で、男の言うことは黙って聞け。という横柄な態度だ。男尊女卑も甚だしい。自分のことしか考えてなく、事態が悪化すれば、隠れてしまう馬鹿だ。こういうのが遣りたい放題だ。

 然し、大勢の記者や聴衆の前では、まるで小学生の言葉足らず。否、今日日の子ども方がしっかりしている。こんな大人にはならないで。恥ずかしくって成人男子の資格もない。戦時下にアメリカと渡り合った、白洲次郎氏は、英語も堪能なら、人格も秀でていた人だ。今は、探せない。

 毎朝、新聞を読みながら激怒し、書かれていることに憤怒の思いだ。日本の庶民は怒っていい。何も知らないと、分からないと遣っているが、天知る、地知る、我知るである。見くびってはいけない。福島の復興を願うから、我慢もしているのに、東電の責任者は、何を考えているんだ。

 地震も、頻繁に起きるし、大規模な津波も来るだろう。原発に対処できるマニュアルなんてないでしょう。あるなら、消えた命を復活させて!元居た場所を、あの頃に返して。人間なんて出来ることは限られているんだ。傲慢な思い上がりが更に、被害を大きくする。ノアの箱舟はない。

 すばるは甘えん坊だ。留守番をさせているので、仕方のないことだが、ちょっと拗ねてみて、機嫌を窺うのもいじらしい。餌も枇杷葉茶もたっぷり入れて行くが、やはり淋しいんだ。抱っこするとうれしそうにしがみつく。膝に乗って来て、思う存分に喉を鳴らす。腕枕をして寛いでいる。

 昨年の結実した枇杷葉の様子。昨年は、大豊作で、物凄い量があった。リエさんを始めに送る。

 

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