勤務を終えるようになって、左手の中指の付け根から甲にかけて、激痛が走る。日中には痛いなとは思ったが、熱感があることに気づかなかった。変だな?と感じたのは、午後の時間帯で、嫌に左手が熱いのも知ってはいた。それが洗い物を片付けて、食事の支度にかかろうとした時、持っている物を落としそうに。
痛みを堪えて勤務を終え帰宅し、夕ご飯を戴いてから、枇杷葉の焼酎漬けを、手拭いに挟んで患部に当てる。折れていれば、紫か黒になるので、罅なのか?業務中に捻った覚えはあるんだが、それが今になって出るのか。明日も仕事だというのに、運転が怪しい。今晩中に、湿布を貼って取り換え、治さなくてはだ。
年を重ねると、あちこち故障が起きる。然し、身体を取り換えることは不可能だし、我慢をするしかないのだ。一日中自宅に居ても難儀だが、勤務にも行けないでは、更に困るというもの。あれれ・・・左手の一指し指も痛みがある。これは左手を、何処かにぶつけたんだ。でも何処でだろう。記憶には残っていない。
来月の勤務予定が出ていて、予め予定のあるのは書き込んだが、連休明けを上京の計画は断念した。すばるを独りには出来ないし、介護保険を強制的に差っ引かれるし、惨憺たる持っていかれように腹立たしい。これで年金だけの生活など、どうやって出来るというのか。政府のボンボン政策に、呆れむかっ腹が立つ。
一国の首相の言い逃れで、国民は莫迦にされ切っている。潔さもなければ、自分を良く見せるばかり。そんな方便で、庶民を騙そうって思うことが間違い。真相は闇の中かも知れないが天は視ている。人間なら、恥を知ろう。首相を辞める云々ではなくて、遣ったことは認めよう。そのための生贄と忖度ではないのか?
今日日、路上に落ちている、一円や五円等、拾って交番に届ける者はいまいが、持ってきた者への配慮が足りない。高々、一円で書類を書くのは面倒だろう。でも子どもの気持ちには、自分の物ではなかったら、届け出る良心は存在する。学校の道徳は、どうなのだろう。何十万もの大金等、見たこともないのが実情。
リエさんちの藤。帰る朝には、満開になって枝垂れた。甘い匂いに誘われて、熊蜂が遣って来る。