木香薔薇が咲き出した。他所様のは分からないが、我が家のは棘もあり、香りも強いので、傍に行くと噎せ返るようだ。げんかんの脇、北側のスズランも蕾が膨らんで、台所の下なので、匂いも凄い。梅は実を結び、芍薬の蕾もと喜びもつかの間、殿様バッタに蕾が萎れている。しまったと思うが後の祭り。
職場の同僚の同級生である方が、我が家の枇杷葉を見学に来られ、枇杷苗の鉢如差し上げる。小さな苗も数本掘って、新聞紙に包む。トラックなのでそのままで大丈夫そうだ。通草や柚子の焼酎に漬けたのや、枇杷葉エキスも袋に詰めておく。イタドリもたくさんあるので入れる。地球環境にやさしい暮らし。
昼前に慌てて帰られたが、我が家の珈琲と枇杷葉茶が美味しかったようで、感激して飲まれていた。猫も家族が増えているとかで、枇杷葉茶を飲ませるように言い置く。子猫のままからでないと、口にしないこともある毛艶が全く以って違うのと、病気に罹り難い。人間に効果があるのだ、猫も同じでしょう。
何だか、大荷物になってしまったのが、申し訳なかった。それでも宅配でないので、苗は傷まないと安心する。置いてある場所から抜く時に、一緒に行くんだよと送り出した。元気に育っていてと願いつつ、何時か逢にも行くからと。命のあるもの凡てに、心もまた然りだ。大切に育てますと約束してくれた。
寒い地方には、花芽は付いても、結実はしない。従って、枇杷葉の生葉を使われるとかで、施肥の事や時期の事を話しておく。そうして何よりも、地元の高齢者の助言はとても大事なことを加えた。風をよみ、雨を知り、天地の教えを賜ることも。自分を大切にするのは、引いては命への賛歌でもあることにも。
農薬を施肥せず、草刈りも程々に行い、小さな命にも、生きる権利があることを話した。人間は、そういったあらゆる物に援けられて、この世に存在する。宇宙の摂理であり、森羅万象の原則であろう。地球のためにもなる。枇杷葉は、あらゆる疾病に効果があり、命を活性化させ、再生にも繫げてくれるのだ。
然しながら、こういったことにも相性があって、自然賛歌と命への慈しみが無ければ、届くこともない。これらは天性のものか、稀に何かの異変で備わってしまうこともある。だが資質も無関係ではない。またメディアの前に出たばっかりに、力を邪に使われることにもなる。天変地異は第六感の為せる技にも。
どんなことにも欲張らず、どんな物も惜しまず、あらゆることに努力し、力を使えれば幸せなことだ。ちいさなことにも感謝し、些細なことにも祈り、日々を生きていけることは有り難いもの。これ以って自然からの恩恵に外ならず。命の尊さと儚さを知る。命は消え、芽生えるものなり。我も同じにして感謝。
小さな青い実が、次第に熟れて行くのは心が弾む。その実を捥いで口にする歓びは至福。