枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

理由があります・・・

2023年11月02日 | Weblog
 旧暦での暮らしをしているには、身体への変化と維持を保つことにある。体内時計と云うかは明らかでないが、朔日から大潮となり至る過程はことある毎に訓えて来る。耳の痒さ頻度も、翌日であったり三日後と知れるのだ。テレビを一切観ないのも、電磁気の媒体が苦手で壊すからだが良からぬ結果に変調を期す。

 百武彗星の現れた年、西方向の天に四龍が観えたがそれ以後にはない。白龍や青龍は観るものの単体であり、殆どは白龍だ。赤龍は、命の転換を意味するので輪廻転生の時だけ。黒の持つ闇は漆黒だが、その向こうには光が溢れ来るのが視えて包み込まれる。宇宙への抗いはなく、自然に委ねる心情に応じてなのも。

 枇杷葉を媒体としている為、畏怖の念はあっても恐怖は捜せなく想うことも存在しない。体質的なこともあるが、穢れを祓うので寄せつけないと覚える。ありとあらゆる生命体も、一旦身体に取り込み瞬時に浄化させ放出していく。その結果、邪念の塊は吐いた者へと巨大化させ還る。素直な心には、入り籠めない。

 Aさん地にお水を分けて貰いに行き、帰宅途上に999・555・666・369と続け様に飛び込む。888にも遭遇し、ぞろ目にならぬ暗示も意味があるようだ。今年の大掃除は既に済ませたことも、気分的には安寧でも有る。朝の凍結時は窓拭きになる為、掃除の必要が生じる。ここ数日、布団干しで温かく安眠条件続行中。
コメント (2)
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