枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

宙は曇りに、望・大潮

2023年11月27日 | Weblog
 早朝には晴れており、多少の期待をしていたのが暗転し曇りに転じてしまう。予感は当たり、すばるの嘔吐に毛布を洗い羽根布団も干す。エアコンを作動させて、羽布団だけは入れて乾燥中ですが…雫の垂れる毛布は後にした。叱られたすばるは、PCの机の下に避難し寒さを耐える態度と反省中なのですわ。
 
 今朝は用事があり、洗濯と掃除を済ませて近場の〒までを往復した。図書館は休館で、採伐中なのか業者が数台並んでいた。公共の施設は手入れを怠ると悲惨な状況になる為と、思えるが町の財政は厳しい。遊歩道に設置している照明、球体が汚れて曇りの察知となり点灯状態のまま放置。勿体ない明りです。
 
 来月の予定も組む中に団地の清掃があるが、皆が出てのことには高齢になるにつれしんどさも伴う。普段からの片付けをしておけば、殊更にすることではないと内心思うが…中は綺麗にして?外は平気は理解できない。理路整然とばかりではないが、自分ちの塵は放置しない。環境的にも好ましくないでしょ。
 
 腰痛に枇杷葉の湿布を貼っているが、誰のかな?とも。ブロ友さんの中には、実に様々な方がおいでなのも承知しているが亘り来るのよ。自らの体質と覚悟をし、赦すという行為は自分へでなければ届かないものとも知っている。諸葛亮を手にした経緯も、思考を広げ心の深さを訓えるのだと書かれてに感謝。
 
 ご飯と味噌汁に糠漬けの食事も、緊急事態になれば慌てない心構えにも通じる。日々の暮らしが清貧であれば、不平不満は捜せなく命を粗末にしないでいられる。自然が齎せてくれる意味に気づけ、足るを知る者へと。欲張れば、大切で・肝心な宝石を失うのは清明だろう。何故、平気に棄てられるのだろう。
コメント (3)
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