枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

悠紀の彼・11

2023年11月10日 | Weblog
 季節の移ろいを感じながら、悠紀は外の景色を観るともなしに眺めていた。自宅の周りは、庭木が繁り草花はのんびりと風にそよぐ秋の日だ。家の様式は平屋で、南側に悠紀の部屋があり奥に祖母が住まう。東は両親の居場所でもあり、台所が続く。西と北には風呂場とトイレを設け、樹が囲う造りにしてある。

 悠紀は、自分の部屋は必要ないと思えたが「勘弁してもらうわ、幾ら可愛い孫と云えど独りの時間は必要ですもの」祖母は、頑として聴き入れず増設した。その部屋は、地上から可なりの高さを要し天井が全開する。悠紀はそれに気づいて「お祖母ちゃん!これってドーム?」「そうだよ、宇宙と繋がってるの」

 祖母の連れ添い、つまり悠紀の祖父は風変りでもあり早くに亡くなっている。写真でしか知らない祖父だが、膨大な土地を持っており相続権は祖母に弁護士を通じ渡された。女性関係も派手で、家に居つく人ではなかったようだ。祖母は息子を守る意味でも、これだけは譲れないと条件を出したと両親から聴いた。

 悠紀の仕事も、祖母の口利きで就職できた。高校を卒業しても、自分の進む路が決まらなくしたいことも定まらなかった。庭に植えてある植物に関心が動き、それらの持つ効能にも興味を抱くと「悠紀さん、この方をお訪ねなさい」祖母は名刺を差し出した。面接を受けるでもなく、行った日から今の勤務に至る。

 祖母の思惑では数年のことと行かせたものが、既に十年以上を経過し縁にも薄いのが歯がゆさそうだ。植物意外に、悠紀の心を捉える存在はないのもあるが。異性との付き合いそのものに、時間を費やすより薬草の方に気持ちが傾く。それなのに、初めて想えた彼は悠紀の身体をすり抜けて違う世界へ行ったのだ。
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旬を用いれば、病退散。

2023年11月10日 | Weblog
 旧暦での暮らしをしていると、傍から見れば無駄に思えることが実際には大事だと気づける。この世を司る森羅万象への畏怖に況して祈り、感謝を常に忘れない。用いる言葉を選ぶのは、感情を冷静に保てることに尽きる。以って廻った言い方ではなく、心を正直にしておけば素直でいられるからだ。丁寧語は不要。

 最近殊更に違和感を持つのが、謙譲語や謙遜語の乱発使用に意味不明さを感じる。一体誰を相手に書き、賛同を促しているのだろう?日本語は正しく用いたい。連載を一気に書こうとして、日に2回の投稿を試みた。自らへの納得であり、真面目に読む者は皆無と高を括っている。唯、短い文章でないと読み厭きる。

 先日来、天気の如何に限らず身体への変調を来す。それがブロ友さんに由って、はっきりして明確な現象に息を呑む。今日は、昨夜からの雨に止むなく枇杷葉の湿布となる。咽喉への違和感に枇杷葉スプレーを繰り返しているが、身体は熱を帯び怠い。枇杷葉での繋がりかは定かでないが、如何急く確率は高いのよ。

 季節は過たず廻るので、気温云々ではなく用心を怠らないのが大切なのよ。二十四節気は、書かれていることだけでもなく身体への影響は起きて来る。それを信じて実行するか、鼻の先で笑うかにも差が生じる。枇杷葉茶を飲用しているのは、些細なことにも適応できる自然治癒力なのも疑えない。医者には罹らず。

 枇杷葉は、稀に体質的に合わないことも。個人的には、医者に罹るよりも信頼できると疑う余地はなく有難い。不思議でも何でもなく、宇宙からの声が聴こえる為に訓えて貰える。夢でありながら、啓告であるのは確かな事象。その元を司る者に選ばれしを、謙虚さで受け止め使命を果たしたいと日々励む潔さにも。
コメント (2)
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