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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

自然へ抗わずにて・親鸞聖人忌

2024年11月28日 | Weblog

 信仰心の宗派はなく、神とは宇宙であり森羅万象の掟と想える。不可解な事象視えるは、天啓の如くあり疑い非ずと覚れる。数字の示す処には必ず意味があり、思考能力高める為り。目まぐるしい情報に流されず、自らを戒める。

 身体の病の元、縦横無尽に翔る血液が無くば細胞や栄養素送られない。杞憂すること小さくあるも、時間経過と共に膨れ大きくなり自己対処できなくなる也。初期の段階に、身体の異常を察知していける感知能力養うは重要です。

 誕生しては天界と下界の境が見えていたものの、発育する途上変化する。それらをどう捉え、生かされてに気づくこと然もありなん。医者に罹り薬の処方を正しいと継続していて、一向に治らぬ不思議。漸くに気づけば手遅れ也。

 枇杷葉との出遭い、自然治癒力を高めて杞憂を祓い身体への変化に気づけた有難さ。諸仏の導きと訓えには、森羅万象へと繋がり亘る。時空を翔けること、適わぬは抗わずと心を清くして視えてくる確かさ。祈り感謝の賜物とも。

 旧暦の暮らし、自らが気づけたこと少なくあるも言霊の援けにも縁り。枇杷葉の威力、仏界へと亙ること多くあり釈尊の訓えに否なくと。産まれての使命、漸くに覚れ自らに課せること歓びとなる為りし光溢れる世界を視る。

 枇杷葉と拘れること、疑わずと思える気持ちには憂いなし。小さな事象にも言霊を籠め、他人への比較せず妬まず羨ましく思わない心にて過ごせる。自然から与えての幸に気づけ、一日の糧歓ぶ。無理も無茶もなく安寧為り。

 枇杷葉は医者要らず・無憂扇とも謂れ、自分なりの工夫や自然からの知恵を授かりしこと受け努めるとも。

コメント (2)
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