枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

鏡開きに

2021年01月11日 | Weblog
 どんと祭とかどんと焼きとも言われるようで、正月に飾っていたお飾りや鏡餅、書初めの習字等を川原に集まって焚く。これには農事で大切な豊作や、1年の天気や運気を煙の昇り方で見ていたようだ。祖母の見立ては実に良く当たり、伺いを立ててくる者もいたが祖母は口を固くして余計なことは告げなかった。その人の心掛けで変化もするのである。

 寒さ対策を事前にしていたのは正解で、裏の家では配水管が破裂して被害となっていた。尤も無防備にむき出しのままであるのだから、この寒さに気づかないのが要らぬ出費となる。新聞紙を重ねておいてその上から敷物を被せただけであったが、これが意外と効いたようで助かった。昨夜は、風呂の湯も何とか出てくれた。ブログの方が記載され。

 バケツやペットボトルでの水の汲み置きは、どれもが凍結状態であり水遣りもままならない。鉢には日中に乾いていれば遣るが、夜間には凍ってしまうので危険だ。雪が降らないのも救いであるが、この時期の気温の低さは変わらない。霜月である。明後日には師走となり、大寒も近いことだし季節への対応を心しておきたい。室内に取込んだ鉢は無事。

 寒いのが普通の季節を、最近は蒟蒻を温めて貼り付けている。専用の鍋を決めているので、水を張ってストーブに掛けておく。枇杷葉茶を沸かし、煮物を作るのも便利である。スマホが鳴って足湯に来ると言う。ブログを書いてしまわねばならずで、急遽更新をしよう。仕事を辞めているので、こちらとしては時間はたっぷりなのだが所要も多いのだ。

 と言いつつも断るには可哀想で了解する。ブログの訪問は終えているのであるが、夕方に切断されるのが悩ましい。蔵 を読み返してテレビとも違うのは分かっているが、何となく納得できない箇所もある。配役には文句がないのです。志賀丈史さんも上手いし、檀ふみさんも大好きだから。でも内容的には描き切れないのだろうとは思うが残念でも。

 子ども時代の烈にはびっくりした。あの子が大きくなっての事には思い至らなかった。列の潔癖さや哀しみにも巧さが目立つ。北陸の人達は冬の雪の中を出稼ぎに出ると言うが、貧しさも半端ではなかったのだと胸に迫る。生きていくことには、今も昔も変わらねども寒さで飢え死にすることもあったのだろうか。わたくしはそれに比べて幸せだわ。

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