枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

文月、天気不安定にて

2018年08月16日 | Weblog

 旧暦の七夕前夜であるが、明日の出遭いは難しいようだ。これまでの統計上、どんなに曇っていても、真夜中には晴れてくるのだが、今年は台風が控えている。蒸し暑い気温にげんなりしそう。その暑い中を、唐揚げが食べたい、という同僚が居て、汗をかきながら作る。鶏肉は漬けこんであった。

 旧盆の送り火も、以前とは変わって、各家庭で処理したり、川に持ち寄って流したりすることが消え、塵で出される嘆かわしさである。祖先の霊を迎え、おいでくださったことを感謝することも、途絶えてしまった。自分の命は、ご先祖さまからの繋がりなのに、敬うことも、祈り感謝の心も少ない。

 人間の持っている物は、凡てが天からの贈り物に過ぎない。その恩恵を、さも自分等がしたことと解釈している。作物が実るには、人の手も借りねばならぬだろうが、自然界の齎す多いなお陰があるのだ。月に星に祈りを、風や雨に、太陽の光に感謝してこそ与えられる。この世に平和が続きますように。

 枇杷葉にウンカが集まって、樹液を吸っている。カブトムシもいるようだ。蝉は毎年孵化している。抜け殻を見つけて、無農薬にしてよかったと思う。肥料も自然堆肥と糠と塩で、珈琲のかすは時折遣るが、自然の采配に任せて、傷んだ葉や、枯れたのを取り除いている。枇杷葉には、パワーが詰まって。

 ナタリー・ポートマンが演じているので、ブーリン家の姉妹を買った。価格の割には容れ物もなく、ちょっとがっかりの品だったが、中身はイングランドの世継ぎを廻る陰謀に、墓穴を掘り、斬首刑に消えるアン。後に娘がエリザベス1世となって、長い統治をする。見応えのある歴史物。世界史を学べる。

 今晩、地元での花火があるが、朝からずっとしとしと雨。花火も湿って上がるまいと、要らぬ気を使うが、金儲けのためなら、何があっても強硬策らしい。町民の税金を下げることには無頓着で、湯水のように使うのは、国を挙げてのことらしい。こっちの花火の方が気づかないだけで、無駄も多いのだが。

 すばるは、あちこちが自分の居場所だが、殊ロッキングチェアに関して、寝転がったり、休息していると、どいてくれ、とばかりに乗って来る。今も、離れた途端に寝そべっている。ご機嫌なのか、尻尾を振って。以前は、頃合いが分からなくて、痛い程噛んでいたが、ちょっとだけじゃれる。お利巧である。

 図書館で、安野光雅・奈良を借りた。繊細で精密な絵である。仏像の持つ雰囲気が漂って、奈良公園を歩いた記憶が蘇える。大仏殿から、春日大社の万葉の小路、薬師寺、新薬師寺に。最後は、入江泰吉記念館に行った。徒歩でのんびりと午前中をかけ回った。御薪能を前夜に観て、夕方帰路に着いた。初夏。

 興福寺の阿修羅像には、強く惹かれて、何度も足を運んだ。態々、雪の降る猿沢の池と、五重塔が見たくて出掛けたり、仏像の前に佇んでいるだけであったりした。久しく訪れていないが、月ヶ瀬村の梅林も絶景だ。歳を経て、そこまでの興味を失ったかも。居ながらにして、映像は何処にでも往けるものね。

 紫陽花の鉢に植えたまではよかったが、さて何だったかを忘れた。花が咲けばそれでよし。

 

 


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