枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

悠々自適

2010年01月19日 | Weblog
 テレビの前に座ると、そのまま観ると言うことができない。何がしかをしている。この時期には、枇杷葉茶を作っているか、編み物をしている。むろん炬燵に入ってです。だがそれをすると、なかなか出られなくなる。滞在が長引く。そこで考えたのが、観なければならない番組だけにすること。そうすると極力観る番組がない!なんなのぉ。

 地デジがどうたら言っているが、これでは買い換える理由がないよ。ああ・テレビって不便だねぇ・・・。音楽は、聴きながら何かができるが、観る、と言う行為は面倒なことに、今更のように気がつく。宇宙を見上げるのには、何等不都合はないのに、どうしてだろう?自分勝手ではあるが、実に不思議な現象ですねぇ。

 パソコンは、テレビの置いてある部屋とは別の所。書籍は全ての部屋の、どこにでもあるから、読みたい時に、読みたい本を読めれる。趣味と実益を兼ねているのもいい。最近は、パソコンもかなり使っているので、どうしてもその部屋に籠もってしまう。作業を始めると終りまでしないと、気が済まなくなる。集中してするには、テレビは必要ないのです。

 パソコンをしていて、テレビを観よう。ということになれば、湯たんぽ、毛布等の引越しを余儀なくされる。光熱費の節約を心がける身としては、そこら中の明かりを、暖房をつける訳にはいかぬ。寒くても我慢するか、諸々の事情を考慮しなければならないのです。考えている間に、めんどくさくなって中止とする。

 休みの日の日中には、窓の所なら暖かいので、新聞やら本やらを読む。テレビを観る時間があれば、先ず手を動かすことをしている。友人、知人の類は、我が家に来ると、冷房がないのに驚く。団扇を出せばいいほうで、網戸状態で凌がせる。冬には、来られた状態で、上がってもらうか、玄関先で回れ右、をされますね。

 モットーが過保護にしない。という本音なので、そこを了解されないと、我が家には来られません。暑さ、寒さを防ぐために、程々のことはしなければ。とも思うが、何分過保護は止めたいものです。自分のためという建前も、決して地球のためではないからです。どれほどの素晴しい現実も、自然災害を引き起こす起爆剤に他なりません。

 リエさんにあげた枇杷種茶等の味が違う。ということでしたが、体調や水でも微妙に違います。況してや、場所や採った時期や、保管方法でも、著しい差こそないのでしょうが、やはり何等かの変化はあると思えます。でも、それが当たり前のこと。そういったのが出ないことこそ、可笑しいのです。何故なら処置をするからです。

 枇杷葉に何年か関わっていて、少しはわかってきたのでしょうか?まだまだ研究の余地があるところです。

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