枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

梅への想い

2009年02月09日 | Weblog
 奈良がすきである。以前は、御薪能や阿修羅像を見に、通っていた。京都より奈良の方がしっくりくる。万葉植物園の万葉集の歌に、立ち止まりつつ園内を周り、奈良公園をそぞろ歩きし、薬師寺や新薬師寺、入江泰吉写真館まで行った。

 興福寺の阿修羅像が最も興味深く、藤原不比等にひどく惹かれた。コミックでもその時代の話が好きで、ほとんどを所持している。魔物類や、陰陽師など、心にひっかかってしまう。

 坂田靖子が好きなのも、人間の微妙な心の動きを、漫画で描く世界の様に、体験や経験を感じてしまうからだ。正倉院は、外からしか見たことがないが、特別展にうまく休みが遭えば、一度は行ってみたい。

 月ヶ瀬梅峡はちょうどこの時期に訪れ、小雪の舞う中を歩いて周った。馥郁とした梅の香りに満たされて、宇宙に浮かんでいるようだった。以来近場の梅園に必ず出かける。我が家にも梅を植えてある。これが少々変わっていて、初めは紅梅だったのが、いつの間にか、白梅と紅梅に分かれて1本の木に咲くようになった。

 なんとも不思議である。桜が嫌いなのではなく、単に梅の方が好きなのである。『ガラスの仮面』の紅天女も、紅梅の精であるから、惹かれる所以であろうか。源氏物語に、光源氏が、桐壺との元服の別れに、その朝一番に咲いた白梅を手折って訪れ、切ないほどの心で訴える。この件が好きだなぁ。

 春や春、梅一輪のあたたかさ。小林一茶の句も、優しい思いを抱かせる。一茶自身は、幸せとは言い難い人生であったらしいが、俳句の歌には世の中に負けたくない思いがみえる。私が、男であったなら、梅一輪のあたたかさを感じれる女性と生活したい。でも心の底には、一本筋が通っているような、芯のある人がいい。

 でしゃばらずさりげなく、機転の利く人間。自分でもそうありたいのです。人の話を盗み聞きして、平然としている人にはなりたくないな。七瀬が言っていたっけ。予知能力はいらない!普通でいいの。そうだね・・・。なんでこんな力があるんだろうね。誤解も受け易いし、精神の錯乱を招いてしまうよ。

 心って見えないことが、どんなに相手を傷つけているか定かではないもの。そうなることがわかっているから、出ていくのがおっくうなの。極力避けてしまう。

 今日も、実技の終了間際に、ちょっとした体験をした。二人で組んで、お互いを癒す、ということだったが、私にはそれが効かない。他の人だったら気持ちがよくなるのが、却ってバリアーを張り巡らす。

 相手の人が可哀想であった。ごめんね、kさん。講師の一人に訳を言っても、むろん見えないし感じはしない。これが見えれば、私の持っている力を知って驚いたであろう。

 ここで、枇杷茶を飲みはじめた人が増えました。枇杷のことを知ってくれただけでもいいのです。でも、その気になってくれたことはとてもうれしい。研修に行って、数人でも体調が変わってくれればしめたものです。真実を告げてあげるにも、みんなの前では言い難い。かと言って、知らぬ顔もできない。要は、本人のする気を待つのみです。Yさん、○秘のメルアドを教えたいのですが、連絡ください。

 我が家の白枇杷の苗です。1本は、芋虫に根を食べられて、遭えなく枯れてしまいました。残りの1本ですが、鉢植えで持ち直しました。今年も白枇杷を買うかなぁ。種はうまく漬かっています。
 
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近未来には・・・

2009年02月08日 | Weblog
 昨日は、どうしても開かなかった。自分のブログということを忘れて、呪文を唱えなかった故です。って、そんな訳があるのですよ。前回も、なんどやっても拒否反応が出て、いかんせん開きませんでした。

 地球のことを考えて、エコな生活をしましょう。と世界各地で行事がある。SFの世界ですな。『夏への扉』の主人公がいろんな発明品を出していく。

 職場で、じっとしていて、いろんな所に行きたい、と言う人が居られる。夢の未来カーの登場!!電気で走るのもいいけど、小さなポットに大きな力があるのがいいね。

 また、車椅子のまま乗れて、(運転席に)エアーで体に負担のかからない構造がいいでしょう。頭で考えることで操作でき、2m範囲にお互いが接近できない仕組み。

 非常事態には、車が判断して人間を近づけられるか、病院に車が運んで行く。(事故や、病気の症状が悪化する非常事態)認知症への対応には、必ず介護者が同伴する。さながら動く個室かな?

 でも、1台が一体幾らかかるのだろう?金額の不安も尽きないね。こんなロボットカーができたらば、体の不自由な人にとって、自立を助けることにはならないの?

 五体不満足の乙武さんが使っている車椅子を見ていて思ったよ。明日は我が身です。身体の細胞の再生も、時と場合によっては行なえる世界が、火の鳥の猿田博士の研究にある。人間の心を持った細胞が、自己犠牲に於いても助けたかった人類。

 金曜日の実習の帰宅途中、その火の鳥を視ました。(朱雀、鳳凰)私の視えるのは、龍と鳳凰です。百武彗星がすばらしい輝きを観せた年、何匹もの龍を空に視ました。

 最近は、それに鳳凰が加わったようです。でも、ひっきりなしにではなく、予告なしに突然現れるので、思わず声を呑み込んでしまいます。第六感を使わないとわかりません。

 昨日は久しぶりの休みで、午前中はコンタクトに行き、午後からは味噌を造りました。タッパーで造るやり方です。熱湯に1晩浸けてふやかすと、作業がとても楽になり、すりこぎと擂り鉢で簡単にできます。1時間位。ストーブに乗せて沸騰させ冷ますを何回か繰り返す。

 指で大豆に触って、ぶにゅっとなればしめたもの。麹は3升、大豆1升、塩1Kgです。麹に予め混ぜておくのは、700gで、残りの300gは、潰した大豆と麹とを混ぜて味噌玉をしたものの上に、雪のように伸ばします。これで夏を過ぎれば、食べれます。

 尚、昨年の味噌が少しあれば、塩の上に乗せます。より発酵しておいしくなりますよ。茹でた大豆の汁が多すぎたら、洗髪に使いましょう。しっとりして艶が出ます。

 めんどくさい方も、流しには捨てないようにしましょう。庭のある方は、有機肥料になります。何処にも捨てられない、活用方法も思いつかない方は、鍋で煮て飲んでみましょう。ちょっと粗い豆乳もどきです。この時には、とろ火で煮てください。強火では沸騰し爆発してしまいます。注意が必要ですよ。

 枇杷茶をして、飲んだ後のお茶パックをお風呂に入れていますか?で、その後はゴミで捨てていませんか?ちょっと待った!!お菓子などの入れ物の缶を使って、枇杷湯の後の枇杷茶パック。

 よく乾燥させて葉を出し、その缶の中で、灰にしますね。それを固形せっけんに混ぜて使ってみてくださいね。びっくりするくらい、汚れが落ちますよ。え?身体も、洗濯物も、食器もです。

 但し食器には、プリン容器にでも入れて、洗剤と混ぜてくださいね。手荒れがしませんよ。また驚くほどにきれいになります。普通の灰でもいいのです。でも枇杷には優れた効果と、最後まで使える利点があります。是非お試しください。捨てる前の工夫をすることをお薦めいたします。

 特に、化学洗剤に弱い、と言う方には強い味方でしょう。立春を過ぎましたが、糠と塩と鶏糞を入れました。クリスマス・ローズが蕾をたくさんつけています。梅も、椿も同様に、陽射しが伸びていくのを心待ちにしている。もうすぐ春ですね。ほら、かすかな足音が聴こえませんか?

 研修の実技も明日が最終。次からは実習になります。勤務先で、ベッドメーキングをしましたが、とっても簡単にでき、しかも時間のロスがなくて、掃除までしちゃいました。それでも時間が余った。責任者のお褒めの言葉に照れましたが、自信が持ててうれしかったよ。

 自然に慣れて、身体が動くのですね。全部を直ぐに覚えられませんが、一つずつ確認してやっていけそうです。まあ、その前に、失敗をたくさんしましたよ。叱られなかったことが、とても励みになりました。自分を必要としてくれているのが伝わる、勤務先なんです。

 銀河に携帯を向けたら、不機嫌になられた。せっかくおしゃれに没頭していたところを、ポーズ!と言われた所以です。で。すかさずシャッターを押しました。
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言葉の持つ意味

2009年02月06日 | Weblog
 『傾聴』とは自分より他の人の言われることに、耳と目と心をかたむけてきくことである。もしもそういうことを、実行しなければならない仕事であったら自分という者を、前面には置いてはならないと思う。絶えず、いつも、相手が先で、自分が先になることは決してない。

 然しながら、支えることを喜びに、笑顔とやさしさ、たおやかさを持ち続ける。このような人間を容易く演じることができるなら、人は努力も、学びも必要ではないでしょう。人間は、万能でも、完全でもあり得ません。だからこそ、生きるという過程を繰り返すのです。

 但し、人生を何度もやり直すことは不可能ですし、現在の記憶すら、はっきりと覚えていられはしません。前世で、如何様や、人道上の不義理を行った人は、現世では、普通の人生が与えられるかもしれないし、事故や予期せぬ殺人に遭うやもしれません。

 そして、来世では、人を裁く選択をするような生き方を辿っていくようにもなるのでしょうか。それらは、何一つとして、自分で決めたり、選択できる余地はまったく、というほどないとも思えます。時々前世のことが具間視えたり、来世の姿を視ているかもしれませんが、ほとんどは気がつかないのです。

 人間の種類にも、白人や、黄色、黒人、それらの混血等、様々な形態が存在しています。また、生まれながらに違った形態をとっていたりもします。でも皆等しく人間ですね。顔の配置や、背丈や、声や髪の色、目の色が其々に違うという事の他は、人間であるのです。

 そこに区別が現れると途端に、自分が一番人間らしい、と錯覚します。相手の方が、自分より劣ると判断してしまう。そうではなくて、相手の方が優れている、と判断すれば服従か、覆す物が出来るまで、おとなしくしていて、時をみて反乱を起こす。

 歴史はそうして繰り返されて来た訳ですね。神の意図する理由は、何にあるのだろうか?私は、何のためにここに存在しているのだろう?実習の合間に、ちょと異様な体験、経験を話すと、黙って聴いている人、恐ろしそうに嫌な感じを我慢している人、打てば響く反応をみせる人、じっと心の耳を傾ける人、ぎくりと怯えている人、とさまざまであった。

 オーラはどの人も持っているよ、見えないのではなく、視ようとしないからなのよ。と言っても直ぐには信じれないようでした。私の手は、氷のように冷たいのですが、相手の肌に触ると、ぽっとそこが温かくなります。次に電気が流れ込んでいき血液の循環を促し始めます。それから細胞を活性化させていきます。

 私を信じてくれる人には、効果的面らしい。お礼は要らないけれども、感謝する心でいてほしい。言葉や生活習慣が違うSさんは、それがとてもよく通じます。同じ日本人の方が心を踏みにじる行為をする。でも本人は、得した思いでいてもそれが私には通じません。必ず本人に却って往きます。そうして亡くなった人は何人も居ます。ホームズにも解き明かせない、完全犯罪の成立です。

 佐藤さとる、を知らない人が居ようとは、思っていなかった私に、研修24名の反応は衝撃であった。そうか!誰もが本を読むとは限らないのか!!いやあ、びっくらこきました。話が大幅に食い違う会話、というのも楽しいものですな。

 そして私の友人、知人の類が、めずらしい職業に値するという事実に、目を剥きました。うひゃあ・・・すごいことなんだね。しごく当たり前のことに認識してて、卒倒寸前でしたよ。なんという幸せなことでしょうか。わーい。すごい、すごい!!って、私以外の人は、みんな素晴らしい♪

 CDをじっくり聴く時間がとれなくて、車で聴きながら走行してます。年末はオペラで、新年はマリス・ヤンソン指揮のウィーン・ニュー・イヤーコンサート。今は、ベートーベンの交響曲、第4と第6田園です。

 最近、生演奏に行けなくて、ちょっぴり淋しい。心のゆとりがなくなっている。少し角度を変えてみよう。
 淡路田中の、3年目です。20cm角の鉢に植えています。木丈はさほどではありませんが、葉が異様に大きい。どの方角でも、それは変わりません。寒さも建国記念日が境になるのでしょう。心が急く思いですね。

 朝の早い時間帯の電車に乗るので、ホームで待っているのが寒い。千葉のRさんがおみやげに買って贈ってくれたスカーフが重宝しています。とても気に入って、大切に使わせてもらってる。

 私の周りには、枇杷で繋がっていく、人の輪が増えているようです。どの人もかけがえのない、大切な人ばかりです。

 今までありがとう!そして、これからもどうぞよろしくね。
 
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春とは名ばかり

2009年02月05日 | Weblog
 立春が過ぎた季節でも、少しも春とは思えませんね。でも、梅が綻んできています。玄関の白梅と紅梅が今にも弾けそうです。枇杷葉の神秘なところは、信じて実践してもらうと、とてもよくわかります。

 ちゃっかり便乗の気持ちでは効きませんよ。まるで裏表の結果になった、Eさん・Yさんと、MさんにIさん。変化が出て輝き始めたEさんは、近づいて来て、枇杷茶を飲みはじめたことを教えてくれました。

 Yさんはこのブログを全部読んでくれたのかな?反対に、Mさんには、ファイルまであげて、お隣にあるのだったら、もらって作りなさいね。と言ってあげているのに、何やかやと理由をつけて、さっぱりしようとしない。

 風邪を引いて、体調が悪いまま来て、同情をさせようとする。知らないよ。しないのだったら、ファイルはいらない。って言えない?決して無料じゃないんだよ。

 してもらうのが当然なのではなくて、どうすれば相手が喜んでくれるかだよ。なんでわからないのだろうか・・・。

 ああ。二人で組んでやるのに、相手の心がわかって、却って何にもない真っ白けの状態に陥る、おぼっちゃまがいます。こいつと組みたくないのに、順番でいくと必ずなる。えらいこっちゃぁ!

 Iさんは、トイレでドアに指を挟んで、骨折した。?????これにも困惑。こういう方には、お近づきになりたくないよ。なのに向うから、接近される。帰りの電車でぶっ飛ばしてしまいました。

 ほんとうに迷惑千万ですぅ。しかも、背後から抱きつかれて、振り払うのにえらい目に遭いました。本人はまったくといって、気がついていないの。まるで能天気に、ただただ感心しています。

 Eさんは、少しずつですが、運気が好転し始めています。但しお祖母ちゃんがネックです。普通に大切にしてあげてください。それとお祖母ちゃんのおっしゃることを、自分で理解するよう努めてね。

 Yさんは、女性にちょっと冷たいところがあるのかな?とても大事な人には、何気なく自然に言葉で伝えることもしてあげて。

 人間は全て弱い生き物です。みんな同じで、個性が違っているだけだよ。無理をしなくていいから、自分に自信を持ってみてね。

 枇杷茶を飲みだすと、そういったことが除々にできてくるんだよ。まだ、人生の半分も生きてきていないでしょ?あせらずやってみてください。これからは二人でできるでしょう。家族が増えていくと、違った意味でたのしめるからね。

 暗いトンネルを抜け出せたのだから、衣食住をどうしたら、手にいれられますか?原始時代からの出発だよ。

 4年前の枇杷とパンジーです。淡路田中は、15cmほどの丈です。これが今では1.3mはあります。南向きにプランターに植えています。もう既に根が下りて、移動が困難になっています。

 パンジーは、毎年種から育てて、苗を出して咲かせ、縁取りやアクセントに使います。
 
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特異体質

2009年02月04日 | Weblog
 人間は、感情と理性が、うまく織り成していると普通、とみられる。ところが両極端に、どちらかが偏っていると、奇人、変人の類で、変わり者扱いを受ける。

 でも、人間の表面だけで、その人がわかる訳もなく、どんなに親友といえど、心の内までは覗けはしまい。自分をわかってもらうには先ず、相手を知ろうとする心が大切だし、信じることが前提だと思える。

 また裏切り行為は例え、命と引き換えでもしてはならない。人を信じれなくなった原因は、人間の心の中にある。でも信じたい想いも存在する。

 それが頻繁に繰り返されると、精神に異常をきたして、除々に心を病んでいく。枇杷には心の奥に入り込んで憂いを取り去る働きがある。

 今は、枇杷葉の、葉や花芽の活用時期で、葉も花芽も、お茶と枇杷酒にできる。お雛様の頃までが限度で、春の息吹を感じ始めたら、できれば採らないのがいいでしょう。

 秋口までは、使うのは葉だけで、温圧療法に用いるくらいです。夏には、枇杷が出回りますから、ここでは種を取っておきましょう。

 保存には、乾燥方法と、焼酎に漬け込むやり方があります。症状や好みでしてみましょう。何れも枇杷は捨てるところがないのです。またくれぐれも、分量を守ってくださいね。

 場合によっては、致死量を摂取してしまうことが起きます。専門医か詳しい方に相談してくださいね。枇杷の種類や品名は、その地方によって、多々ありますので、身近にある枇杷でしてみられるのがいいでしょう。

 無い物を手にいれようとしても、環境の変化がありますから、育たないのではないのでしょうか?膨大な時間が生じてくると思います。まあそれも楽しみではあるのですが。

 視覚障害の方は、記憶力と、聴覚がとても優れているのですね。人間の体には、足らない物を補う能力が、備わっているのですね。

 健常者だからと言って、安泰かと考えるより、心の眼を使って視た方が、どんなにいいことかしら?眼が見えなくても、感じる心はありますもの。

 ほら。こうやって心にアンテナを立てておけば、花が咲いてるのも、鳥が飛んでいるのも、雨の降っている様も、ちゃんとわかりますよ。生かされていることを、自ずと感謝すれば視えてくるのですよ。

 我が家の出窓の所に、鉢植えで置いてある枇杷。淡路田中です。これもわずか10cm程度の苗だったのが、糠と塩を与えだしてからは、ぐんと育っています。

 今年の夏には、暑さを避ける日よけになりそうです。涼しい風も運んでくれそうかな?
 
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鬼は外・・・

2009年02月03日 | Weblog
 早朝、5時起床。帰宅してから巻き寿しをしようと、準備をしておく。ご飯に砂糖と塩と酢を混ぜて、お布巾をかけて出かけた。夕方の6時過ぎ、雨の中を安全運転で帰宅する。

 寿司飯は味が浸み込んでいる。急ぎ卵焼きを作り、のりの上に寿司飯を置き、卵焼き、それから具をのせて巻く。手早く5本巻いて、孫達が待つ息子夫婦の所に持って行く。揃って巻き寿しにかぶりつき、豆まきをして我が家に着いた。

 やれやれである。豆まきの鬼のお面を作って、おばあちゃんの分、だとプレゼントしてもらった。ほんに可愛いものですね。これからも素直な心のままに育っていってほしい、と願いました。

 実習に電車で通うと、どうしても枇杷の木が眼に入ってくるのです。だいたいは線路の脇にあったり、民家の近くの畑にあったりします。それも大きな樹です。

 今の時期は、花が咲いていますから、見つけ易いのでは?15分程の距離に、少なくとも30本は見られます。でも、それらの枇杷の樹が、正しく使われているかは、定かではありませんね。それよりも邪魔にされているか、無視なのではないのでしょうか?なんとも悲しい限りです。

 最も、そこの家の憂いを含んでいる、と言いますから、むやみに採ってしまう訳にはまいりません。できるだけ無害に近い枇杷を分けてもらうのがいいかと思います。

 実習を受けている25名の内、1人はたちまち風邪でダウン。補講が決定です。また、初日から強いオーラを出しているYさん。自分でも何かと奇怪なことに遭遇しているようです。

 今日、私の波動をちょい、送り込んであげてみました。このYさんには、手からというか、指先から電気が流れていくのがわかったよ!初めは何かわかってなかったYさんは、かなりなとんちんかんを発していました。でも、直ぐに反応して、うれしそうな顔をしてくれた。

 Yさん。枇杷茶を飲んでみない?きっとパワーアップするよ。住まいが田舎の方らしいから、枇杷の木は何処かにあるでしょう?きっといいことがあるよ。Eさんは、お祖母さんが枇杷のことをよく知っていて、話してびっくりして、ここを覗いてもらっているの。

 ブラジルから来ているSさんは、お家に枇杷が植えてあるそうです。でもあちらは夏だそうですよ。私がとても不思議なパワーを持っていて使えることがわかると、してもらうのが当然とばかり、言ってくるね。なんだか思わず笑えてくるよ。そういう人には、適当にしかできない。それでもしてあげることができるから、多少は効いてはいるのでしょうね。

 お礼を言ってくれた人もいます。うふふ・・。この研修や実習で一番、言われていることは、相手の立場で考えてみよう、ということなんだよ。

 自分の肩凝りや、疲れが取れたら、それでいいってか?私は、そういう人から栄養たっぷりの波動を、抜き取っていたらばどうするんだい。誰も気がついてはいないね。ありがとうです。

 知らぬが仏とは。YさんもSさんも心がほんのりと、温かくなっていませんか?時間はかかるけれどね、治してあげれるよ。Eさん。お祖母ちゃんから、枇杷の種を分けてもらって飲んでみて。

 枇杷の花です。満開の状態を分けてもらいました。お正月に連絡を受けて、採りに行ってきました。
 我が家からは1時間かかるのですが、品質がいいので助かっています。
 枇杷酒にしています。
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泣き虫、毛虫

2009年02月02日 | Weblog
 実習から帰宅して、明日の段取り(節分)を嫁に電話する。と、何やら、事件が起きている模様。孫の保育園に行っているのが、ご機嫌で電話口に出て来ると、お姉ちゃんは泣いてる。折り紙が出来ないって、泣いとんじゃ。と早速言いつけよけいに泣かす。

 母親に叱られても、だって泣いてるもん。やれやれ。よう泣く。まあ息子は、苦手はパス(僕はできない。と直ぐ諦める)であったから、泣けるだけいいね。と心で想う。

 何とか電話口に出させて、○○は、箱が作れたね。おばあちゃん、わからなくてできないから、今度教えてくれる?と言うと、何?って反応した。え?折り紙でだよ。○○は、じょうずでしょう。忘れないように、教えてね。うん、いいよ。じゃあ、指きりげんまんって、見えないけど、約束する。

 初孫で可愛く、おぶい紐でおんぶをし、泣く前に誰かが世話をしていた。ところが保育園や小学校に上がってからは、一人でしなければならないことが、増えてき始めたことと、何にしろ、初めてのことで、できないことが、悔しいらしい。

 泣いて出来る訳ではないが、まだ6歳である。天才にはほど遠くて、考える余裕もなければ、兄や姉が居て、見よう見まねで、ということにもならない。親も、できる限り手出しをしないで、やらせようとしているらしく、根気比べである。

 答えを直ぐに用意するのは、簡単ではあるが、ほんとうに困った時、自分で考えて行こうとしないし、答えがいろいろあるのに気がつかないではないか。答えが無限大にある方が、発想の転換を起こさせる。

 惹いては、ノーベル賞候補になれるかもしれない。などと姥莫迦丸出しでにたついた。明日は節分ですね。立春大吉に孫は生まれました。東野圭吾もこの日だそうですね。作品としては、少なくないのですが、金欠であまり買っていません。某新聞連載の、映画にもなった、『手紙』は泣くことを忘れて読みました。後は『予知夢』ですが、経験があるだけに、心理描写に、ちょっと驚きました。

 どんな仕事にしても、資格を持っていればいい、というのではないと思えるのですが、学歴や資格だけをひけらかす人間は、こちらの心に平気で入ってこようとするので閉口します。う~ん。受け取り方にもあるかもしれませんが、あまり親しくもない間で、プライベートは言えない、と思います。

 例えば、あなたは将来、お金持ちになりますと言い、それだけで何もしなくてすませられますか?ここで自分をよく観察して、地道に努力をして行こう。と思えばいいけど、手っ取り早い方法で、株に手でも出して、すっからかん。ということもある訳です。

 そうなって逆恨みをしません?そういう人からは、オーラの欠片も飛んできません。思念、というか、切羽詰った想い、なのか。切々とした、断片が視えたりするとわかることがあるのです。でも、そういう人でも、公衆の面前では言えません。

 言葉の持つ魔力、とでも言いましょうか。波動の大小にもよりますが、悪い物をもらったり、いい物を盗られてしまうこともあるよ。また、他人の人生の運気を大きく変化させることは、新しい人生を創ってしまうことにも成りかねない。

 金銭的なことより、何人もの人生を面倒みていく気力はありません。で、言えないのです。責任の持てる範囲内でしかやらないのです。人間は、心があるのですから、それが伝わってこない方とは、ご遠慮申したい想いなの。

 手前が白枇杷。向こうが、茂木の赤枇杷です。方角は、北東です。茂木は、昨年にたった一つ実がなりました。花が、5枝ほどついています。さて幾つ実がなるかしら?

 白枇杷は、南に置いていた鉢を、地植の傍に引越しました。いっしょに居たかったのか、新芽をふいて復活しました。
 
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朝・天に懸かる虹

2009年02月01日 | Weblog
 昨日は、味噌を作る麹を買いに出かけた。軽四の車体が浮き上がりそうな強風に、安全運転で行く。帰宅しても風は止まず、火事にでもなれば、大変なことと夜半を過ごした。深夜もガタピシと煩い音がしていた。

 今朝、起きると治まって、出かける頃には青空がのぞいていた。と、空は晴れているのに、にわか雨が・・・。ふと天を見上げると、一筋の虹が懸かっている。その虹の上を、『わし、死んだんかぁ。』とつぶやきながら、天に昇っていく魂があった。昨日不慮の事故で亡くなったらしい。

 何も、天候の荒れ狂う中を、山に出かけて伐採しなくても。と思うような日に、よりによって往くとは。突然襲いかかった出来事に、納得したくなかったことだろう。けれども、肉体はしばしの時間も待ってはくれず、打ちのめされたことだろう。と推し量った。

 あの時、頭が痛くなり、耳に異常音が聴こえた。断末魔の叫び、というのはこんなものなのか。でも、知っていたとしても、助けられはしない。どうすることもできないのだ。助けられる命であれば、自ずと私の傍に居られるだろうから。自ら離れていった命に、わざわざ手を差し伸べてあげれるほどには、まだ己ができてはいない。

 ただ、神の意思に任すより、手立てがない。明日死にますよ。と言ってあげて、ありがとう。とは言えないでしょう?それよりも、何故、死ぬのか!?怒りませんか?だから決して、死を予知してはならないのだと思います。なぜなら神の領域でしょうから。

 枇杷茶がなかなかできません。材料は確保しているのですが、ほぼ毎日のレポート提出と、往復に気合が入りすぎているのかしら?後半に、人混みでの風邪をもらったのでは意味がありません。

 慣れない通勤に、気が重いです。日本の季節の変化にはありがたく感じながら、街中に集中する人口には辟易します。どうも息苦しいのです。マスクをしても、生命反応がありますから、精神波の影響を受け易い。

 でもまあ5日間です。我慢しましょう。枇杷茶を持って通います。弁当も持参しますね。外食は、どうも食材を信じれないので、おむすびだけでも作って行きます。安くておいしいのも、化学調味料での味付けでは、お腹を新幹線が走ります。

 千葉のRさんが贈ってくれた、強い味方の珈琲も入れて行きますね。インスタントとは思えないおいしさです。苦くないし、お腹にやさしいのよ。これを頂いてから、どんなに安くても、買う気力が無くなりました。

 お茶は、枇杷茶。マイコップを持って出かけ、何処でも安心して飲むことができます。環境委員も2年間し、実感としての実践です。お金があるから、便利だから外食でなく、自分の体や、みんなの地球を守っていかなければ。自分だけのものじゃないんだよって、思いますね。

 昨年、9月初旬。種を蒔いて、芽が出たパンジーです。苗で買っていないので、元気です。葉が多少は変わりますが塩を振ります。殺菌効果で、青々としています。種が悪いと、発芽しませんね。

 また、気象条件でも左右されます。プランターより、ポット栽培の方が、たくさん出るみたい。鉢植え枇杷の根元に、縁取りにして植えています。

 梅の蕾も膨らんできて、節分から立春への節目に、心が弾む想いです。
 
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