枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

古本に発見あり

2011年07月21日 | Weblog

 予てから友人が、近くでいいから行きたい。と言う古本屋に出かけることにした。夏休みなので孫たちの迎えもないし、運よく研修もない。テレビが好きではないので、一日中付けっ放しの状態だと、もの凄い音が、一気に押し寄せてくるのを避けられず、頭がぐちゃぐちゃになる。これが毎日だと、気が狂うではないか。

 その点書籍は、どの本の何ページに、何が書いてあるかがわかるし、繰り返して読んでも厭きない。職場で変に仲良くしてもらうより、孤独を選ぶ方がいいかなとも思う。まあ、人間関係が上手くいくか、いかないかは、どんな人とも相性にもよるだろうし、どちらかが我慢をすることにもなる。或いは、端っから諦めて接するかだ。

 そういう意味でも、書籍が傍にあることは喜ばしい。思考するにも、自分の想いを変えたり満たしたりするのにも、至極便利である。基から自分と同等の知識があったり、不足な部分を補ったりできる仲間が、そうそう何処にでも居る訳がない。身近になどとんでもない。だからこそ、書籍に没頭するのだ。文字は無限大の知識欲を広げてくれる。

 今回のお目当ては、『ナルニア国物語』と、コミックの欠落した巻を探してみること。あれば心が躍るし、なくてもいつかは手に入るだろう。この2年余り、枇杷葉のファイル更新がさっぱり進んでいないし、しなければならないことは山ほどあるのだ。出不精を理由に、活動範囲を狭めていこう。どんなに心を込めても、迷惑顔をされてはたまらない。

 友人から譲り受けた枇杷葉苗。狭苦しい鉢でも、すくすく育っている。我が家の庭で、毎年枇杷の実が生る木を除けば、サンタさんの枇杷葉が一番大きい。次いで南側のと西側で、りささんのは、丈こそ低いが、葉はすこぶる育っている。これは品種が違うため。何れも順調な生育です。花芽がどれかにつくかしら?

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魔法の呪文

2011年07月20日 | Weblog

 アラビアンナイト。中学生の頃、夢中で読んだ。中でも、湖の魚が、元は人間だった話。アラジンの魔法のランプ。アリババと40人の盗賊などは、息を詰めて一気に読んだ。その後、随分と経ってから、読み返してみたが、やはり面白さは変わらない。特に、あの呪文。魔法の呪文に惹かれた。モルジアナの気転と、聡明さにはひどく感心した。

 今思うに、未知なる世界であったから、尚更に物語の内容に、魅せられたのだろう。東京でも遠くに感じているのに、アラビアは遙か彼方の国だった。科学が進歩を遂げ、人類の未来が輝かしいものになっている現在、人間の能力を超えた恐ろしい出来事が押し寄せてくる。何という皮肉であろうか。自然という、人間が最も振り向かなかったものによって。

 だが。自然とは神である。地球という星を護る偉大な者だ。人類は、決して超えてはならない領域を犯した。魔法の呪文が使えたら、原子炉が壊れる前に戻したい。そして更に、造られる前の状態にしたい。原爆が広島と、長崎に落とされて、日本は戦争を止めた。それなのに、何故?危険極まる原発を造ったのだろう。

 庭の花木が、雨に風にうれしそうだ。そこに獲物を狙う蜘蛛は糸を張って、飛ばされないように工夫している。何時もは、風呂場の窓に張り付いているヤモリが、姿を見せない。ナメクジは枯葉の下で様子を伺っている。帰宅して見ると、孫たちの食べた西瓜に集まっていた。蜂が、せっせと巣に餌を運んでいるが、玄関の側は拙いです。

 林檎に花が咲いて、実をつけたが、3つの内1つは失せた。早く生り過ぎたのか。最も、売り物ではないが、自然栽培にするとすれば、10年以上はかかるだろう。知人に、栴檀の木を頼んでいる。小さな苗でいいのだ。農薬の役目をするとあった。自然の物にはそれに見合うことでできるのがいい。

 きんぎょ。金魚。キンギョ。庭を泳ぐ金魚である。レモンイエローの姿が、緑の海で心地よさそう。

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海の王の怒り

2011年07月19日 | Weblog

 蜂が忙しく巣を作っていた。然も、低い場所で、風を避けられる所だ。こういった年には、台風が多い。同時に、その勢力も強い。自然に生かされ、自然を相手にする者には、本能で察知できる力が働くのだ。それに気づく者は、不思議を信じるか、知恵や探究心かもしれない。

 自然に抗うことなく、風や水や、太陽の光の様に任せている。人間は、何処でその掟に逆らってしまったのであろうか。地球にとっての生命維持は、人間のためではない。太陽系を廻るシステムを壊さないように、或いは連携していくために、秩序の移行が行なわれる。

 再生しよう。このままでは危険だ。人間は増え過ぎた。このままでは滅んでしまう。自然の掟に立ち向かおうと、阿修羅王は戦う。導師と供に、失う物が全てであっても、世界の終りに繋がっていこうとも。『百億の昼と千億の夜と』 阿修羅王に遭いにいこう。

 物語を紡ぐのは、人間でありながら、その実、地球そのもの。言い換えれば、神の意識の中に存在する、小さな点に過ぎないのだ。あらゆる試練に耐える者が残る。或いは無欲な者が生きられるか、欲で固まった者故、その生き方を、問われているのかもしれない。

 枇杷葉に雨がかかる。実を採った後の葉は、栄養分がなくなって、黄色になり落ちている。網目状になっているのは、蛾の幼虫が養分を吸い、育っている。先日、通りすがりに腕を刺され、指で捕ろうとした。途端に激しい痛みが襲った。指先に火がついたような痛みだ。

 枇杷葉エキスをつけたが治まらない。種のエキスにした。数秒後に落ち着いた。この効き目は凄い。痒みはおろか、痛みさえ感じない。指先の痛みは、チリチリしたものに変わり、すっと潮が引くように消えたのだ。おっどろいた!!これって、楪毒蛾の幼虫かな?

 PCをしている傍に来て、微妙だにしない。この直後、すっと顔を上げた。口を開けて何か喋った。聴き返そうとして膝をついて抱き起こした。よほど苦しかったのか、手の甲を噛んできた。痛くはなかった。「銀河!」の呼びかけにも応えず、両手の中でくっと啼いて逝った。

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PC不調・・・

2011年07月18日 | Weblog

 どうにも動きが遅い。時間がかかって仕方ない。画面が変わるのを舞っていると、眠気が襲う。メールもやたらとスローになる。すごく疲れてしまう。そろそろ寿命かな?買い換えるか2台目にするかだが、冷蔵庫が先かなぁ・・・

 しかし、どう考えても工面できない。車検に出した。歩きで行けないこともないが、時間がかかるし、疲労度が違うしで、ここは年齢的な負けである。冷房はなくても我慢できるが、仕事の段取りが悪い。花木に水遣りをせねばならぬ。

 便利さと豊かさには、人間の怠慢もあろうが、働く意欲を欠落させたように思える。自分だけなら、その日が暮せればいいが、家族が居ればそうはいかぬ。誰かが上手くやれば、その他大勢がその次を狙う。人間の心理であろうか。

 クリスマスローズの花は、夏中、日陰がいい。加えて、水遣りを欠かさないことも大事。今年は、小さな苗を移植して鉢植えにした。そのままでも育つが、踏まれてしまう。株も抜けたのを植えた。付いたようだ。新月から満月に行なった。

 明日は終了式で、孫たちを迎えに行くが、台風が接近とかである。ブルーベリーの葉に、蛾の幼虫がいたのを素手で触った。腕は通りすがりにあたった。激しい痛痒さである。枇杷葉のエキスを塗布するが、痛みが取れない。種のエキスを塗ったら直ぐに治まった。

 先月、膀胱炎で止む無く病院に行ったが、受診料と薬代に眼を剥く。た・高い・・・・アレルギーb反応が出てしまって、踏んだり蹴ったりであった。そういった気持ちを伝えるのか、とも思えるPCの反応である。

 白い芍薬。大輪の花が咲いた。

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三連休・・・

2011年07月17日 | Weblog

 そうか。またしても連休である。いや、世間がです。私の勤務も、そうなっていたのだが、事情が絡んで、飛び石になった。まあ、世間並みでなくても、自分のやりたいことに合わせてある。このところ、図書館で借りた本が読めない。トホホ・・・眠れないのだが、することがあり過ぎて。加えて花木の水遣りは欠かせない。

 とまと、2個収穫。オクラ2本。胡瓜は既に3本生った。先日は、採り忘れた梅の実が熟していたのを食べた。酸っぱさと、熟した香りが美味しかったよ。花も、異常さが目立って、梔子が咲かず、百日紅が咲き始めた。カーネーションも咲いている。植物にも様々な形態があるので、天候不順を、どうやって関知するのだろう。

 こういったことこそ、自然界の掟の難しさかな?温度、湿度、風向き、天候、水質、土質。何かが欠けていても育たない。況してや、人間が決めることでなし、その生命体は実に不思議である。命が生まれ、消えていくのも神秘的なことだが、改めて考えてみると、哲学的になったりするのだ。命はどれもが、かけがえの無い物です。

 初夏の芍薬です。白がなかなか咲きません。緋色の色が、昨年とは微妙に違っている。花が少なかった。寒かったから・・・花も少なかったです。

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枇杷種茶

2011年07月16日 | Weblog

枇杷の実が終わろうとしている。まだ、あちこちの木に残っている実も、鴉や動物に食べられることだろう。人間は、種を取り出せるが、他の生き物には、排泄物で出される。そうして自然に芽吹くのだ。人知れず育って、実をつける。野生の枇杷葉は、こうして増える。

 枇杷葉の種の保存法は、焼酎に漬ける。或いは、お茶にしたり、塩漬けにもする。焼酎に漬けると、杏仁の香りが仄かに漂う枇杷酒ができる。お茶も同じ香りがする。まあ殆どの人が捨てるのだ。種を大切に取っておくのは、通の者である。

 お茶で飲むには、よく洗って干し、焙煎します。熱処理を加えると、アミグダリンの威力がなくなるからです。摂取分量を間違わなければいいのですが、一度に大量に飲むと、呼吸停止や嘔吐の症状が出ることがあります。充分な注意が必要です。

 枇杷葉茶をに限らず、花芽茶にも、種茶にも、生命維持の力が含まれています。それと供に、信じる気持ちが、細胞の働きを援け、変化を遂げていくのかもしれません。資料を書き直さなければなりませんが、視力が良くなっているようです。

 最も、結膜炎に悩まされていたのが、花粉症から来るものか、アレルギーなのかは定かではないが。結果として好転したしたのだ。喜ばしい。但し、枇杷葉茶は箱詰めでよいが、花芽茶や種茶は、虫が湧くので注意願いたい。

 先日、蟻の進軍に困り果て、重曹を冷蔵庫、風呂場に置いたが、1匹もいなくなった。重曹の機能には、臭いを消す働きがあるらしい。それが、他のことに効果があるかどうかは実験していないので不明ですが。

 今年の、我が家の枇杷葉の実です。自然からの恵みを、感謝して戴きました。夏の陽射しに輝く枇杷葉に、せっせと水遣りをする日々です。

 

 

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旧暦に学ぶ

2011年07月15日 | Weblog

 柏餅の葉がないのと、菖蒲の芽が出ていないのが、何とも不思議でならなかった。旧暦の5月5日には、菖蒲の芽が伸び、柏の葉が硬くなる。祖母が、いつも山から採って来ていたのには、ちゃんとした理由があったのだ。『旧暦と暮す』を、読んでみれば、祖母のしていたことがピタリと当て嵌まる。生活の知恵であり、暮らしに欠かせない行事であった。

 七夕は、夏休みになってからだ。その日は、早朝から芋の葉の露を集め、硯を出し、墨を擂って、短冊に書いた。最も短冊は、旧暦でなければ店になかった。売れない物は置かないのだ。紙縒りは、障子紙の剥がしたのを取っておいて使う。或いは、田の畦に生えてある草で間に合わした。まだ新しい紙は使わない。もったいないです。

 墨を擂っていると、痺れが切れた。願い事を書くどころか、顔から手から真っ黒になってしまう。おまけに兄妹喧嘩が始まっていく、畳に墨が散る。祖母に呆れられ、母からは大目玉をくらう。叱られるのは、間の悪い私で、ちゃっかり者の兄は、知らぬを決め込む。そうすると、私は秘密基地に逃げ込む。木の上が、涼しくて眺めがよかった。

 枇杷の樹は、ふてくされた私を、にこやかに見ていた。黄色い実が、枝に残っていて、鴉が啼きながら飛んできて食った。腹が立つがしようがない。何分にも相手は羽がある。祖母は可笑しそうに背中を向けて笑っていた。実家の枇杷の樹は、とても高かった。鴉の餌になっていた。その樹は、花芽が必要で、根元から伐った。

 赤い薔薇。挿し木でどんどん増えていく。

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野菜の旬に・・・

2011年07月14日 | Weblog

 庭のプランター仕立ての、トマトが熟れ収穫する。真っ赤に色づき瑞々しい。青い実を取って置き、色をつかせるのとは違う。旨い!朝は、パンに乗せて食べ、昼のソーメンに添えた。野菜にも旬がある。こういう幸せは、お金では買えない。

 連休には、もっぱら庭の花木の水遣りが待つ。日中の真っ盛りだと茹るので、朝か夕方になる。風呂の残り湯を汲み、足らないのには水道である。井戸がないのでしかたない。最も水源があっても、生活汚水で使えない。

 井戸水は、夏に冷たく、冬には温かい。また、清水は龍が護る。こういったことも、見えないのではなくて、観ようとしない故、わからないだけだ。迸る水源を操るように、小さく姿を変えて居る。感じれば視えるのに。

 枇杷葉の実は、木から外したが、食卓には十数個ある。枇杷葉の木を、灰にした物を混ぜた備前焼の器に入れている。なぜか日持ちが良く傷まない。今年の梅雨では、味を薄くし逃がしたが、甘酸っぱさが美味しかった。

 他所からもらったのは、甘いだけなので、外れると味が無い。苗木は花木店で買ったそうだが、手入れをしないと自然に返る。それと、話しかけたりしての、心を通わせないと、ほったらかしではそっぽを向かれる。

 枇杷葉だけではない。自然の命を戴く、ということは、本来は感謝する者にだけ与えられること。誠心誠意が通じることにより、その恵みを分けてもらえる。お金はその代償にすぎないが、儲けることが目的ではない。命とは、その重みを感謝することでもある。

 今年も、実をつけた猿梨。甘酸っぱさが美味しい。カメムシやバッタが狙っている。

 

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再生のエネルギア・・・

2011年07月13日 | Weblog

 戦後の復興には、電力は欠かせない存在だったが、四季折々の暮らしから遠ざかり、原発を容認してきた。その結果、人類には見えないところで、地球は変化せざるを得ない星へとなった。地球こそ限りのある生命体です。人類など、勝手に巣作っている邪魔な生き物ではないのか。地球は、怒りを超えて呆れ、嘆き、嘆息して、決断する。

 再生しよう。生まれ変わらなければ、死んでしまう。全神経を集中させ、波動を起こす。その周波数は未知数だ。蝙蝠は、暗闇の中でも、自分の周波数を持っているから、決してぶつからない。原発の出す不快音が、地下に潜り地殻の変動を起こす。満月に近くなった時、その波動が地殻に到達していれば地震になり、津波が起きる。

 人類の未知なる世界には、宇宙という分野も、棲まう星にも当然あろう。或いは、この体にも、知らないことが多くあるのだ。自然を侮ってはならない。夏の暑さを凌ぐには、旬の物を戴く。冬の寒さにも、春の芽吹きや、秋の収穫にも、其々の意味がある。便利さの裏には、人類の災いが待ち受けていることに気づかねばならない。

 豊かな暮らしとは、分け合うことかもしれない。個々の者の持つ能力を受け入れ、自分のできる力を貸して、代わりにもらうこと。感謝すれば暮らしは成り立つ。自分さえよければ。と言う考えでは、人となりは成り立たないようにも思える。命は、神の与えたまいしもの。生まれた時、既に決まっている生命体である。

 病に打ち勝つのではなく、そういった侵略者を体内に取り込んで、お互いの条件で折り合うことが、生きていくことかもしれない。人間は、一人では生きられないのであれば、尚更であろう。生きるということ、再生力には未知なる分野が秘められている。即ち、自然の適応力。枇杷葉の実が、夏場に熟れるのにも、自然での条件が揃うから。

 命が育まれていくのには、冬の厳しさが必要で、その種類によっては、条件が整うからだ。木に栄養が行き渡り、花が咲き、実を結び、熟すまでの期間が、其々に異なるからだ。自然の掟には、何もかもが一斉にでは不便もある。ちょっとづつ時間をずらせて、収穫できるよう取り決めているのだろう。

 可憐なピンクのミニバラ。バッタに食べられては、健気に蕾を咲かせた。

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生きるとは、覚も残酷なり。

2011年07月12日 | Weblog

 福島の放射能汚染は、一向に収束しない。それどころか、避難生活を余儀なくされる高齢者が、自らの命を絶った。足手纏いになるから、お墓に避難します。とあった。あまりにも酷く言葉が無い。それなのに原発を、再稼動しようとは!自分だけの私利私欲であることか。

 今回の地震から4ヶ月経つ。その間に、震度は違うが、頻繁に地震が起きた。決して余震ではない。先日はM7.3だった。もう、原発に頼るのは止めよう。機械による快適な生活は、日本の四季を失くした。夏の暑さに拍車をかけ、冬の寒さに異変を来たした。

 自分たちの手で、豊かな自然を壊し、不自然な生活を快適と信じた。五体満足な体がありながら、便利さに慣れ、病気になっていった。どれ一つとっても、満足することも無く、不平を並べ、文句を言い放つようになった。間違いに気づいたら止めよう。

 コンビニはなくても生きていける。無ければ却って、計画し備える。工夫することを考える。捨てないで活用する。枇杷葉には無駄がない。どの部分も最期まで使える。認知症などというものも、便利さが作り出したようにも思える。増え続けることが、そう思えてしまう。

 電話も、固定電話であったため、用件をきっちり聴かないと、えらいことになった。不便さが考えることをさせた。どちらがいいとか、何が間違っているとかでなく、体は使わなければ、動かなくなる。掃除機も使うのはいいが、ゴミは捨ててちょうだい。

 どんなことも軽んじてはいけない。真面目に行い、誠心誠意を尽くそう。世の中に、どうでもいい人間は居ない。役に立たない者も居ない。唯し、自分だけが偉いのでも、優れているのでもない。優劣、陰と陽、大小、短長、これらは相反する。共存するもの。

 枝にたわわに実った枇杷葉。小粒だがとても美味しいのです。

 

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