枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

五日月に・・・

2012年10月20日 | Weblog

 三日月には、雨模様で観られなかった。撮影できないのが残念である。天文写真でも、三日月と金星・木星等のシャッターチャンスは、中々ない。宇宙に張り付いていなければ、撮れないことも。かといって、偶然の撮影もある。上を向いて歩こう。

 休みの日は、洗濯と布団干しに潰れる。加えて、就寝の部屋が誇りっぽいので、掃除機をかけ、庭の鉢物を移動した。秋から冬になり、春の準備である。プランターの下から、ナメクジの家族が出没した。土がいいのか、丸々としている。撤去する。

 クリスマスローズの新芽を、陽射しに当てようと、東側に移す。枇杷葉の葉が採れるよう、周りを立ち入れるようにした。狭い庭ゆえ、効率的に置かないといけない。天水も受けれるようにする。プランターを動かすと、ドクダミの根がたくさん出た。

 庭から室内に入れるのは、プライダル・ベール。これは霜でやられる。枇杷葉の木にぶら下げているのは、もうちょっと置いておこう。枇杷葉の苗が、すくすく育って、5本ほど移植できそう。我が家の庭には場所がないので、誰かにあげるかな。

 サンタさん枇杷葉に、花芽?が。あれれ・・・、違うかな。東南方向にあって、木丈は低いのだが、枝の繁りかいい。これはリエさんのにしておこう。けいこさんの枇杷葉は、東の真ん中のか、北東のにしよう。白枇杷と並んでいるのがいい?

 そろそろ枇杷葉の葉が採れるんだが、誰も何も言って来ない。遠慮しているのか?りささんのご友人さんは、使っていると思われるのだが、補充をしてくださいね。小人さんは出張できませんよ。何が忙しいといっても、命より大切なものはありません。

 その命を守ってくれるのです。常備しておいてくださいね。枇杷葉を送っていても、その後がとても気になる。使えば万能薬になり、使わないでおけば、ただのゴミですから。いや焚き火の時の、焚き付けにはなるか。

 友人が、種を植えた物。芽が出た。と言うが、一向に植えてやらぬので、我が家に引き取った苗。今年は、鉢に移植するかな。

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思いつき・・・

2012年10月19日 | Weblog

 先日来、宮古島の雪塩を使っての、沐浴をしている。50肩の、あの耐えられない痛みと、痺れが取れ、腕が軽くなった。つかの間喜んでいたが、インフルエンザの注射で、熱はする。腕は腫れあがるで重だるい。人間の持つ、自然治癒能力に反することは、受け付けないのだ。

 人間としての、基本的な心がけを怠らなければ、時間はかかっても快復する。常備、枇杷葉茶と塩での嗽は、夏も欠かさない。習慣になっているので、苦痛もない。自分の体はきちんと守らなくては。何かあれば医者ではなくて、心得ていれば、憂いもない。

 洗髪は、真夏でも2週間はそのまま。枇杷葉風呂に半身浴で、体の汚れも臭みもない。頭髪は痒みが生じると洗う。高齢になると、髪がぱさつく。猫毛の癖毛なので尚更である。ストレートパーマはかけたくない。そこで閃いた。塩で髪を洗ってみよう。

 枇杷葉風呂の湯で、枇杷葉エキスのボディソープを使う。その後、塩を髪にたっぷり塗り込め、枇杷葉エキスの湯をかけた。するとサラサラのしっとりに。嘘でしょ?と言う思い。えへへ、自分でも信じられない。びっくりしたよ。

 自然を相手に暮している人や、その方面の関心がある人とは、話しが合った。騒ぎ立てることではなさそう。その人は、肌がとても綺麗。宮古島の雪塩は、苦味があるが、体には効果が著しい。足の裏の傷も、こんなに早く治るとは思わなかった。

 そう言えば。と思い出すのは、祖母のこと。草刈や野良仕事に、鎌は欠かせない。そこで怪我も多い。手拭の切れ端には、いつも塩を一握り持っていた。それを止血剤や、何がしかに使い、よほどのことがない限りは、医者にはかからなかった。

 そうだ!風邪の引き始めには、鼻に塩を通して、洗っていたっけ。子ども心には、そんなことが何になるのか。とわらっていたが、あれは生活の知恵。古来から伝わってきた健康法であったのだ。鮮明に脳裏に浮かぶが、祖母の居ないことが惜しまれる。

 クリスマスローズ。鉢が大きいと増える。後ろは、りささん枇杷葉。幾分、木丈は低いが、枝が横に広がる。

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インフルエンザ予防接種

2012年10月18日 | Weblog

 これだけは避けられない。決死の覚悟で注射に行く。腕が痛い、と今になって思う。いや、熱がある。困ったよ。擬似インフルエンザになる訳だから、ちょっとしんどい。然し、仕事は休めない。梅ジュースを飲んで眠ろう。3連休の後は、体が硬くなっているか。

 一日、曇り空の、寒い日だった。この季節は、温度差が激しいから、下着類で防寒しよう。特に高齢者は風邪を引き易い。暖房では、外気温との差が生じて、却って温度調整ができなくなる。秋も中秋である。月の姿が美しい。

 樋口一葉の『十三夜』は、旧暦でのこと。物語の季節の設定が、現代とでは合わない。少しくらいならいいが、食い違いが大きい。雪こそ降ってはいないが、霜の降りた夜道である。からくも月は十三夜。満月でない様がいい。

 彼岸を過ぎた辺りから、朝夕の寒さが凌ぎやすくなり、つかの間に身震いするようになった。季節の移ろいは意かばかりか。四季が失せつつあるというもの、自然の中で育まれる物には、天の恵みが与えられる。ありがたいことだ。

 高校時代には、学ぶことを真面目にしなかった。後悔することしきり。この度の勉学は、持続性がない分、必死になるが頭に入らない。これは歳の性だけではない。コツがわからないのだ。膨大な資料である。2年間でするところを、半年である。

 夕顔が3輪、夏の名残に咲いていた。後、2つの蕾がある。咲いてくれるかな・・・百日紅も終り、薔薇が忘れたように咲く。ベゴニアとランタナを室内に入れようとしつつ、もうちょっとと、外に置いている。室内では、折鶴ランが、ランナーを伸ばしている。

 りささん、生の枇杷葉はいいですか?あけびが色が出てきたら送りますね。エヘン虫が消えてしまうよ。いつも寄せてもらうAさんご夫婦、痰が喉にかかっていたのが、すっきりしたそうで、庭師の方に頼み込んで、取って来てもらったそうです。

 都会のスモッグや、公害への予防にもなるかな?ジャム瓶に詰めていますから、到着したら入れ替えてくださいね。詳しくはメールで書きます。来月の初めくらいには送れます。昨年の物が上出来です。瓢箪から駒で、閃きが想いもかけなく成功した。

 金星。いちばんぼしです。初夏の頃まで、西天にいます。一際眼を惹きます。

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雨の休日

2012年10月17日 | Weblog

 一昨日、昨日とお天気で、布団干しやら、洗濯に追われた。朝方には雲っていたのが、昼過ぎから、しとしとである。試験の勉強をするのにはもってこい。然し覚えることが多過ぎ、頭の中は混乱状態。書籍を読むのとは違うのだ。

 殆んど挫けそうになりながら、必至でパソコンのキーボードを叩く。印刷して、赤線を引く。要点を絞って書き連ねているが、中々なもので、頭がパンクしそうになるのだ。ちょっと休憩。こっちにきている。サンタさんからの珈琲を飲もう。

 蒟蒻を温めて、足の裏に置く。枇杷葉が真っ黒になる。塩で肩を揉み、脹脛、足の甲を洗う。血行を促すのか温かさが持続する。安眠できるのがいいね。腰痛にも効くが、じっと風呂に居る訳にもいかない。これは枇杷葉温圧療法にする。

 あけびの種を抜いて、焼酎に漬ける。こうしておけば、何時でも送れる。とてもきれいなエキスが出ている。りささんやサンタさんにもあげよう。友人が取ってくれるお蔭です。ありがたいなぁ。山形県の特産品として売り出しているそうだ。

 活用法はたくさんあるに違いない。面倒なので、焼酎に漬けているだけ。食べたり、お茶にもなるようだ。天麩羅にも。種もきれいに洗って干し、炒って飲めばお茶です。自然の物には、捨てる箇所がありません。私は、庭に蒔きました。

 木村秋則さんの林檎が食べたい。と言うか、硬くて甘酸っぱい林檎って、何処にあるんだろう。某新聞で見かけ、注文したが違う。どうもね、軟らかい。あのしゃきしゃき、とした歯触りの林檎、一体何処に作っているのかしら。

 百日紅。小さな苗木を買って来て、数年。たくさんの花を咲かせてくれる。夏には、サルビアと夕顔と、朝顔、ランタナ、ベゴニアの類が競って咲く。

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恍惚の人・映画

2012年10月16日 | Weblog

 かなりはしょっているな。と思いながら観た。冒頭が違う。原作は雪である。主人公がおかしくなり始めたのが、寒さの中であって、それから夏が訪れ、晩秋に亡くなる。時間の経過が描かれていないのは残念だ。森繁久弥さんの演技が、自然体だったのが救い。

 昭子さんは、高峰秀子さん。京子は乙羽信子さんで、何れも亡くなられている。登場人物を最低限にしているのか、昭子の方の兄嫁が居なかった。原作の中では、昭子一人が預かってくれる所を探したりする。昭子の夫は悪役であった。

 泰山木を傘も差さずに、食い入るように見上げる茂造を見て、自分が看取ろうと決める件。その後は、片時も眼が離せなかった筈だ。映画では、雨を告げてわざわざ置いて出る。ここのところは原作に忠実であってほしかった。

 小鳥を買ったのは昭子で、その小鳥の姿に、茂造の心の変化が微妙に現れていくのだ。恍惚の人であるから、その純粋な笑顔に救われるものがある。怒ることも、嘆くことも、悲しむことさえもない、恍惚になる。魂の浄化である。

 映画の最後は、雨の中を昭子を追って飛び出していく茂造であったが、原作は様子が急変していき、敏が気づいた。眠るように息を引き取る。巻末、昭子は小鳥の籠に、覆いをしようと行って、溢れる涙を止められなくなる。鳥籠を抱きしめて泣き続ける。

 どの作品もそうだが、原作との差にがっかりする。洋画はともかくも、邦画までこれでは、映画はつまらなくなる。原作への忠実さを描くとすれば、どんなに短くても2時間は必要だ。ポイントを押えれば良いのではない。作者の言いたいことが少な過ぎる。

 初夏の薔薇。挿し木は、晩秋にするのがいいようだ。湿気が多いのも、暑いのも好まないらしい。

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長月

2012年10月15日 | Weblog

 既に長月である。月日の経つ速さに、一瞬呆然とする。日中の気温は、体を動かせば汗ばむくらいだが、陽が落ちると途端にひんやりとする。秋の日はつるべ落とし、と言うが実に速い。金木犀と銀木犀が競うように咲き誇る。

 鉈豆の鞘が、採り忘れていたのも含めて、5つばかし枝にぶら下っている。赤鉈豆なので、取っておこう。枇杷葉は、小さい苗もあって、育ち具合は違うが、葉ぶりもよく繁っている。サルビアが、晩秋に鮮やかに咲いている。

 紅葉が待たれる今日だが、当分の冷え込みは先であろう。風邪の用心に、上着を出す。朝夕にジャンパーでは、ちと早い気がする。ついこの間まで、暑くてならなかったことも忘れ、寒さに備えている。こう季節感がずれると、体調も狂う。

 あけびの焼酎漬けを作っている。こうしておけば、何時でも誰にでも送れる。ジャム瓶にしておくのもいい。大きな瓶だと、割れはしないかと気を揉むし、届いた相手も送料に驚く。小さな瓶でも威力は変わらず、着いてから増やせばいいこと。

 今年は、いい具合に大蒜も、唐辛子も手に入った。無論、鉈豆もそうだ。リエさん、送った鉈豆は赤鉈豆だと思うよ。我が家で生ったのも、同じ青空市で買った豆で、赤い花が咲いた。大蒜は、置いておいたら芽が出ていた。

 昨夜、足の脹脛が吊るので、塩を擦りこんだら、今日は痛みがない。足元も冷えない。血行が滞っているためだが、効果が著しい。何よりも足が温かくなるのがうれしい。お蔭で湯たんぽは出していない。できるだけ我慢してみよう。

 恍惚の人。読み終える。最後を何度も何度も読み返した。死ぬことに恐怖感もなければ、魂の行方も定かではないが、看取ってくれた、いや・看取る側の心の有様で、死者は成仏できるのかもしれない。母が亡くなった時は、未だ逝かない思いがあった。

 父の場合には、面会をする内に、もしやという暗澹たる思いに、多少の覚悟はできていた。その差は、やはり態度にも出る。満足感はあろう筈もないが、心は安定していた。或いは、そういうものかとも考えられた。

 金星は、外合で宵。内合で明けとなる。新暦の1月になれば再び西の空に輝く。

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葉月も終りに・・・

2012年10月14日 | Weblog

 今朝の寒いこと。思わず、身震いして、ジャンパーを羽織る。風邪を引いたら困る。あちこちで秋祭りが開催されている。然し、調子に乗って浮かれてもいられない。試験が迫り来る恐怖に、捗々しくない頭脳のできの悪さである。これも困った。

 恍惚の人。後数ページとなる。勤務先で上映会があるのだが、原作のどこをはしょって、どんな描き方かに関心がある。まあ、大幅な箇所は、変わってはいないだろう。当時、高校生であったので、全く興味がなく、本屋でペラペラと捲ったに過ぎない。

 それから2年後に祖母が没し、家庭を持ち、考える間もなく子育てに突入した。子どものことで、追いまくられる生活である。子どもが小学校に上がると、日中時間ができて、やっと本が読め始めた。むさぼるように片端から読んでいった。

 その頃は、図書館は無いに等しく、本屋で買う。ところが問題が生じた。働きがないので続かない。閃いたのは、投稿して謝礼の図書券をせしめること。地元の新聞、生協の依頼原稿。雑誌への投稿で、可なりの金額になった。

 その後、本屋に働きに行き、もらった給料をつぎ込んでの購入を始めたため、家は本で溢れ返った。無垢材の本箱を注文したが収まらない。結果、雑誌の類は収集を止めた。モエ、ニュートンにクロワッサン等、役に立つ情報が満載だった。

 現在は、もっぱら図書館で借り、買うのは文庫が多い。仕事がらみの専門書は、どんなに高くても必要なので、やりくりに頭が痛くなる。今後は、体が動いてくれればいいが、年金暮らしはできないようだ。前途多難である。

 真夏の陽射しに、エネルギーを放出する枇杷葉。今年、花芽はどうかなぁ・・・?

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疲れた・・・

2012年10月13日 | Weblog

 今朝は、昨日遣り残していた、玄関を掃除するために、やや早めに行き、掃除機で石を吸った。マットも掃除する。で、ふと案内板を見たら、埃と蜘蛛の巣が。慌てて、雑巾を持って来て拭く。こういった細かい所には気づき難い。移動したソファの後も、ゴミが一杯だった。

 お客様の来られる前でよかった。と安堵しながら、これだけで意気消沈。どっと疲れが出た。まわれ右をして帰りたくなる。携帯の充電をしている者が居る。電気代を出しているのか。自宅でするべきではないか。公私混同はいけません。

 それにしても、一日の長かったことか。耳鳴りはする、目は見え難い、じっとすることの困難さを思いやりつつ、人間であることの虚しさを考える。施設という建物の中でしか、生きることができないでいる。社会から隔離されているような錯覚に陥る。

 左肩の激痛がない。痛くて上げられなかった左手が、肩のところから、首にかけて、重く圧し掛かるような感じが消えたのだ。風呂場で、3日程塩を擦りつけたら、本当に治ってしまった。想像を絶する冷えの怖さだ。冷暖房は体を駄目にする。

 自然のエネルギーには、人間の体は、自然治癒能力で対抗する。その結果、佳くなる者、反応の無い者、悪くなる者に分かれる。楽な道を選ぶと、一時凌ぎで終り悪くなる。困難な苦しい道には、明るく希望に満ちた祝福が待っている。

 自然には、神の意思があり、それを察知できれば、厭うこともない。復讐を自分ですることはない。神の手によって、審判が下される。腹の立つのを通り越して、後半は疲れ果ててしまった。楽しみにしていた講演には、行くことができなかった。

 春の空に輝く火星。マーズ・戦いの女神。レッド・スター。

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なんだかねぇ・・・

2012年10月12日 | Weblog

 眠いのだが、気が張っているせいか、体が動いてしまう。明日は、介護フェスタである。掃除ができなくて、難儀をした。でも、それは個人的な思いであって、他の人には余り、関心のないことらしい。兎に角、ちょっとした時間を、トイレ、玄関、下駄箱と済ませる。

 夕食前の30分を、自動ドアの窓拭きに充てる。雑巾を見てびっくり!真っ黒である。3枚がたちまち汚れてしまう。汗だくになって拭きあげる。ソファなどは蜘蛛の巣だらけ。よかった、間に合った。と一人で胸を撫で下ろす。死角の部分には誰も気づかない。

 我が家が、特別に綺麗な訳ではない。いつもは拭き掃除だけ。掃除機をかけるのは、年に数回である。面倒くさい。電気代もかかる。何よりも、時間がもったいない。雑巾と枇杷葉茶で拭けば、アレルギーにならないよ。然も、安上がりだ。

 朝夕の寒さも、日中には暑くなるが、今日は凌ぎ易く、夕方には肌寒かった。尤も、動かないで居ればで、次々としなければならない仕事に、息もつけない思いだ。休憩時間には、本気で眠りそうになってしまう。月日は、10月も半ば、残す処2ヶ月余りだ。

 金木犀、銀木犀と続き、柊が咲いて、枇杷葉の花だ。鹿の鳴き声もしている。春よりも秋の方が、暖かく感じる。気温の変化に気をつけて、体調管理をしよう。冷暖房で過保護にしていると、風邪を引き易い。手洗い、嗽はそろそろ始めよう。

 撫子も、随分と品種改良されて、自生する川原撫子が姿を消していく。環境に順応する花らしい。

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誰かのために・・・

2012年10月11日 | Weblog

 誰かのために、何かをできること。自己満足でしかないのだけれど、やっぱりうれしい。日常の会話から、特別のことでなく、当たり前のことが、いつも通りにできることの、何とささやかではあるものの、心が穏やかになることだろうか。

 共に過ごせた5年間を感謝します。ありがとう。最初は、啖呵を切られてびっくりしたのよ。好き嫌いがはっきりで、お寿司が大好きだったね。昼食に作ったのを、おいしい、おいしいと口に運んでいた。インスタントは直ぐ見分け、残していたものね。

 私ね。おいしいと食べてくれるよう、一生懸命に教わったの。心を込めて作ることが、美味しくなるってわかったのよ。たくさんの思い出を、一緒に過ごさせてもらって、今日までの日々は、感謝に堪えません。ほんとうにありがとう、ばあちゃん。

 高齢者には、今日という日への思いしかないのかも。と、ふと考える。生きていれば、必ず死は訪れる。では、自分の死がわかって、怖くないのだろうか?これから死ぬんだ。とわかるまで、死への思いに囚われはしないのか。

 生きているのが、どうだってよくなって、心底楽になりたいと思うから、逝けるのだろうか。御仏の心に想いが通じるから、旅立てるのだろうか。生きることも、死せることも、自然の、神のなせることなのに違いない。

 青い月。冴え冴えとした宇宙に輝く。何という美しさであろうか・・・月の女神セレネの魅力に、身も心も奪われていきそうになる。

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