年齢的なこともあるが、手紙を書かなくなったせいか、季節感のない言葉の羅列が多い。旧暦では、葉月ですから、寒くではなく、凌ぎ易いとか、過ごし易いが妥協ではないか。寒さを感じることはあっても、朝夕の冷え込みであろう。日中は汗ばむ。
特に、目上の方に、近況をお知らせするような時には、季節感のある状況を書かねば、手紙の冒頭には違和感がある。人間の性格もあろうが、メール感覚とは一緒にならない。今流行と言えば、そうかもしれぬが、文章力に疑問を持つ。
掃除もそうだ。箒を立てて保管する、雑巾は洗って使う・搾る。掃除は、隅々まで。上から下に。これらを毎日していれば、殊立ててする必要はない。まあ、いつかとか。その内やろうとかでは、汚れは溜まってしまう。結果的には、こうなると厭になる。
玄関と、トレイは毎日が基本。何時誰が来ても、慌てない。そうして、お客さまには、用事が済めば帰ってもらう。箒は玄関に立てて置く。家の中ばかりをするのではなく、外も同じである。誰のためでもなく、自分のためである。だってそこに住んでいるのでしょう?
私は、掃除機よりも、雑巾掛けがよい。体を動かすと、肥りません。贅沢はせず、野菜中心の生活で、乾物を利用することが多い。欲を言えば限がない。友人の家に裁断機を返しに行ったら、きらん草をもらった。実家には、見かけなくなったり、生えていない。
ありがたいなぁ。神さまが、ちょっとしたごほうびをくれたんだ。兄や妹の気づかない宝物を、私はもらうことができたんだ。天からの恵みには、神の意思のあることを、信じてしまう。枇杷葉を差し上げられる人には、福がいくのかもしれません。
東側の枇杷葉が、ライラックの木が大きく生り過ぎていたのを切ったら、葉が繁り始めた。剪定をしていこう。朝顔が咲いていたり、夏の日除けだったが、秋から冬にかけては、光が多く入るのがいい。枇杷葉だけは、家の高さになった。
勉学の神さま。白梅も、純白が好きだ。近年は、様々な改良があり、色の変化が愉しめる。