枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

秋の収穫

2012年10月10日 | Weblog

 友人の所まで、あけびをもらいに行く。開いたのや、まだ開いていなのもある。孫二人が見つけて食べていい。と聞く。種は、今回、枇杷葉の木の周りに蒔く。どうかなぁ?あけびも、子どもの頃には家の裏にあったり、焚物を積んだ小屋を覆っていたりした。

 青空市にも行く。あるわあるわ!全部買い占めようと思ったが、独り占めはいけない。と、残しておいたら、集団のご婦人蓮がやって来て、あけびを見て歓声を上げた。どうやら食べたことがあるらしい。で、その後皮をどうするの?

 焼酎に漬けておけば、エヘン虫にいいよ。と言うと、手に取った。焼酎は、35℃なんだが、言い忘れた。まあ、メモも取っていないのだから、仕方がない。偶然遭ったのだ、用心に越したことはないのに無用心である。バッグの中に、メモ用紙と、ペンは必須です。

 あけび(鶏の卵大)2~3個を、2ℓの果実瓶に入れる。この時、注意することは、水洗いはしません。焼酎で洗います。軽く拭くのもいいです。その後、1.8ℓの焼酎を、瓶一杯まで注ぎ、蓋をして冷暗所で保管する。3ヶ月位から使え、ティースプーン1杯が目安。

 できれば1年以上を寝かせるのがよく、色も断然濃くなる。最初、ジャム瓶に入れておき、1年以上が経過した時点で、果実瓶に移すのもいい。嗽をするか生地で飲むか。酔っ払うほどではなく、喉のイガイガが取れます。自然の物は、命の欠片をくれるのです。

 扁桃腺には、焼いた塩か、或いは塩をそのまま、手拭に包んで、患部に貼ります。一晩喉を巻いて寝れば、すっきりします。喉もウイルスで炎症を起こしているので、塩が殺菌するのです。塩は止血作用もあります。昔の人の知恵に、大いに感心。

 我が家の枇杷葉と、今夏生った、鉈豆です。炒め物、揚げ物、散らし寿し、煮物、焼酎にも漬けました。

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自由・平等・・・

2012年10月09日 | Weblog

 民主主義の看板は、自由と平等である。だが、今の政権には、見受けられない。自由は無きにしも非ずの感が強く、平等とは、一体何を言うのか?疑わしい思いがする。原発をゼロにしようと言いつつ、建設を進める。活断層の安全性を確認できずで、建設する。

 庶民の声は無視である。場所を、よくよく見れば、都会の中心ではなく、最北端とか、離れ小島である。これでは、何か起きた時には、都合よくそこだけを遮断できる。人権も、命の尊重もあったものではない。電力会社への胡麻擂りのように思える。横暴である。

 上関の場合にも、今は、建設は認めない。としているが、政権が変われば怪しい。そのための手続きを電力会社が怠るとは考えられず、きっと庶民を欺く手段を秘密裏にやっているのだ。計画性はないように、後日に報じるが、できたシナリオである。

 現に、自然エネルギーに対する、嫌がらせがある。可笑しいし、とても怪しい。政府が許可しての苛めとしか思えない。その何処が自由で、平等なのか、平凡な頭脳には理解できない。頭脳明晰なことが偉いのかどうかはさておき、原発は要らない。

 結膜炎が塩で治った。画期的、と言うかもの凄い感動!塩の威力に驚くばかり。医者嫌いにも限度がある。と言われそうだが、ただでさえうっとうしい目で、医者に出かける気はない。然し、治さねばならない。目脂と痒みが無くなり、左目の左端の濁りが消えた。

 冷え性の足、浮腫みなどは枇杷葉と、蒟蒻を使った、温圧療法で治るが、土踏まずに塩を塗りこむと、ぽかぽかしてくる。夜、ぐっすり眠れる。朝の目覚めも好い。これからの人生を、如何に生きるかは自由だが、しておくんだった。を思わぬようにしたい。

 挿し芽でついたのよ。夏中、花を咲かせた。種が落ちても発芽する。今は、室内の出窓です。

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山女熟れる頃・・・

2012年10月08日 | Weblog

 友人が、山女を取ったよ。と電話で教えてくれた。早や1年が経った。今度の休みにもらいに行こう。青空市にも覗いてみよう。りささんに送ってあげよう。自然の中で育っている物には、それなりのパワーが潜んでいる。自分に必要な物だけを、選べばいいよ。

 足の裏のツボに、塩を塗りこんでみた。熱くなってきて、好い気持ちである。蒟蒻もそうだが、その療法のどれもが、冷やしてはいけないと忠告している。また痛みのある患部に直接触ったり、何らかの刺激を与えるのはよくない。悪化して、痛みが倍増する。

 持続は力なり。と言うが、これは相当にしんどいらしい。小さなことだが、続ける事をしなければならない。私は、単純なのであろう。情報が氾濫しているからこそ、何が真実かわかる。直感もある。それがいいとなれば、続ける努力をする。

 テレビで、あり合わせと言うか、残り物での調理や、捨てることでなく、生かして使い切るコンテストを放送していた。自然が、人間に与えてくれる全ての物には、捨てる箇所はない。皮を剥くのも、切り捨てるのも、その必要がないことでもある。

 玉葱の皮、人参やじゃが芋の皮等、捨てるに忍びない箇所だ。或いは、そこにこそ、栄養価が詰っていたりする。実に、もったいないことだ。私は、じゃが芋の皮は、できるだけ剥かない。大根や人参もそうだ。素材を軟らかく、美味しくすればいい。

 カレーなど、肉を入れないで、野菜の旨みだけの方が、断然美味しい。好みの材料で作るのが最高だ。後は技と腕・年季である。無論、素材の良さには左右されるかも知れぬが、自然のエネルギーはたっぷりある。心を込めて作ることが、最大の旨みを引き出す。

 これは、南にあり地植。3年目になる。木丈は1mちょい。ここに、桑の木があるので、中々大きくなれないかな?

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秋の空・・・

2012年10月07日 | Weblog

 日中は、天気が良ければ汗ばむほどだが、朝夕の気温は可なり低い。23℃くらいは好いが、それを下回ると寒い。無論、羽織り物を着る。ストーブを点けるにはまだ早い。風邪を引かぬように注意をしよう。季節の変わり目が気になります。

 左目、未だ少し鬱陶しいが、良くなった方だ。枇杷葉エキスで拭く。昨夜は、塩での荒治療に、激痛が走った。だが、目脂は激減した。ちょっと高いが、宮古島の塩を使う。足元も心なしか温かかった。今晩もしよう。今冬への目標でして行こう。

 枇杷葉とバラに、エキスをかけたが、雨が降らなかったので、葉が焼けた。ちょっと濃いかったものらしい。自然とは、人間に都合良くはできていないことを、再認識した。自然との共有は、難しいこと。どうにも人間の勝手都合でしかない。

 昼食は、休みや祝日には、作ることになっている。鮭寿しをする。早朝から、鮭を焼いておいてくれた同僚に感謝。寿し飯を混ぜるのに、砂糖・塩・酢の順番に入れていく。このやり方だと、失敗が少ない。ご飯の加減も、軟らかくでき、好評であった。

 個々の症状にも依るが、食事こそ愉しみである、と思う。食べないのではなく、味が好みでなかったり、食欲のあり方もあろう。然し、寿しは高齢者には人気だ。だからこそ、インスタントは避けたい気持ちが強い。せめて美味しくなるように、心を込めて作りたい。

 普段は、一向に箸を進ませぬ人も、俄然見る見る食べ終わる。その様子に、心が温かくなる。何度も、美味しいを連発して、顔が綻んでいくのを見ていると、とてもうれしくなる。ありがとう、と感謝する想いだ。残された日々を、精一杯に生きる、自分でも居たい。

 出窓の所に置いてある。父の葬儀に、リエさんが贈ってくれた。ポット苗での成長に、一夏で枯れたり、消えてしまった苗もある。青い花に癒される。

 

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花芽が・・・

2012年10月06日 | Weblog

 昨日の上天気に、花芽が一気に膨らむ。今日の天気は、曇り空。夕方には雨か。リラと桑の枝を剪定し、少々気になるので、木搾酢とドクダミエキス、大蒜エキスを混ぜて、薔薇や枇杷葉にスプレーする。クリスマスローズもかけておく。

 これから寒くなるので、足が冷たくなってきた。湯たんぽが壊れたので、どうしようか迷っている。そこで見つけたのが、現代農業の記事。何と塩がいい。とある。塩は、殺菌作用もある、血液を温める効果もある。そうか、足も温かくなるという算段。

 昨日の眼の鬱陶しさに、悩んだ結果、塩を使っての荒治療をした。痛いなんてものではない。その上に、枇杷葉エキスを垂らす。激しい痛みが襲う。暫く我慢して洗う。ありゃりゃ・・・眼の鬱陶しさが消えたではないか。痒みも無くなった。へぇ~・・・

 虫刺されやアトピーにもいいとある。体質的なことも要因としてあろうが、分量や使う塩にもよろうか。私は、ぬるま湯で塩を洗い落とした後に、枇杷葉エキスをたっぷり塗った。艶が出てしっとりしている。薬草の成分には、灰汁がある。然し塩にはない。

 我が家の庭の植物には、適宜に塩を入れている。遣り過ぎると枯れる。虫や微生物にとっては、環境に順応でき、形を変えて生き残る。或いは死滅していく。人間の勝手で、植物を管理しているのだ。せめて毒は撒きたくない。

 夏は暑く、冬は寒い。そこに体を慣らし、近づけていくことをしなければ、便利さや快適さからは抜けられないんだ。何もかも原発に頼らないで、人類として可能な限りを試作していこう。放射能に勝てるとは思わないが、堪えられる体力を作っていきたい。

 我が家の真ん中の様子。鉢やプランターに枇杷苗が見える。夏を過ぎたら、一気に大きくなる。加えて、我が家のは、一回り葉がでかい。

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洗濯日和

2012年10月05日 | Weblog

 連休である。左目が鬱陶しいが、枇杷葉エキスで拭くしかない。目脂が減ってはいるが、もう少し様子をみることに。明日は、孫の誕生日会をする。そこで、掃除に掛かる。窓を拭き、カーテンを洗うことにした。天気がいいので布団も干す。

 棹が足らないくらいになるが、随時乾いた時点を待たず、湿りが残っているくらいで、カーテンレールに吊るす。出窓の取り付けに手間取ったが、埃が落ちてさっぱりした。カーテンレールの上の埃も拭く。新聞は、息子が来たら、持って帰ってもらう。

 枇杷葉が気になり、葉の真ん中を覗くと、少しは膨らんで来ているようだ。月末になれば、由りはっきりするだろう。愉しみだ。今年は、葉が透けてしまっているのが気になる。農薬は厭なので、大蒜と唐辛子を置いている。

 庭に出たら、清々しい匂いがした。銀木犀だ。夕顔が、一輪咲いている。鉈豆の花が、二つ見える。夏の名残だ。鉈豆の種を、青空市で買ったが、赤色だった。肥をしないのに、想いの他たくさん取れた。取り忘れた鞘が、3つぶら下っている。

 宇宙の方は、木星の輝き、新月を数日過ぎた頃に、オリオン座流星群、十三夜があります。何れも天候しだいですが、希望は捨てないでおく。満月が観られたら、十三夜も観られます。片見月と言い、縁起もよくないそうです。

 四季咲きの薔薇ではないのに、秋口に蕾が見え、1輪咲いた。これは挿し芽にしたもので、初夏には大倫の花を咲かせた。秋の色は、少し色が濃く見えます。挿し芽で増やすと、病気になり難いのか?白薔薇は四季咲きで、秋口まで咲く。

 枝の三股の箇所で、ちょっと引っ張ったら折れた。暫く、花瓶に挿していた。

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芋茎祭り

2012年10月04日 | Weblog

 ずいき、とは。芋の茎のことである。これは里芋の上の部分で、茎と葉に当たる。里芋の収穫だけで、殆んど捨てている。特に、赤芋茎は美味しく、栄養価も高い。最近では、青空市などで売られるようになった。産後の肥立ちに良く、団子汁で食べる。

 どういった根拠からかは知らぬが、産後の汚血を浄化させると、祖母は母に、母は娘に伝える。子宮や母体の快復を促す。母乳の出もよくする。赤ん坊も、母親も守り、自然治癒能力に働きかける。これに、枇杷葉茶を飲むと、体内の免疫を増やし、血液をさらさらにする。

 枇杷葉との相乗効果で、産後の快復がスムーズにいく。結果的には、自律神経を鎮める働きだろう。但し、自然に感謝することをしないでは、如何ともし難い。自然は神である。月も太陽も、風も雨に至るまで、天からの恵みである。

 今夜の月は、寝待月・臥待月という。とある。十五夜から始まって、十六夜、月待月、などとも言い、日本人の月に対する呼び方の、何とも情緒のあることか。月の毎夜、姿を変える様子に、粋な言い方であることか。いいなあぁ。

 先週から今週にかけて、6連勤だった。扁桃腺は腫れる。結膜炎にはなる。その度に、自家製の薬酒で治す。枇杷酒と、梅ジュースは、とりわけ効果があった。それにしても掃除の手抜きは止めよう。ダニや蚤の飼育につながる。

 我が家の白枇杷の実。赤枇杷に比べると、一色ほど、色が薄い。だが、味は濃厚だ。

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真実・因幡の白兎

2012年10月03日 | Weblog

 因幡の白兎は、嘘をついて鮫に皮を剥れ、挙句に意地悪な八十神さまに、海水で体を洗えと云われた。とあるが、塩は傷跡を残さないそうです。そう言えば、祖母が傷口には塩を塗りこめ。と痛くてたまらぬ指に揉み込んだ記憶がある。

 夏中、冷房などつけないで、汗をしっかりかけば、健康も取り戻せますし、認知症になどなる筈がありません。至れり尽くせりの乳母日傘だから、することもなく、病気になるのです。原発になど頼らないで、自然と共に暮す方が、自分のためでもあるのです。

 塩には、殺菌作用もあり、昔の人の知恵に感心します。農薬漬けの現状でなく、自然の暮らしの中には、生かされていることへの感謝と、恵みが共存している。そのことに気づき、日々の過ごし方を考え直さないと、お金があっても、病気に冒されていくのです。

 枇杷葉も、塩と糠を適宜与えることで、自然の力を発揮します。そのパワーをもらえるからこそ、治癒能力に優れているのだ。我が家の枇杷葉の、効果が大きいのには、そういったことがあったのです。自然とはありがたいものです。

 私のしていることが、実証されたようなものだが、可と言って、何処でも、誰でもが、それができるか?と言うと、案外できないもの。プランター栽培では限りがあるし、土地があるとばかりは決まってもいない。知恵と工夫でやるしかないです。

 我が家の枇杷葉は、科学的な証拠も、データ自体もなかったのだが、現代農業の9月号で納得した。梅干も、昔ながらの紫蘇漬けがいい。なまじ今流行だと口に合わない。道真公も、さぞや困惑していようというもの。

 サンタ枇杷葉。大きくなったよ。家の軒まで伸びた。今年の台風で、可なり傾いた。根付くまで紐で柱と括っている。

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季節の言葉には・・・

2012年10月02日 | Weblog

 年齢的なこともあるが、手紙を書かなくなったせいか、季節感のない言葉の羅列が多い。旧暦では、葉月ですから、寒くではなく、凌ぎ易いとか、過ごし易いが妥協ではないか。寒さを感じることはあっても、朝夕の冷え込みであろう。日中は汗ばむ。

 特に、目上の方に、近況をお知らせするような時には、季節感のある状況を書かねば、手紙の冒頭には違和感がある。人間の性格もあろうが、メール感覚とは一緒にならない。今流行と言えば、そうかもしれぬが、文章力に疑問を持つ。

 掃除もそうだ。箒を立てて保管する、雑巾は洗って使う・搾る。掃除は、隅々まで。上から下に。これらを毎日していれば、殊立ててする必要はない。まあ、いつかとか。その内やろうとかでは、汚れは溜まってしまう。結果的には、こうなると厭になる。

 玄関と、トレイは毎日が基本。何時誰が来ても、慌てない。そうして、お客さまには、用事が済めば帰ってもらう。箒は玄関に立てて置く。家の中ばかりをするのではなく、外も同じである。誰のためでもなく、自分のためである。だってそこに住んでいるのでしょう?

 私は、掃除機よりも、雑巾掛けがよい。体を動かすと、肥りません。贅沢はせず、野菜中心の生活で、乾物を利用することが多い。欲を言えば限がない。友人の家に裁断機を返しに行ったら、きらん草をもらった。実家には、見かけなくなったり、生えていない。

 ありがたいなぁ。神さまが、ちょっとしたごほうびをくれたんだ。兄や妹の気づかない宝物を、私はもらうことができたんだ。天からの恵みには、神の意思のあることを、信じてしまう。枇杷葉を差し上げられる人には、福がいくのかもしれません。

 東側の枇杷葉が、ライラックの木が大きく生り過ぎていたのを切ったら、葉が繁り始めた。剪定をしていこう。朝顔が咲いていたり、夏の日除けだったが、秋から冬にかけては、光が多く入るのがいい。枇杷葉だけは、家の高さになった。

 勉学の神さま。白梅も、純白が好きだ。近年は、様々な改良があり、色の変化が愉しめる。

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来年の暦

2012年10月01日 | Weblog

 そろそろ暦が出回り始めた。カレンダーは、新暦なので用途が狭い。それでも、必要ではある。岩合光昭さんの、のらを注文した。どの猫も如何ともし難い。写真を見ていて、口元が綻ぶ。憎めないのだ。本来の猫は、こうでなくっちゃ。と思ってしまう。

 旧暦のカレンダーは、新暦のも載っているのを求める。以外に便利が良く、使い勝手も好い。これと合わせて、暦も買うのだ。年末、新聞の折込に入って来るが、簡単すぎてわからない。かといって、それらを見たからと言って、何もかもわかる訳ではない。

 随時、応用の範囲でやっている。まあ、愉しむというのが正しい。易や占いをするのではないが、こういった記述を見ると、ははあ、なるほど、そういうことか。と妙に納得したり、あらまぁ!と、眼から鱗が落ちたりする。自分の想いがぴったり当たると、独りほくそ笑む。

 先日、某新聞に興味を惹かれる記事があった。美術館に出かけよう、と誘うと、専門職でもないのに、どうして行かなければならないのか。と、教授に対して、生徒の口から不平が出たらしい。え~っ!!そんなこたぁないでしょ?本物を鑑賞することに価値があるよ。

 却って、美術専門の教授などと行ったら、小うるさく薀蓄を垂れられ、うんざりするよ。角度の違う方向で観るのも、面白いとは思えないのか。興味の向き方が異様なんだ。とても不思議な気がした。人間て、同じ物を見ても、違う感じ方があっていいよ。

 今日は、孫の誕生日。8歳だとえばっていた。自転車を買ってもらったそうだ。補助輪無しで乗れた。とうれしそうだ。これから成長するんだ。いろんなことが、できていってほしい。祖母ちゃんは、一つづつできなくなる。ご時世ではのんびりも出来ない。

 -4.3等星の金星。この星の、明星という和名が、如何にも美しい。

 

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