枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

訃報に・・・

2017年02月18日 | Weblog

 二十四節気 雨水 冬の氷水が、陽気に溶け、天に昇り、雨水となって降る、の意で、雨水と言う。毎年、二月十九日頃である。分厚いセーターだと汗ばむ。一気に陽気を感じることもあり、梅も綻び満開になっていく。我が家のも、白梅が咲き始めた。

 予期していたとは言え、やはりショックは隠せない。末吉暁子さんに次ぐ、佐藤さとるさんの訃報に言葉も無い。毎年、お贈りさせてもらう、枇杷と桃を、殊の外美味しいと、食べてくださり、楽しみにしていたファンとして、心の中にぽっかりと穴が開いた。

 鬼通での集まりに、一緒に写真を撮ってもらい、有頂天になってしまった。昨年、著作を贈ってくれ、サインを入れてくれていたのに、枇杷が大好きな箇所があって、お礼の電話には、にこにこと奥さまの傍で微笑んでいらしたそう。お耳が遠いのである。

 九日。何も無い筈の場所で、深夜にドスンと大きな音がした。お別れに来てくださった気がする。最近、眠れなくて、草木も眠る丑三つ時にも、起きていたから。不安を掻き立てる波に、打ち消してはいたんだが無念でならない。たくさんの教えに感謝!

 新聞での訃報に接し、一日勤務を怠けてしまった。遣っていることは同じなのに、空虚な想いに駆られて、力が入らないのだ。この世に未練はなくなった。愛する者への献身をするべくも、居なくなって淋しい限りだ。心の張りを失ったことは大きい痛手。

 それでも、たくさんの想い出は、わたくしの宝物だから、何時でもお遭いすることができる。本を開けば、その時の顔が浮かんでくる。鬼通での集まりでしかないが、穏やかな話し方や、はにかんだ姿を想い出せる。児童文学世界も巨大な星を失ったもの。

 哀しみが大き過ぎて、克服していく力が湧かない。若い時なら、生きる支えもあるというものだが、歳を重ねてくるとそうもいかない。歓びよりも、哀しみの方が増えてくるんだ。一日をやっとの状態では、無理をしてしまう。頑張れないし、そうすることに疲。

 枇杷葉の花が咲き始めた。薄茶色の苞を破って、純白の花弁を覗かせる。白い五枚の花弁と芳香に。

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枇杷葉茶のお蔭で・・・

2017年02月17日 | Weblog

 花芽や種を採っておいて乾燥させ、冷凍保存し、お茶にして飲む。煎じるので、何度も使えるので重宝する。生葉は、枇杷葉温圧療法や、焼酎に漬けて湿布で用い、エキスは切り傷・擦り傷、捻挫、水虫、虫刺され、結膜炎、膀胱炎等の症状に応じる。

 枇杷葉茶も、残ってしまった時には、ペットボトルに入れて、専用のスプレーを付けて、掃除に使う。殺菌作用があり、化学反応もないので、穏やかな空気を維持できる。赤ん坊が床を嘗めても害にはならず、環境にやさしい。節約とエコに役立っている。

 インフルエンザに罹ると、タミフルを呑めという命令だったが、薬に騙されてはいけない。身体機能を整えておけば、そういったことにはならない。多少の風邪症状は出ても、高熱に魘されることにはならない。枇杷葉茶には、細胞組織を換える働きもある。

 手洗い・嗽には、塩を入れて使い、枇杷湯には、お茶で飲んだ後を入れて使う。その後には、庭の施肥に用いておく。塵として捨てることはしない。自然からの恩恵には、元に還すことも大切だ。感謝と祈りを欠かさずにいることも、大切なことだろうと自負。

 夕方から曇ってきて、今朝はしとしとと雨である。布団を干さなくていいので、ゆっくり起きる。クリスマスローズの蕾が、雨に濡れている。花の少ない時期に、庭を彩どる。一重も八重も買っており、咲いてくるのが愉しみでもある。野外は、節分草も見頃だ。

 花粉症で、杉花粉を悪く言うが、薬害に因るのも否めない。ちょっとしたことに医者に行き、薬を呑むこと事態が、悪影響に繋がっている気がしてならない。薬には、部分的な箇所に応じることが出来ても、身体全部の機能には対処できない。偏見だろうが。

 医療器具の捨て場には、どんな細菌があることだろう。これを平気で処分し、塵扱いするが、考えてみれば恐ろしいことだ。きちんと処分すれば金が掛かるという理由で、捨てていることが多い。新聞に載るのは極一部だろう。地球は、核だけでない汚染。

 便利で簡単な物には、必ず落とし穴があり、知らないでいることが多い気がする。知能犯と言うが、そういったことに気づく者も多く、逮捕される隙をついて逃れる。テレビで放映されれば、必ず裏があることを見抜こう。然し収入源に繋げる閃きには感心す。

 日中の気温が、多少は上がってきてはいるが、寒さは残る。今年は、腰痛に油断したので当分、ストーブが放せない。懐炉にもお世話になるばかり。枇杷葉温圧療法に、手を抜いたことを反省し続行。蒟蒻の温かさに感謝し、枇杷葉の生葉を取り替える。

 満月の夜には、奇跡が起きるのだろうか?いえいえ、月の光を浴びると、空を飛べたり、時空を翔けられることも。

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梅に鶯・・・

2017年02月16日 | Weblog

 春まだ浅き日にも、耳を澄ませていると、かすかな鳴声が聴こえることがある。決して上手とはいえない鳴声であるが、鶯の声がする。田舎に住んで居ると、自然の変化に疎いものだが、心を傾ければ、様々な発見もある。空の色に、風の音に春を感じる。

 金星が、霞んで観えるものの、光度の素晴しさに立ち止まる。夕方の時間でもあるのか、外には猫さえ見えない。炬燵で丸くなっているのがいいらしい。職場から駐車場までの距離は僅かだが、誰も居ないのにびっくり。これで地震でも起きたらどうする?

 新聞も、活字ではなく、ネットでの閲覧と言う。紙は、切り取ったり、揚げ物に使ったり、野菜を包んだりできる。窓ガラスもきれいに拭ける。濡れた靴も乾かせ、掃除にも便利だ。これだけ多用途に活用できるのに、購読はしないようだ。処理に困るそうだ。

 ブラッドベリの世界。中学生時代、SFに填まって惹きこまれた想いは、今以って変わらない。壮大な宇宙の不可思議さや、時間と空間の流れに、のめりこんでしまった少女は、夢の中に自分だけの世界を見つけ、そこから出ることをしないで成長したのだ。

 手塚治虫氏、水野英子氏の作品からの影響も大きい。バイブル的な、我はロボットは、宝物である。物理の数式は解からないし、分子や化学記号にもちんぷんかんぷんだが、ロボット法三原則は絶対だ。スーザン・キャルビン博士の回想が、実に面白い。

 物語の基本には、真実と愛があれば、どんな展開になっても、希望が残る。明るい未来でなくても、困難に立ち向かっていける。信頼と友情も欠かせない。人種を超えた世界では、何が待っているのだろう。地球も、クリプトン星のように破壊されてしまうのか。

 金星の輝きが、光度-4である。惑星であるから、太陽や月との軌道にぶつからないよう周る。宇宙ではどう観える?

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宇宙の瞬き・・・

2017年02月15日 | Weblog

 昨日の夕方、職場から連絡があって、勤務変更を余儀なくされる。職員にインフルエンザが出たそうで、緊急事態発生である。休みの日には、携帯は投げているので、直ぐに出られず、着信は分るが、さて何処に放っている?誰だよ、と見れば勤務先。

 タイガースを聴いていたが、弁当の都合もあり下拵えにかかる。蓮根を使おうと、きんぴらと揚げ物にする。椎茸を煮付けにし、ほうれん草の卵とじは明日に。豚肉があれば、スープにするんだが、買っていないので仕方ない。素材を生かした味付けをする。

 遅出勤務は、ずっと断ってきたのには、帰宅時間の遅さで、愛車の運転が怪しいからだ。夜間の視野が狭くなって、精神的にもよくないのだ。歳がいくと、朝の早いのは苦にならない。夜は、ゆっくりと過ごしたいので。まあ、一日だけと言うから了承した。

 洗濯物を仕舞い忘れていないか、外に出てみると、宇宙に星が瞬く。雲が多いとは言え、惑星の光度がマイナスの輝きに見惚れる。月の傍に、木星が。その辺りには、スピカが観えるのもあって、眼が離せない。人工の輝きには厭きるが自然は雄大だ。

 宇宙に憧れるのは、解からないことが多いからだが、未知であるからこそ、眺めていられる。星座の位置や、惑星の運行に興味は尽きない。金星の光度も最大になってきた。この美しい宇宙を、観上げていられる幸せを感謝。命への賛歌と贈物に祈る。

 沖縄の方たちに、基地がいらない生活を。震災で避難している方々が、幸せに暮らせますように。地球に、平和が訪れるように祈る。休みの日に、自由があって、読書できることの、何という幸せなことだろう。三度の食事ができることの有難さであること。

 幸せの尺度は、自分で決めることとも思える。どんな小さなことにも感謝し、祈りを欠かさずいれば、うれしいこが増える。神さま、とは命の根源・森羅万象のことと、考えている。自然そのものが神である。まぼろしの白馬の面白さに驚く。訳者は、石井桃子。

 物語の基本には、深い愛情が隠れている。華美な言い方よりも、素直な言葉での表現にこそ、真実がある。作品の醍醐味には、そういった燻し銀のきらめきが伏線であるもの。読書の愉しみには、それらを見つけられる歓びもある。読者冥利に尽きるね。

 夕方から、西の宇宙に燦然と輝く金星の光度が、-4.6となって、都会のど真ん中でもはっきりと観える。木星も南側にあって、その美しさに心が踊る。昴も冬の大三角も、未だ充分に楽しめる。こんな素晴しい宇宙を、観られる幸せに感謝しつつ帰宅した。

 長崎茂木は、最初に植えた枇杷葉。枇杷を買って食べ、鉢に植えておいた。気づかぬ内に花芽がついて実が生った。

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待つことの意義

2017年02月14日 | Weblog

 チャンスを掴むには、それまでにしておく準備期間がある。単に、待っているのでなく、用意周到とも言える計画も必要となってくる。着実に、加えて念入りにしておくことも大切。棚ぼた式に手に入った物は、厭きてしまうか、実感を伴わないことが多い。

 人生は、山あり谷ありが普通で、アクシデントも多々あるのだ。そうした時に、瞬時に判断できる思考力も養っておきたい。生かされているとは言え、決して平坦ではない。我慢ではないが、耐えることも多く、挫けそうになってしまう。諦めも忍び寄来る。

 ヤング・スーパーマンを全話観て、面白さはむろんのことだが、超人にも、育っていく環境の、家族の大切さが秘められていることに気づいた。尤も、物語でしかないし、幸せな結末ばかりではない。スーパーマン役は、トムが最も人間らしいのも納得だ。

 それにしても、宮部みゆきさんの、英雄の書に書かれていることが、胸の中へ入りこむ意識に驚く。言葉には魔力が潜むが、文字の持つ力も、忘れてはならない。魔法はあらゆる処に存在するが、視えるのも使うのも、力を与えられた者だけかも知れず。

 現実に起こりうる奇跡は、実際には無いかも知れぬが、信じる心には存在する。善であれ、悪であれ、自分では気づかぬ内に、取り籠められる。殺人を犯したのに、殺意はなかった。と弁護士を通じて話すが、その感情がなければ、未遂で終わる筈です。

 罪を悔いるのも、償うのも、一人であろうと何人であっても、同じことです。自分の手を汚さずに、命令してさせたのも一緒でしょう。歴史の中で、殺戮をするのは、常に高い位置からの命令が含まれる。庶民の命など無いに等しい。機械も人類が造った。

 自然を破壊し、草木を焼き払い、実りだけを奪っていく。宝石で着飾り、贅沢を尽くし、独裁政治を行ってきた。人類こそ優れた者と、傲慢さと権力を振りかざしてきた。でも、地球は生き物凡ての棲む星です。命にも等しく、太陽・風・雨・雷・月を与えた。

 天気は不安定で、霙や時雨になる。青空市と本屋に行き、タイガースのCD・ブルーを買って帰宅する。レッドは既に買っているので、これでセットとなる。この本屋は、在庫は置いていなく、注文だけできる。分割での購入に応じてくれるのもありがたい。

 高校時代には還れないが、当時よりもじっくり聴けるのがいい。加えて、自分で買えることにも感謝。タイガースの、反戦意識の高かったことに触れ、彼等なりに訴えてきた精神に想いを馳せる。決して自分たちを見失わず、実行するのは難しいもの。

 長崎茂木。3年目までは順調に育っていたが、枯れてしまった。地植にしたら、横から芽が出てきた。

 

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真実の宝物

2017年02月13日 | Weblog

 007の初期の作品に、ダイヤモンドは永遠にというのがあった。主演は、ショーン・コネリーで、あの輝きの、ダイヤモンドが手に入れば、一生を遊んで暮らしても、使い切れない。アフリカでは、小さな子どもが採掘に加わって、低賃金で働かされる。

 大人は、金持ちは、そんな子ども等が掘った石を、奪って磨いて売る。その話を知ってから、興味がなくなった。指や首に、そんな装飾品をつけなくても、宇宙に輝く天然のスターを、眺めていられる幸せに感謝する。持っていなくても、命に別状はない。

 田舎暮らしには不似合いだし、一体何処につけていく?心を豊に、お腹を満たすことの方が、どんなに素晴しいことだろう。戦争のない、原発の稼動しない世界を目指したい。誰しもが、自分の心に持っている、虚栄心を捨てたら地球は甦るかもね。

 里芋と人参の煮つけを、知人にあげていたら、子どもさんが美味しいのを知っているから、皆で食べたと言う。知人には二人の姉がいて、近くに住んで居り、遊びに来ていたらしい。野菜の旨味を引き出した、出し昆布だけのシンプルな味が好評だ。

 旬の物を戴くには、高い物がいいとは限らない。水で洗うのも、過ぎると味が逃げる。泥の付いたのを取り去れば良く、味付けは塩か醤油、或いは味噌で充分である。身体にいいのは、素朴な料理方法だ。加えて心を込めて料理するのも大切かな。

 天と地と、人間とが同じに分けていければいいが、皆が、私利私欲に走るから、戦争が起きるし、営利が生じる。誰に都合の良い政治であろう?愚かな行為しか決行できない人類を、神は静かに見下ろしている。星の誕生もあれば、滅びもあるんだ。

 今年のチョコレートの売上に、多少は貢献したが、本命を手に入れたので、ほしい物はない。半世紀の間、人間でないと知っていながら、正義に立ち向かう姿に、憧れてもいた。非現実であろうと、エイトマンは永遠である。今までもこれからも永遠に。

 外合となった金星。西の宇宙の、地平線に観えだし、高度を次第に上げていく。今は、誰にも分る高さで燦然と・・・

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焼き芋の値段・・・

2017年02月12日 | Weblog

 驚き、桃の木、山椒の木というところ、焼き芋の値段に仰天する。甘くてふっくらとした食感だから、こんなにするのでしょうか?焼き芋の美味しい作り方を知らなければ、手間もあって買うかもしれない。世の中、金さえ出せば、何でも手に入るんだねぇ。

 便利で簡単なことには、何かの落とし穴があるが、そういったことにはきっと気づかない。食べたいと思えば、作らなければならない時代は消えたのか。何所かに食べに行く?ちょっとした工夫しだいで美味しい味になり、自信も増さないかなとも思えるが。

 人類は、分ける、援ける、という人間として基本的なことを、忘れてしまった。与えるか、奪うか或いは騙すかをするばかり。自分の命に斯けてまでは、しないことが多勢を締める。何時の世にも、殺戮は繰り返されるばかり。戦争は、殺人に他ならない業。

 今朝も、大霜である。携帯懐炉を、肩にも貼って出勤。午前中は、痺れと痛みに呻いたが、午後から何とか持ち堪える。蒟蒻の温かさにほっとし、毎晩枇杷葉温圧療法を施行。調子がいいので手当てをしなかったら、案の定ぶり返した。油断大敵である。

 はり灸さんが近ければ、直ぐにも行けるが、そうもいかずで自分でするしかない。冷え込みの状況にも依るが、当分は手当てを続けようと肝に命じる。歩けないことには、上京も間々ならずで、蒟蒻閻魔さまへもお参りできない。自信過剰であったと反省。

 明日の勤務を無事に終えるためにも、残りの生葉を使っておこう。温かくなった蒟蒻を当てながら、身体中に温もりを感じる。薬酒を戴くのも、エネルギーをもらうのも、祈りと感謝を。肩凝りも冷えからきていたらしい。自分でするには、眠る訳にはいかぬ。 

 早出勤務の日には、南の宇宙に輝く木星が観える。月は欠け始めており、明方の宇宙は賑やかなこと。オリオンもシリウスも、プロキオンも、西に傾いてきた。春の配置に変わっている。タイガースの歌には、宇宙を意味する歌詞が多くある。名曲ですね。

 月の呼び方。セレネ・アルテミス・嫦娥姫、その輝きの美しさも、しっとりとした落ち着きも、艶やか。

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睦月、望・大潮

2017年02月11日 | Weblog

 寒さが続くそうで、枇杷葉の結実が心配でもある。花の咲く時期に、雪にやられると枯れる。早い時点で咲いてしまったのもあり、寒さにやられるのだ。長崎や静岡の地方では、暖かさが違ったり、温泉等があって、被害は少ないようだ。自然に任せるしかない。

 千葉県の房洲を境に、北陸地方では結実しないのは、枇杷が寒さに弱いからだ。春を先取る場所には、比較的生育がよい。我が家でも、東西南北に植えていて、方角に依っては、一向に育たないことにびっくりする。自然を相手には不思議なことが多く有。

 人類の人智の及ばない領域なのだろう。謎が解けることも善し悪しかも知れず、未知のことがあるからこそ、人類は援けあう。誰かに必要とされるから、生きていける。或いはそうでないにしても、きっと意味があるのだ。命は産まれて消え、受け継がれていく。

 昨日は、枇杷葉温圧療法と、塩で身体を擦っていたが、痺れが残っていて出勤を遅らせる。歩行困難とまではいかないが、可なり怪しい。冷え込みに因るものと分っているので、携帯懐炉を2つ貼った。身体の機能も、年齢に重なってくるのだと再認識したよ。

 腰と肩は、冷やさないようにしているが、何時も自分の選択ができるとは限らない。自宅にいれば可能なことも、職場ではそうもいかない。その折り合いのつけ具合で、影響が出てくる。真面目に一生懸命するのも限度がある。かといって手抜きはできない。

 そろそろ辞め時かな。身体を酷使しては、自分の老後も怪しくなる。金銭的なこともあるが、精神的なことの方が大きい。共感することには、心を押し隠すことも含まれるからだ。若さがあれば可能なことも、身体がついていかない。生身では不可能が生じる。

 日本の社会は、金持ちに優しく、貧乏には厳しい。大人の虐めは、相当手が混んでいて、秘密裏に消される。コンピューターに依って、全人類のデータは把握されている。未来社会に人権等無いに等しい。そういう仕組みにしていったのも、科学者の研究次第。

 東側のフェンスの場所は、花芽は咲いているのだが、中々結実に至らない。今年は、剪定もしたからどうかな。

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春の雪・・・

2017年02月10日 | Weblog

 昨夜遅くから、しんしんと降っていたのが、今朝は積もっていた。風もあって、少しばかり残っている。就寝時(午前2時)には、2cmほど積もっていた。午後から用事で出かけたが、県北の方向なので、雪花が舞う。加えて積雪が多い。遭難するかと思った。

 本屋にDVDのエイトマンを取りに行く。小学校の高学年から、中学にかけての期間、テレビで放映していたようだ。祖母の買ってくれたテレビに、眼が離せなかった。夏休みの、少年ケニアも胸が躍った。角川文庫を買ったが、さて何処に仕舞っているか。

 復刊ドットに投票しておくかな。何れも、絶版状態であり、絶望的な状況のようだ。水野英子さんのも、手に入らない作品が多くある。昔は、生原稿の保管状態が、野晒しであったよう。著作権の問題もあって復刊は難しい。内容は覚えているが読返したい。

 ヤング・スーパンマンも、ファイナルを迎えた。この作品も、10年来の物になるようだ。クラーク役の、トムのハンサムぶりは衰えず、脇役のメンバーに驚くばかり。まあ、少々過激だが。もし、現時点でスーパーマンが居れば、トランプ政権には大打撃だろう。

 昨日の腰痛の原因は、やはり冷えからきたもののようだ。携帯懐炉を2個貼り付けたら、少しは痺れが取れた。昨晩の枇杷葉温圧療法も、効果があった。弱り目に祟り目というところも、何とか枇杷葉で切り抜けたい。はり灸さんにも行きたく、計画中です。

 庭のクリスマスローズの蕾が、だいぶ膨らんできている。花のない時期には待たれる。枇杷葉の花も、枯れた物が増える時期に咲き出す。自然からの贈り物を、心してもらおう。冷たさも温かさも凡て、自然から届く。常に祈りを欠かさず、感謝を心掛けよう。

 図書館で借りた本も読まねばならず、課題は山積みである。自分で仕事を増やして、就寝時間を減らしている。誰かがするかも知れぬが、誰もしないかもしれない。一人ではできない事も、一人でも多くの参加が必要かも。原発は要らない。基地も必要ない。

 昨年の時点で、たくさんの初生りが確認された。実際に結実するかは不明だが、楽しみでもある。

 

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逃げ足の速さ・・・

2017年02月09日 | Weblog

 働かなくて収入があるのは、横領か、他人の金を黙って懐に入れること。昔には、鍵の掛からないレジで、何時でも手に出来た。金庫も柔な造りであったようだ。かと言って、他人の金を当てにして生活できるとは、ずうずうしい。金は魔物になる。

 カジノ法案が成立して、遊ぶ金ほしさの犯罪も増えよう。庶民のなけなしの金を、然も、脅したり騙して、自分の物にして遣るなら、簡単に自己破産が成立する。債務の金額に負けてしまって働かない輩が急増する。国民を莫迦にし切った法案だわ。

 3月までに受診しないと、雇用契約が切れる、と言われて渋々、定期受診に行くことに。レントゲンも採血も、身体に触れるだけで、数字が出るようになれば有難い。人間、歳を重ねると、あちこちに不具合が出る。治療しても、元には還らないんです。

 今朝は、雪が降ると言う気象予報に、慌てふためいていたが、寒中の雪とは違って、立春を越えたら、積もることは少ない。小寒から大寒にかけては、根雪となって積り、溶けないのだが、淡雪とも言われて、降っている傍から消えていく。北国は別。

 今朝の時点では、どうということはなかったのだが、左半身に激痛と痺れが奔る。ところが生憎と、人数が少ない。激痛に耐えながら業務をこなし、帰宅した。ストーブを点けて、蒟蒻を温めている。寒さが一因なので、枇杷葉温圧療法を施行しよう。

 図書館に返却と、貸し出しに寄る。勤務がハードで、眠気に襲われて進まない。借りる書籍は利用状況がないので、何度も借りれる。入試の問題も、文章力が求められる。本を読んでいないと解けない問題が多い。明日、私立の発表があるようだ。

 宇宙を観るのも、書籍を読むのも、自分との試練かもしれない。謎が多くあるからこそ、興味は尽きない。直ぐに解明できないからこそ、研究の価値もある。学べることへの感謝にも依るが、裏側に隠れていることにも気づきたいもの。愉しみながら。

 早春賦の歌詞を口ずさみながら、ここからが寒さの厳しい季節なのを思う。春と聴き、思うだけで、これだけ違うのだ。聴けばせかるる・・・とあるが、その通り。NHKのみんなの歌で流れていた時は、誰が歌っていたかしら?イラストも素敵だったよね。

 台所の窓下に植えてある枇杷苗。一向に育たない。白茂木か?これで3年目になるんだがなぁ。

 

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