彼岸の入りである。加えて、旧暦の八朔であり、徳川家康の天地への配慮に感心する。時期を待つことの心構えに頷くばかり。季節は正確と思えるのは、彼岸花が咲く。そうして、ごんぎつねを思い出す。兵十と狐のごんとの、微妙な掛け違いが哀しい。
郵便局まで行き、燃料も補給しておこうとドライブする。すばるは昼寝の真っ最中で、行ってらっしゃいも言わずだ。帰っても、眠っている。これが留守だと、そこら中が大騒動になっている。プランターに、何やら見える。あらまっ、枇杷苗が芽を出している。
先日の台風の大雨で、芽吹いたらしい。やはり天地の恵は違う、とじっと見る。どんなに水遣りをしても、出ないのが、自然の力の凄さだろう。人智の及ばないことに思い至るが、一時のことで忘れてしまう。勤務先から持ち帰った衣類のゴム入れをする。
夕方、出かける算段であったのが、勤務先に連絡すると、明後日で間に合う。と言われ取止める。洗濯に終始する一日であった。半袖で十分な気温だが、油断は禁物。通草酒を口にして、風邪の予防をしておく。薬等呑まなくても、枇杷葉茶で充分な対応。
この世の春。のっけから枇杷が出てきて、びっくりした。作者の丁寧な人物描写が好きだが、まるでパノラマのように、目の前で役者が動くのだ。この内容、理解し難いようでいて、闇を知っているとすんなりと胸に治まる。驚きも、諦めも、耐えることにも同感。
地元の伝説に。夏の(旧暦の夏は、田植え時期)日照に、村人は総出で雨乞いをするが一滴も落ちない。村長は、白羽の矢を立てる。生贄となった少女は、死への恐れはない。雨が降らなければ田植えができない。と、空に黒雲が湧きあがり滝の如く注ぐ。
村人の見る中を、少女は一匹の黒い大蛇となって、雨を降らせ続けた。黒姫伝説というのが、残っている。反対に、荒れ狂う河を鎮めようと、人身御供となった少女が、白装束に身を包んで飛び込むと、何処からか白い龍が現れて、少女を連れ去った噺が。
自然からの恩恵を、感謝と祈りで暮らせる幸せを想う。枇杷葉の中心が、僅かではあるが膨らんできている。初生りも見える。リエさんやサンタさんのにはたくさん。家の軒下まで、大きく育った枇杷葉が、今年もまた花を咲かせるのだ。ありがたいことです。
昔よりは、寒さも然程ではないが、それでも寒の頃は冷え込む。宇宙は大気が澄んで、星もきれいだ。