枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

旧八朔、朔・大潮

2017年09月20日 | Weblog

 彼岸の入りである。加えて、旧暦の八朔であり、徳川家康の天地への配慮に感心する。時期を待つことの心構えに頷くばかり。季節は正確と思えるのは、彼岸花が咲く。そうして、ごんぎつねを思い出す。兵十と狐のごんとの、微妙な掛け違いが哀しい。

 郵便局まで行き、燃料も補給しておこうとドライブする。すばるは昼寝の真っ最中で、行ってらっしゃいも言わずだ。帰っても、眠っている。これが留守だと、そこら中が大騒動になっている。プランターに、何やら見える。あらまっ、枇杷苗が芽を出している。

 先日の台風の大雨で、芽吹いたらしい。やはり天地の恵は違う、とじっと見る。どんなに水遣りをしても、出ないのが、自然の力の凄さだろう。人智の及ばないことに思い至るが、一時のことで忘れてしまう。勤務先から持ち帰った衣類のゴム入れをする。

 夕方、出かける算段であったのが、勤務先に連絡すると、明後日で間に合う。と言われ取止める。洗濯に終始する一日であった。半袖で十分な気温だが、油断は禁物。通草酒を口にして、風邪の予防をしておく。薬等呑まなくても、枇杷葉茶で充分な対応。

 この世の春。のっけから枇杷が出てきて、びっくりした。作者の丁寧な人物描写が好きだが、まるでパノラマのように、目の前で役者が動くのだ。この内容、理解し難いようでいて、闇を知っているとすんなりと胸に治まる。驚きも、諦めも、耐えることにも同感。

 地元の伝説に。夏の(旧暦の夏は、田植え時期)日照に、村人は総出で雨乞いをするが一滴も落ちない。村長は、白羽の矢を立てる。生贄となった少女は、死への恐れはない。雨が降らなければ田植えができない。と、空に黒雲が湧きあがり滝の如く注ぐ。

 村人の見る中を、少女は一匹の黒い大蛇となって、雨を降らせ続けた。黒姫伝説というのが、残っている。反対に、荒れ狂う河を鎮めようと、人身御供となった少女が、白装束に身を包んで飛び込むと、何処からか白い龍が現れて、少女を連れ去った噺が。

 自然からの恩恵を、感謝と祈りで暮らせる幸せを想う。枇杷葉の中心が、僅かではあるが膨らんできている。初生りも見える。リエさんやサンタさんのにはたくさん。家の軒下まで、大きく育った枇杷葉が、今年もまた花を咲かせるのだ。ありがたいことです。

 昔よりは、寒さも然程ではないが、それでも寒の頃は冷え込む。宇宙は大気が澄んで、星もきれいだ。

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文月二十九日

2017年09月19日 | Weblog

 抜けるような青空に、洗濯物がよく乾く。三日分の衣類で、畳んでも減らない衣料にうんざりするが、片付けねばならない。利用者さんとのコミュニケーション等、僅かでも作れば好い方で、粗方こういった作業と、トイレ介助に終始する。

 それでも、選んでするからには、平常心で行いたい。認知症と言う症状には違いないが、個々に大きく隔たりがあり、アクシデントは始終起きる。家族の事情もあろうが、施設に預けたらそれで終いではなく、必ず会いに来てほしいもの。

 それをまるで厄介払いをするような、或いは迷惑を持て余すような態度で、全く会いに来ない家族もいる。どんな事情があっても、老いて逝く親を、見棄てる態度は腹立たしい。仕事であるからというものの、心が折れてしまうことも有。

 今までには、嫁と姑の関係から、息子さんが苦肉の策で預け、しょっちゅう会いに来られるのが当たり前であった。亡くなっても、故人の話をして、偲ぶことができた。最近は、居なくなっても、新しい方が順番を待っていて、直ぐに入るが。

 その対応に、慣れて落ち着くまでの期間に、一苦労である。職場の人事もだが、在宅で十分看られるのを入れる。自分の親であることを、忘れているのだろうか。質素でも、不便でも、親子で住める幸せを思わないのだろう。何と淋しい。

 可と思えば、遠くの方から、大勢で訪ねてくださり、声をたてて笑われるのを、久し振りに聴いた。そんな遠くから、お嫁に来られていて、古里に帰ろうにも還れない。心はどんなに辛かったろうかと、胸が篤くなった。ありがとうございます。

 介護の仕事を続けられる、小さな想いには、相手を思い遣る気遣いが必要だが、口で言う程容易くない。資格でするだけなら、誰でもできるが、姉弟や親戚には適わない。どんな病にも、薬よりも効果がある。愛情の深さに頭が下がる。

 節分は、豆撒きをする。大好きな絵本に、おにたのぼうしがある。いわさきちひろさんの絵が思い出される。

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敬老の日、文月

2017年09月18日 | Weblog

 旧暦での行事にすれば、何処となく風情があるが、何という気忙しさであろうか。等と思いつつも、昨夜の豪雨に、夜半緊急メールが入って、気になって寝そびれる。勤務変更をしておいてよかった。早出では堪える。本日、敬老の日らしい。

 子どもの頃には、15日であり、前日から他所行きの着物を箪笥から出し、風に当てていた祖母が、何時もよりも早く起き、牛の餌の草刈を終え、少しの湯を沸かして身体を拭き、髪も丁寧に梳かせていた。座布団持ちで、祖母と歩きつつ。

 田んぼの畦には、彼岸花が咲き、朱赤の色が不気味であった。無花果が熟れ、早生の栗が取れる。秋の七草も見え出し、桔梗がひっそり崖に揺れる。帰りは無論、早くから迎えに行く。目当ては折り詰めで、祖母は孫への土産に残すのだ。

 今時の敬老会は、けえろうかと思えるつまらなさで、自分が行く歳になっても御免だ。長生きをして、何一つ好いこともない。歳を重ねると、遠出も億劫だし、第一に他人様と会うことが厭だ。図書館に出向くのも、出来るだけ接触したくない。

 買い物も、大勢の場所は避ける。必要最低限の外出になるが、世間とは隔たりが増すばかり。加えて、仕事を辞めたら、もっと狭くなろう。すばるを相手に過ごすことが、至極当たり前になるようだ。来る者は拒まず、とも言うが疲れる原因に。

 昨日は、嵐の前に枇杷葉を採り、通路の方まで草を抜いておいた。夕方からの暴風雨に、油断して窓を開けていたのに気づいた。多少の水浸しに諦め、掃除をする。ごきぶりの屍骸があちこちに転がる。駆け回っていたのはこれが証拠。

 節分や立春が近づく夕暮れ。そろそろ春の宇宙に転じる一時。この美しい宇宙を観られる幸せに感謝。

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時期遅し・・・

2017年09月17日 | Weblog

 図書館から、予約本を確保したメールがあり、娘の所や電気屋に寄って行く。宮部みゆきさんの新刊で、この世の春。表紙がいいなぁ・・・、桜ほうさらも素敵な装丁だったが、これも高感度は大きい。奇しくも、菅原道長の自筆奉書が、新聞に載っていた。

 自分では書けない故に、人物伝や歴史の舞台で活躍された偉人に、興味を惹かれることが多い。今、その時代まで往くことが出来れば、躊躇なく出かける。栄耀栄華のこの世の春、と自負したのは誰あろう。菅原道長であったのだ。そのタイトルに魅了。

 ところで、些か時代遅れを自称してきたが、相当の遅れのあることに愕然とした。電球が切れて取替えたはいいが、新品が点かない。電気店に持って行けば、ちゃんと点く。聞けば、基盤が壊れているそうで、電球が不具合ではないそうだ。取換が高い。

 修理に出したりするよりは、新品を買った方がいいらしい。価格も、基盤を買って治すより、遙かに安く手に入る。今は、センサー付きのもあって、外の明るさで室内の調整をするエコ商品である。そんなことより、昼間は点けないのがエコだと想うがなあ。

 まあ、金を返してもくれたので、当分は我慢しておこう。幾ら安いとは言っても、そこは価格がある。手元不如意では買えない。今月の給料は少なかったので、大切に使わねばならない。タイガースが買いたいが、来月に回そう。年金が何十万も入らない。

 昨日、テレビ番組で、夏野菜をしっかり食べよう。と、種類を分析して、どういったことにいいかを遣っていたが、そんなことを、秋になって放送するのは何故なのか?わたくしなど、口を酸っぱくして言うておるが。旬の物は、その時期に摂取するから好い。

 夏野菜を食べておくと、冬の身体ができるし、冬にしっかり旬の物を口にすれば、夏の身体を創る。年中、色とりどりの物が、安価で大量に並ぶが、季節の物には敵わないことがある。贅沢をすれば病気に成る。清貧の暮らしには、身体が創られるもの。

 職場の同僚に、枇杷葉の生葉を持って行ってあげよう。と硬くて大きなのを採っていたら、葉の中心に苞が見えた。たくさんある。うれしいなぁ・・・、今年もたくさんの花芽が咲きそうな気配。季節は廻り、繰り返すが、この時期のワクワクさは格別なもの。

 大寒の頃の夕暮れ。早々と、金星と月が並ぶ。月の明るさ、金星の美しさに、圧倒されつつ佇む。

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台風接近・・・

2017年09月16日 | Weblog

 今回の18号、精力的にも直撃のようだが、運動会と重なる地域もあって大変である。然し、中止ではなく延期の様子で、過ぎて行くのを待つしかない。この月には、台風が来る予想で、来月に繰り越す心構えがほしいところだ。

 オリンピックでも、10月が最適な頃を、態々前倒しにするのが分からない。二学期が始まって日数も経っていないのを、子ども等も可哀相である。それなら、初夏に行う方が、其々に未知の可能性がある分、全力投球できそう。

 昨夜から、しょぼしょぼと降っている雨に、風の強さを案じているが、仕事には行かねばならずで、気分が半減する。人間の身体のサイクルには、年齢と共に変化が起きるようで、朝が来る度に失望も加わる。湿度も関係するか。

 すばるが、カーテンを何度も駆け上がるので、捕まえて叱る。先日換えたばかりのが、既に爪で解れている。明日の休みには繕わなくては・・・。日中、ひとりぼっちなので、寂しいのであろうが、悪戯も度を過ぎると放っては・・・。

 今年は、雨の多い日があったり、天気が続いたりとしたが、昨年のことを思えば、やや涼しかった。扇風機は、すばるに点けたが風もあった。衣類を調整していれば、そこそこ凌げた。夏野菜をしっかり摂りつつ、枇杷葉茶を飲む。

 食材は、季節の物で賄うのが一番で、スーパーにある年中置きっ放しでは、身体は創れない。不可能はなく、自分の信念で、買わない。何でも、何時でも、どんな物も、お金さえ出せば手に入るが、便利さと贅沢に慣れてしまうよ。

 還暦を過ぎた頃から、無理してまで食べなくてもいいか。と思えるようになった。あれから5年経過したから、これからは仙人の暮らしにするしか。年金も、掛けた割りには戻ってこないし、先行き不安では暮らせない。修行三昧。

 サンタさんのに決めてある、淡路田中。自然に任せてあるので、市販よりは粒も小さいが、我が家では卵大だ。

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骨身を惜しむ・・・

2017年09月15日 | Weblog

 介護の業務内容には、どうすればいいかの答えはない。心を添わせる、という簡単なことであり、経験や年数に依っては、自然にできることも、形式ばって、ぎこちなくなることも間々ある。然しながら、無駄話の何と多いことか。口先ばかりの利用者優先。

 自分の遣り方に違うことでも、自分は何をすればいいか、判断して動けばいいことで、そこにチームワークを持ち出されては困る。同じ事をしていては、業務は終わらないし、山積になるだけだ。何々してくださいと頼むのではなく、黙って手本を見せれば。

 子育てをしていた時には、毎日の掃除・洗濯に加えて、子どもの服を縫ったり、編み機で作ったりしていた。テレビの前にじっとしていることは否で、その廻りで子どもは遊んでいた。人付き合いが苦手であり、家で何かをしているのが気楽であったもの。

 その頃は、車の運転も出来なかったし、自転車での買い物であったから、献立は作った野菜で賄っていたし、楽しみでもあった。心の中では、本が読みたく、時間を作れないのが辛かった。子どもが学校に上がってから、教科書で知った童話の世界は新鮮。

 ろうべえまってろよ 車の色はそらのいろ うみべのいす チビッ子カムの冒険 ちいちゃんのかげおくり 一つの花 おこりじぞう ごんぎつね てぶくろをかいに だれも知らない小さな国 おみやげ 宇宙人のしゅくだい 数えれば限がない作品を知った。

 作家では、佐藤さとる 灰谷健次郎 小松左京 あまんきみこ 神沢利子 教科書に載っていた方だけでも多く、自分の好みで読めば、書き切れない。鬼籍に入られた方もあり、或いは著作だけで、お逢いしたことはないが、内容は間違えず覚えている。

 子どもが読んで、孫に読ませ、今は他所さまの子どもさんに、贈っているが、本好きの子どもには、親の拘りかたが非常に大切な意味を持つ。絵本の作者とタイトルを瞬時に言え、内容まで話すとなると、尊敬してもらえるが、一冊でも多く読んでほしい。

 今年の正月時、松の内までを仄かに匂った花芽。家の中に居ても、素晴しい芳香が風に乗って漂う。

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再稼動・・・

2017年09月14日 | Weblog

 福島第一原発の事故で、汚染水も未処理、復興も遅々として進まない現状で、何をどうやったら再稼動へとなるのか、甚だ不思議なことである。放射能汚染の人体への影響は元より、生き物凡てへの蓄積は、長い時間をかけないと結果として出ない。

 で。そうなった時に、やっぱり再稼動はしなけりゃよかった。と言うのだろうか?遅きに失する。プルトニュームの処理だって、いい加減なもので、野晒し状態のまま。ガイガー探知機の針が振り切れる放射線でも、安心・安全なのだろうか。首相は嘘つきだ。

 オリンピックは大事かも知れぬが、それよりも先に、人命の方を優先させるのが大切。放射能が大気を覆えば、それこそ東京は大混乱する。原爆投下された広島や、長崎の多くの人の苦しみに、何故寄り添えないのか。戦争がもたらした莫大な被害に。

 わたくしは戦争を経験したことはないが、叔父はシベリアに抑留されて、遺骨も戻らずである。母は、婿を取っての暮らしであった。父は婿養子の立場で、散々肩身の狭い思いをした。亡くなった今も悲惨なものである。田舎の暮らしには弊害が多く残る。

 今の若い方は、そういった親を見たりして育った者と、自由気儘に、言いたいことを憚りなく、人権を楯に生活してきた者も居る。目上の方への物言いやら、態度に大きな差が出る。対等ではなく、平等とは思うが、幼稚な言葉が目立つ。日本語を大切に。

 先日も可笑しな文章に、首を傾げた。花に・・・・・してあげましょう。とあった。違うわよ。何々する、或いは遣りますが正しい。幾ら丁寧がいいか知らぬが、これは慇懃無礼というもので、相手が何か分っていない。子どもにだって、受身はしましょうくらいに。

 これで、いくら英語が喋れても、日本語に訳する、解釈する語源が乏しいものでは、意味が相当に異なる。お国言葉訛りがあっても、素朴な趣きにとれるが、日本人の愚かさをあからさまにして、恥ずかしくなる。かわいい、いただきます等、見苦しいです。

 冬の最中、木漏れ日に匂う花芽。晩秋辺りから、咲き始めており、春分くらいまでには結実する。

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文月、下弦・小潮

2017年09月13日 | Weblog

 多少は蒸せるものの、天気になったので、押入れを掃除がてら、布団を干す。風が微風だが、軒下で乾かす。休日には、家事が溜っており、却って用事が多いのも事実。一日、のんびりと出来る日もあるが、すばるの手は借りられないのだ。

 玄関に物体が見える。開けてみれば黒猫が居る。銀河が還って来たのかな?かといって、すばるを捨てられないし、二匹も飼えない。小さな家でも、持ち家であれば別だが。団地住まいは何かと不便だ。藪蚊が庭に出ると、獲物と近づいて。

 先日、新しいカーテンを替えたばかりなのに、引っ掻いて糸がほつれている。最近は、ゴミ箱の中が気になり、上手に爪で掻き揚げ出す。さっき掃除をしたばかりでしょう。未だ悪戯は止みそうにない。爪研ぎはどうにか分ったようだが怪しい。

 銀河の跡が残っているので、それも仕方のないこと。狭い家屋でじっとせよ、と言うのに無理がある。多少のことには眼を瞑るが、鉢だけは駄目、と掻き出す度に叱る。もうちょっと慣れないと外に出たら帰れない。車の往来もあり事故の心配。

 台風が接近しているためか、爽やかさに欠ける初秋。彼岸も近づき、慌ただしい頃だ。敬老の日が日延べで第三日曜日になったが、年寄りと言うか高齢者への配慮に、自治体での対応が異なり、或いは個人差もあって、気分も薄くなるもの。

 美術館や公共の施設への入館料が、割引なのはいいとして、こちらが申し出ないと、向うからは聞かない。無理に安くしてもらおうとは思わぬが、年金暮らしにはひびく。可と言って遠方まで出かける意思も減っていくので、高がとも思えない。

 出不精に輪を掛ける暮らし向きになることは必須。これからは、枇杷葉の生葉を、着払いで取り扱うようにしよう。期間は、彼岸から彼岸までとし、夏場には中止で。まあ、のんびりゆっくりがいいかな。枇杷葉の実は収穫量が少ないので無理。

 左腕が痛くて上がらず、肩凝りも酷い。塩で揉んではいるが、はり灸さんに行かねば治らない。さて、リエさんの都合もあるから、何時がいいかな。然し、早急に治療をせねば、腕が上がらなくなる。すばるの手を借りたいが。疲労困憊かな。

 帰宅途上の橋の上で、余りにも美しい月と金星に、シャッターを押したが・・・初冬の宇宙である。

 

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災害・・・

2017年09月12日 | Weblog

 昨夜は、雨音が地に響く強さであった。テレビを観ないものだから、市内まで出かけるのに駅まで行くと、電光掲示板の案内や、アナウンスで電車の遅れを知った。しまった!文庫を持って来るんだった。仕方がないから景色を眺めて待つ。

 注文していた品物を、受け取りにだけなので、用事は直ぐに済む。駅の上の本屋に寄り、絵本を買う。目当ての本はなかったが、五味太郎さんの、きいろいのはちょうちょにする。未だ1歳だが、お利口さんで、きちんとお座りをして聴くそうだ。

 お気に入りの本を、本箱から探して持って来、読んでちょうだい。と渡すそうだ。そうしてちゃんこして待つらしい。読み終わったら、拍手をして頭を下げて片付ける。と言う。賢い!親の愛情をたっぷりと注がれているからで、良く遊び好く眠る。

 私の偏見と独断で選び、毎月1冊渡すことにしている。何かを特別にしなくても、小さな時期から英語を喋れなくても、日本人であることや、人間としての基本を理解して、大きくなっていく方がいい。自分で考えてから、行動できる人になって。

 枇杷葉の種を植えていたのが、気づけば1本芽を出している。白枇杷なので、発芽が心配されたが、少し安堵した。未だ出て来ないのもあるが、屋敷中が枇杷葉で埋め尽くされているので、そこそこでいいかと思う。天気回復して青空に。

 鉈豆の収穫時期。友人が玄関に置いて帰っていた。焼酎に漬けると、歯槽膿漏に効果が大きいが、これ以上は置き場がない。何処に配るかなぁ・・・Aさんも、たくさん漬けていて、使うにも有り過ぎるらしい。贅沢なことですが、もったいない。

 冬の季節には、大気が澄んで来るので、宇宙がきれいに観える。プラネタリュームもいいが、天然自然。

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二百二十日

2017年09月11日 | Weblog

 秋雨である。加えて、二百二十日となり、天気がぐづつく。不快指数は急上昇で、除湿設定になるが、洗濯物が乾かない。自宅はいいが、勤務先は乾燥機がフル回転。帰宅して、洗濯物を取り込もうと外に出たら、尿臭がする。裏の餓鬼の垂れ流しである。

 吐き気を催す臭気に、胸が悪くなるが、洗濯物を仕舞わねばならず、用事もあるので、出ない訳にはいかない。いい加減疲れて帰宅して、自宅の周りがこれでは辟易する。家族だけの住居ではなく、他人が大勢来ているし、子どもの躾も出来てないは困惑。

 これで、生活保護を受けているのに、乾燥機はある、冷暖房は点けっ放し。豊かな暮らしである。家の周りは塵だらけ。特に煙草の吸殻が放置。誰が出入りしようが、何をしていようが、マナーや節度を守ってならいいと思うが、夜中に騒ぎ近所迷惑甚だしい。

 静かな環境だったのが、とんでもない家族が引っ越して来たもの。諸般の事情がどうかは知らぬが、野放しは迷惑千万です。我が家のすばるでさえ、爪研ぎをしてはいけない。と叱れば、顔色を見てるし、忘れないでいる。相変わらずチュウチュウはするが。

 黄桃が届いた。とリエさんから連絡が入る。歓んでもらえて何よりです。産地直送ですから、新鮮そのもの、瑞々しさ一杯でしょう。自分で作れないので、そらが残念ですが、お送りさせてもらえる幸せを感じます。世知辛く棲み難いこと夥しいが、うれしいもの。

 明日明後日は天気も下り坂で、外のことが出来ないようだ。読書三昧になるか?すばるの餌を買って来なければ。仕事を辞めたら、車も手放すし、金銭的にもゆとりがなくなるので、細々と暮らせる時に、趣味を愉しみたい。老後は安心も安全も消えている。

 雪の朝。今年の雪は、朝日に見る見る溶けていく。枇杷葉への影響が心配だったが、鈴生りになった。

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