枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

生きていくこと・・・

2017年09月10日 | Weblog

 介護の業務内容には、やろうと思えば限がなく、横着をするなら楽なもの。食事、排泄、入浴には、移乗することが含まれるので、重労働にもなる。機械に任せればいいようなものだが、予算の関係上、容易くは無い。それに温かみがない。

 人間の出来ることには限度もあり、ポイントやコツで乗り切る他はない。見守りも、拘り方で差が出てくるし、相手の心に寄り添うのは、出来るようで難しい。今まで生きて来られた年数を、どこまで理解して接するか、そんなに簡単にはいかぬ。

 見た目と心の中とでは、大きな隔たりもあり、十把一絡げにもいかない。同じ歳でも、環境や金銭的なことで異なり、印象も変ってくる。これらを単に、かわいい年寄り等と、言いたくもなく、生きて来られた歴史を学びたい。十人二十色です。

 お互いが理解し合わないと、話は噛み合わない。心の奥深く、慮ることが大切で、病気の症状にも関係して来る。自分よりも動けない人には、哀れみが生じるし、高みから物を言われると、むかっ腹を立てるものだ。その日の体調にも因るが。

 認知症にも、個人の深い心情が影響して、哀しみが増えたり、体力の著しい消耗にも繋がる。自宅に帰りたい想いが募り、徘徊へと向うのも、気の毒でならない。アルプスの少女・ハイジを知っていれば、心の病の重さに、胸に痛みがはしる。

 認知症の診断が下れば、何も分らなくなるのではなく、自分の生きてきたことさえ、怪しく思えてしまう。不安が広がってしまい、自分が何者であるかも。哲学的な深層に、真摯に向き合っていけることは先ずなく、諦めの境地に至ることもある。

 こういった複雑な個人が、同じ施設内で暮らすには、相当な抑圧が伴う。介護の仕事として済ませるには、余りにも責任が大きい。親子で分かり合えないのが、他人に分ることもなく、反対に知ろうとすれば、心が通うことにも繋がるが困難。

 四季折々の宇宙を、観ていられる幸せ、自然からの最高のプレゼントに感謝する。新しい自分にも出遭える。

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秋の空に・・・

2017年09月09日 | Weblog

 そろそろ百舌鳥が啼くかな?と空を見上げる。道端には、あちこちにテイカ蔓の白い花が、芳しく匂って群れている。電柱に絡み、回りの草に纏わって咲く。白い小さな花だが、風情は何とも言い難い。野の花は無心に咲くのが好い。

 すばるは、寒いと潜ってくるが、凌ぎやすさでは足元に眠る。叱られたことは憶えており、こちらの言うことも分る。構ってほしくての悪戯で、顔を見ながら遣っている。昨夜は、1匹の蝿がいて苦衷から離れない。飛び上がって落下す。

 だたんばたんと賑やかで、騒々しいので、キンチョールで退治する。未だ1年が来ないので、遊びたい盛りだろう。ご飯に鰹節の、猫まんまがお気に入りで、疾走してきて食んでいる。枇杷葉茶も、ゴクゴク喉を鳴らして飲んでいる。

 今朝、冷蔵庫を見たら、具材があったので、散らし寿しに変更した。適当な妥協もいいところである。青空市で、隠元をかっていたのを茹でて、茗荷寿しにした。彩がきれいなのも食欲を増すね。錦糸卵は、日持ちの段階で取止める。

 明日は、団地の草刈であるが、勤務に当っており出ない。昨日の内に作業は遣っており、見違えるようになった。自宅の周りは見栄えも大切で、箒で掃くのも一手だ。裏の家には常識が無くて、辺りに塵が散乱している。迷惑至極だ。

 特に、煙草の吸殻を、処構わず捨てているのは、嫌悪感が伴う。吸うのは勝手だが、痕はきちんとするのが、大人のマナーだ。家の中さえ綺麗であればいい。という中途半端な考えには、賛成できない。まあ、非常識だからするのか。

 秋の季節には、落葉も増える。桑の木の剪定もしたし、枇杷葉にも注意している。それでも風が吹けば、自然の趣きには逆らえない。せっせと箒で掃くしかない。草も、多少は生え方が違う。冬に備える準備期間だ。友人に糠を依頼。

 大寒の朝に、庭に積もっていた。慌てて、箒ではたいたが、尚も降る様に諦めた。枯れた花芽もあったが豊作。

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天気回復し・・・

2017年09月08日 | Weblog

 布団が干せる。洗濯物が乾く。草刈も草抜きもできると、午前中張り切ったら、午後からが疲れてしまう。予定は、略済ませたのでほっとする。先日来の雨で、草抜きも容易に出来、日曜日を案じることも無くなった。日中の気温上昇。

 久々に、友人が来訪し、珈琲を淹れて飲む。そろそろ糠が要るので、頼んでおく。早目に言っておいても暮れである。枇杷葉に、ウンカがたくさんさばっており、葉が黄色になっている。傷んだ葉を取り、元気の出るよう揺らしておいた。

 薔薇の根元に、専用の肥料を遣り、枯れた枝を切っておく。歳を重ねると、作業にかかる時間が長くなる。手際良く遣ってはいるのに、出来ることが手間取る。昨日の自分より、現時点で劣るのに呆れる。然し、これが正しく年齢である。

 すばるは、家に居るのがうれしいのか、屋敷中を駆け回る。勢い余って激突はやる、引っくり返るで、お転婆じゃなく男勝り。燃料を入れに行ったので、大きくなったことを話すと、オスと言う。そんな気がしないでもないが、今更取換えは。

 餌の減り方が速い。先日買ったように思うのが無い。ご飯も食べるし、食欲は旺盛である。タイガースの曲は好きらしい。最近は控えているが、毎晩何時間もかけたし、観てもきたから、ピーと言うと、耳を立てる。反応が素晴しいですな。

 明日の弁当に、散らし寿しをしようか迷う。材料はあるんだが、勤務者の好みにも依ってくる。茗荷が好きだったり、そうでない方や、なにやかやと姦しい。こっちの体調も0あるし、まあ成るように任せよう。握りを少しばかり作って行こう。

 友人は、猫が好きではない。然し、すばるは興味深々。銀河もだったが、どうやらちょっかいをかけているようだ。抱き上げるとずっしりと重い。寒いと膝によじ登る。布団に潜るし蹲る。暑いと畳みの上か足元に行く。本気で噛むのは止め。

 夕方の金星は、宵の明星とも言われ、いちばんぼしとして親しまれる。ギリシャ名はヴィーナス。美の女神だ。

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文月、白露

2017年09月07日 | Weblog

 二十四節気 白露 朝夕涼しくなり、草木の葉に宿る露が、白く光る、という意味で、白露と言う。毎年、九月八日頃である。ハクション!とクシャミの出る季節で、春とは異なる心構え。何しろこれから、寒さに向うので油断大敵。

 言葉の持つ不思議さ、魔力と言うのは、そういった力があるとか、否とかでなく、必ず自分に還ってくる。そこには、自分は悪くない、起るべくしてそうなった。という言い訳がある。だが、慢心でもあるのだ。人間だから間違いは有。

 坊主の頭と嘘はゆったことがない。これは、坂田靖子をご存知の方なら、笑い転げる有名な1場面だが、いやはや、諺でもある。嘘も方便や、嘘から出た実。と言うのもあって、嘘の使い方の手引きもある。然しやはり自分に還。

 これが何時、何処に、誰にとなると、心許ないし、断言できることではないが、災難は忘れた頃に来る。原発再稼動を、新基準で合格とある。新基準って何?何を基準にするかだが、生き物をか、生命全てをなのか、不明極まる。

 東電は、懲りない面々だなぁ。福島の復興も未だ放置したまま、再稼動するなど、保障をする気は端っからない。何を目的として稼動だ。加計学園の突っ込みを、他に向ける算段とも取れるが。こんな首相では、国は先行き怪奇。

 政治に不正はつきものだが、喋る言葉も吟味し、相手を考えて物言う閣僚でありたい。尊大に構えて、言うことは小学生並みでは、親の、祖父の七光り。威光では影も薄い。然らばダーク・サイドに獲り込まれる。ジェダイは消滅。

 人間の心には、両面が堪えず行き交う。然し、一時の感情で、悪の闇に入ってしまえば、取り返しの就かない結果が訪れる。言霊、と現すが、自分の行動や言動には責任を持ちたい。いい児になるのは、幼い時期だけで充分である。

 立春を過ぎると、心もち寒さも和らぐ。早春の季節には、鶯もひっそりとしている。宇宙にも冬の大三角が。

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文月、望・大潮

2017年09月06日 | Weblog

 昨夜からの雨で、庭は程よく潤い、網戸を閉めたので、気温も先ず先ずである。鉢を室内に入れると、すばるの好奇心に刺激を与え、前足でちょいと触ってみる。異常無しなら、葉や土をかじりほじくる。畳の上にヤモリの尻尾がある。

 身体が、重くだるさが残るが、勤務なので仕度する。時間帯にも依るが、体調での変化が歳に重なる。それにしても、沢田研二さんは、70歳が近い筈で、瞳みのるさんは既に越えている。自分の目標を決めて生きるのは真実素晴しい。

 一般的な庶民は、毎日を惰性で生きていることもある。朝、目覚めるから起きる。人間、何時何が起きるかは不明なので、どっこいしょの掛け声で身体を起す。すばるが来てから、餌をやらねば、というのがあって、やっとこ立ち上がる。

 我が家に来て、何ケ月も経ち、小さかった体はでかく、首の回りから丸々としてきた。尻尾が長く美しい。枇杷葉茶を飲んでいるので、毛並みが綺麗である。器量は少し劣るが、見られないこともなくなった。大きくなってきたから変った。

 ご飯が好きである。我が家の米は、朝日米で、無洗米やら手研ぎのを炊く。水は、Aさん家からので仕掛ける。卵も、野菜も、低農薬やらを好む。これは飼い主に似たものであろう。添加物の類には、身体が異常を訴えるので、難儀だ。

 一日、ぐずついた天気で、帰宅すると大欠伸で出迎えた。どうやら、出窓の寝床でぐっすりだったらしい。靴箱の中に、タオルを敷いて置いている。体がはみ出しているのに、無理矢理入っているのが可笑しい。一回り大きな箱に変えよう。

 そろそろ風呂にも入れないと、と思いつつ、外に出て行かぬので、娘夫婦を待っている。婿が入れたいらしく、その内に連絡が来るだろう。勤務を終えて、すばるの顔を見れば、少しは疲れが取れる。二人っきりなので、余り喋らないが・・・

 大寒の朝。庭を見てびっくり!昨夜、深々としていたが、積もったものです。枇杷葉は、寒さに震えて。

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旧盂蘭盆会

2017年09月05日 | Weblog

 空は曇りで、布団は干せない。洗濯物は少しだけで、のんびりとしていたが、暦を見ると鉢の移動は悪くない。一回目を遣っておいて、水をもらいにやら、受け皿を買いに出た。帰宅して、昼食も忘れて取り込んでいく。雨がパラパラしている。

 植え替えやら、移動に半日かかる。すばるがちょっかいを出すのを、叱りつつ置いていく。猫の本能なので仕方の無い振舞い。然し言いおいておかねば、被害が広がる。昨日、狩りをしたらしく、屍骸が廊下にあった。ヤモリの小さな子どもだ。

 外に出ると蚊が纏わり、内に入ればすばるが足元にじゃれる。それにしても大きくなったもので、首輪がきつい。調整をしたら、これ以上は無理な処。片手で抱けたのが、今は重いし、膝に来るのもずっしりとしている。半年経ったらでかい。

 図書館に寄り、宮部みゆきさんの新刊を予約しておく。ハードカバーは、もっぱら図書館で借りる。文庫になったら求める。尤も、他人に貸すと、傷められて返却されるので、新しいのを買う羽目になるが。本にも、命が宿っていることに気づく。

 朝夕の気温の変化に、衣類の調整をするが、自宅に居れば、半袖で丁度いい。冷房を利かせている場所もあるから、上着が必要になってくる。初期の風邪対策に、通草酒で嗽しよう。基本では、手洗いと嗽であるから、必ず実行されたい。

 水をもらいに、Aさん家に寄れば、歯が痛いと悲痛な顔をされている。イタドリも、枇杷葉の焼酎漬けも、たっぷり瓶にあるというのに、使わずにいる。宝の持ち腐れというか、我慢するくらいなら、他の手が打てるのに。歯医者で歯を削った。

 連休で、少しは疲れが取れたか?いえいえ、気分的にはゆっくり出来たが、体力の衰えは否めないです。単なる家事援助で、雇ってもらった筈が、今では常勤並みの内容になっている。夜勤はしないし、日勤だけの勤務にしているのだが。

 冬の宇宙。神無月、霜月、師走が冬の宇宙で、新暦では11月から1月となる。その年、閏月が何処に入るかで違う。

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鉢の移動を・・・

2017年09月04日 | Weblog

 折りツルランのランナーを切って挿し、鉢の移動をする。外に出していたが、霜に遣られてからでは遅い。何やかや、一気に取り込むと騒動が起きるのは承知で、然し、放っておけば、枯れてしまう。ヘリオトロープにプライダル・ベールも。

 天気が続けば水遣りもしなくてはならず、季節に応じた対応も必要だ。今朝は、普通どおりの起床で、茗荷寿しを作る予定で・・・。えっ!これはどうしたことだ。炊飯器が、蓋が開いているではないか!!すばる!ご飯はパリパリのまま。

 昨夜は、就寝前にごきぶりを追い駆け、捕まえて遊んでいたが、洗濯物に残骸があり、再度洗い直しになり、ご飯は、仕掛け直して間に合う。シンプルな、茗荷と紫蘇とだけで、事前に用意していたので刻む。紫蘇は花穂がいい匂いです。

 茗荷寿しができたので、勤務先まで届け、茗荷をくれた小学校時代の恩師に、お裾分けをのぞける。勤務先とは目と鼻の先の距離。素通りもできないでしょう、心ばかりを渡す。帰宅して残りを昼食に戴く。ありゃ、塩加減が失敗したよ。

 パソコンを操作しながら、外が気になり、鎌で伸び過ぎた枝を払う。紫陽花が季節外れで咲いている。蚊に刺されながらし終える。家に居る時には、網戸にしている。風が程良く入って来る。すばるは、悪戯に疲れたのか、出窓で眠ってる。

 ストレスからか、化粧品のかぶれが治らない。この1週間、鉈豆茶を飲用しているが、ちょうど眉の上なので痒くて搔く。思い詰めて考え出すと、無意識に手が行くのだ。ドクダミ茶も飲むかな?千振もいいかも。否安眠できたらいいんだ。

 便利で快適な生活が、思考力を衰えさせる。書籍を読んだり、メモを取ったり、或いは、パソコンも操作できれば、認知症にはなり難い、とは思うが、行き方や価値観にも差が出るので、どれが正しいとは言い切れない。何事にも挑戦して。

 枇杷葉の花芽が、余りにもいい匂いなので、1枝手折った。長い間を香って、その後はお茶にした。

 

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命のありがたさ・・・

2017年09月03日 | Weblog

 子どもの頃は、貧乏が嫌で、貧しさに辛い思いをするばかりであった。自分が選んだのでもなく、もっとお金持ちに産まれたかった。と親に言っていたが、今は、それも好いものだと、想うことがある。残す物が無いということは憂いも無い。

 子ども達は、それなりに生活しており、人生を終えたとて、別段困ることもないだろう。すばるのことはあるが、枇杷葉以外は、何もないからだ。枇杷葉屋敷の枇杷が、心配と言えば案じるものの、宇宙に還るだけである。命も同じだろう。

 もう一度生まれ変るとしても、あの祖母と両親とがいいな。と想うのは何故だろう?親の最後を看取れる人でありたい。施設に通っても、預けてしまうのは淋しい。親に感謝し、一緒に暮らせる幸せを想いたい。戦争を生き抜いたのだ。

 大勢の死んでいった者への、鎮魂の祈りを籠めて、生きていることのあり難さ、命の大切さを振り返りたい。戦争がおきてしまった事実は変えられないが、二度と起きないように、心して生きたい。己のことだけではなく、地球の平安を祈。

 最近、厭な夢を視る。きっと仕事に疲れてきているんだ。勤務条件は同じ、と言うがどうだろうか。上司があらゆることで、部下に眼が行き届き、働く姿勢の手本となれば好いが、そんなことは至難の技だろう。家族の面会日を増やして。

 洗濯日和の一日だった。風も程よくあって、棹ではためく。干していく端から、乾いていく。当分は天気らしいが、帰宅してみれば、鉢物の元気が無い。汲み置きの水を遣っておく。明日は、枇杷葉の根元に肥料を入れよう。糠と塩である。

 そろそろ黄桃が出る。缶詰ではないので、一般の方には耳慣れない感が強い。食用の黄色い桃のことを、黄桃と言う。缶詰用は、また違うらしく、専用の物らしい。甘味もしつこくなくあっさりで、果汁はたっぷりである。リエさん待ってて。

 枇杷葉の木も、それなりの大きさで、3m位はある。余り上にいくと、袋が掛けられないので剪定する。花芽は、片手位ある。

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秋の気配濃く・・・

2017年09月02日 | Weblog

 夏を偲ぶように、百日紅が咲いている。枇杷葉も、日毎に葉が硬くなっていく。その中心に、盛り上がりが見え始めたら、苞となって、やがて薄茶色の小さな球が現われる。年末の時期には白い花弁が覘き匂う。花は、来年の立春過ぎまで咲き続ける。

 早くは年末に花を終えるが、蜜蜂で結実していれば持つが、寒さに弱いんで、霜や雪に枯れる。彼岸の頃に咲いたのが案外、好い物に生ったりする。自然の気温の状態であり、人間の知る由もない。生き物も、目に見えるものだけではないのですが。

 自然界の命には、人間への影響を促し援ける働きをし、抗体や免疫に繋がるのや、反対に症状が著しく現われてしまい、悪化してしまうことにも。色々な病原体にも、人類へのことを深く考えて活動するものはいない。自然との付き合いは微妙となる。

 草木にも命が宿り、それらが廻りめぐって、人間の命を支える。初めから、人間のために、われの命を提供するとは思えない。どんな生き物にも、そこにある限り、使命があり役割が課される。人間だけが、自分勝手なことばかり言い、遣りたい放題だ。

 昨夜は、久々にナルニア国物語を観た。人間が、心を通わせようとしなければ、相手は物言わぬ物体だろう。木にも、小鳥にも、等しく同じ命がある。殺生は、必要な分だけで良い。金儲けを企てるから、無闇矢鱈と自然を壊す。地球は悲嘆にくれてる。

 勤務も、組んだ相手に依ったり、その日の体調にも影響され、身体が思うに任せないことが増え、年金だけでは暮らせないが、そろそろ決める時期だろう。年齢的なこともあり、無理を承知で遣っているのを、他人に理解してもらおうとは思わぬが空虚。

 枇杷葉の中心が膨らんできた。わくわくとした心持ちで、そっと覗きこむ。知らず知らずに、にんまりとしてくる。

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文月、二百十日

2017年09月01日 | Weblog

 秋晴れです。抜けるような青空には、雲一つもない。昨夜、真夜中近く、晴れた宇宙には星が瞬き、くっきりと数多の煌めきが観えた。今朝は、予定通りに洗濯と布団干しをし、三度いせひでこ展に出かけた。観客は誰も居なく広々。

 帰路、本屋に寄り、注文文庫とCDを。文庫は届いていたが、CDは入荷していなかった。アマゾンで頼めばいいのに、と思うかもしれぬが、即決支払いでは続かない。気儘に寄って、懐具合での持ち帰りがいい。3時間経過して帰宅。

 すばるを呼べども返事がない。椅子の上か、出窓かと見ていくが姿がない。着替えをしようとしたら、箪笥の周りが散乱している。もしや、箪笥の上から声が・・・。登ったはいいが、下りられないと鳴く。椅子を持って来ての救出である。

 箪笥の上の物を除けていたら、後に下がり過ぎて、そのままずり落ちた。綿塵まみれで毛繕いをする羽目に。銀河も、箪笥の上は好んだが、落っこちたりはしなかった。昼を大きく回っての帰宅になり、大急ぎで布団を仕舞う。ふかふか。

 これからの季節は、布団干しが欠かせない。掛け布団も増やし、毛布を出す。網戸を閉めて寝る時候になる。八つ時を過ぎたら、少し雲が広がってきた。風があるので爽やかだ。洗濯物が乾き、取り込んでいく。着替えを洗濯し干。

 来週の日曜日には、団地内の草刈がある。それまでには、手刈りでやっておかねばならないが、天気との相談である。今月は、敬老の日や、お彼岸があり予定も多い。新聞に、オリンピックの日の、7月24日を祭日にあるが不必要だ。

 何がうれしくて、真夏の炎天下にオリンピックなの?暑い国では平気であろうが、そうでなくとも東京は暑いよ。そこに大勢の人間が押し寄せて来るんだ。きっとパンクしちゃう。地球が傾いたら、地震と津波が襲う想定は必要かもねえ。

 10月10日が、丁度基準にあっての開催日なのに、どうして変更するのだろう。観に行く方も、熱中症でぶっ倒れるじゃない。そこに加えて、高校野球も開催されるのでしょう?悪い事が起きねばいいが、と厭な予感に脅えてしまうなぁ。

 冬は、西高東低で、大気が澄む。凍てつくことは少なくなったが、それでも外に出ると寒い。宇宙は美しい。

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