介護の業務内容には、やろうと思えば限がなく、横着をするなら楽なもの。食事、排泄、入浴には、移乗することが含まれるので、重労働にもなる。機械に任せればいいようなものだが、予算の関係上、容易くは無い。それに温かみがない。
人間の出来ることには限度もあり、ポイントやコツで乗り切る他はない。見守りも、拘り方で差が出てくるし、相手の心に寄り添うのは、出来るようで難しい。今まで生きて来られた年数を、どこまで理解して接するか、そんなに簡単にはいかぬ。
見た目と心の中とでは、大きな隔たりもあり、十把一絡げにもいかない。同じ歳でも、環境や金銭的なことで異なり、印象も変ってくる。これらを単に、かわいい年寄り等と、言いたくもなく、生きて来られた歴史を学びたい。十人二十色です。
お互いが理解し合わないと、話は噛み合わない。心の奥深く、慮ることが大切で、病気の症状にも関係して来る。自分よりも動けない人には、哀れみが生じるし、高みから物を言われると、むかっ腹を立てるものだ。その日の体調にも因るが。
認知症にも、個人の深い心情が影響して、哀しみが増えたり、体力の著しい消耗にも繋がる。自宅に帰りたい想いが募り、徘徊へと向うのも、気の毒でならない。アルプスの少女・ハイジを知っていれば、心の病の重さに、胸に痛みがはしる。
認知症の診断が下れば、何も分らなくなるのではなく、自分の生きてきたことさえ、怪しく思えてしまう。不安が広がってしまい、自分が何者であるかも。哲学的な深層に、真摯に向き合っていけることは先ずなく、諦めの境地に至ることもある。
こういった複雑な個人が、同じ施設内で暮らすには、相当な抑圧が伴う。介護の仕事として済ませるには、余りにも責任が大きい。親子で分かり合えないのが、他人に分ることもなく、反対に知ろうとすれば、心が通うことにも繋がるが困難。
四季折々の宇宙を、観ていられる幸せ、自然からの最高のプレゼントに感謝する。新しい自分にも出遭える。